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◆聖ガルヴァナの声(8)


ラジクが焚いた草の煙で室内がうっすらと白くなる頃、町の人々が集まり始めた。
故人と仲が良かったという年配の女性二人が故人の服を着替えさせたり、顔を拭ってやったりし、その間に簡素な台が用意され、果物や菓子など持ち寄られた物が並べられた。
そして、すすり泣く声が聞こえる中、ラジクが取り出した鈴がチリリンと鳴り始めた。

「魂を呼ぶ鈴だ」

スティールが小声で教えてくれた。

幾つかの色で編まれた紐の先についた銀色の鈴が、チリリーン、チリリーンと澄んだ音を奏でていく。

「あ……来た……」

ぽつりとウィダーが呟く。
クルルと思われる死霊が部屋に現れていた。

鈴の音が止んだ。

ウィダーの目の前でクルルと思わしき女性とチルルが喋り始めた。
今まで部屋の状況に全く気づかぬ様子で動き回っていたチルルの死霊がクルルの死霊と語り合う。
チルルの死霊は己の死が理解出来ぬ様子だった。わけがわからないと言いたげに首を横に振っている。あげくに喧嘩になりかけている。

(駄目っぽいみてえだが…)

そこへラジクが動いた。印がある方の手を動かす。掌の上に拳ほどの大きさの青白い炎のようなものが現れた。

「チルルが判っていない。クルルが困っている」

そう告げられた町の人々は顔を見合わせて頷きあった。

「チルル、あんた、無茶いうんじゃないよ」
「お姉さんを困らせないでおくれ」
「大変だったね。けどもう安心していいんだよ。あとはしっかりアタシたちがやるからさ」

次々に紡がれた言葉はチルルたち死霊に届いたらしい。チルルが戸惑ったように身じろぎした。

「急なことで判ってないんだろうね。あんたは事故で死んじまったからさ」
「あれは不幸だったね。足さえ滑らさなかったら、沢へ落ちることもなかっただろうに」
「あんたは打ち所が悪かったんだよ、チルル」
「本当にねえ、不運だったねえ、アンタ達は。可哀想すぎるよ」

涙ながらの友人らの言葉にクルルがありがとうと言いたげに頷く。
その隣で戸惑ったような表情をしていたチルルもようやく理解したのだろう。顔を両手で覆ってしゃがみ込んだ。
ラジクが口を開いた。

「チルルが理解した。クルルがありがとうと言っている」

「サオラーはしっかり捕まえたからな」
「スティールがやってくれたぞ!」
「サオラーはしっかり罰してやるから安心しな!」
「助けてやれなくて悪かったな」

男衆の言葉にクルルが嬉しげに頷くのがウィダーの目に映った。
そこへサフィールが動いた。ポンとウィダーの肩を叩く。

「チルル。この子はスティールの運命の相手で王都で会ったそうだ。あんたによく似ている。年の頃は17だ」

俯いていたチルルがハッとした様子で顔を上げた。確かにその顔立ちはウィダーによく似ていた。髪の色なども同じ雰囲気を持っている。

「あんたは不幸だったな。だがあんたの命はこの子が受け継いでいる。今回のことがなければ、この子もここへ来ることはなかっただろう。悪いことばかりじゃなかったと思ってくれないか?」

キルル?と呼ばれ慣れない名を呼ばれ、ウィダーは戸惑ったように頷き返した。一体どう言ったらいいのか判らない。けれどチルルとクルルは顔を見合わせると頷きあった。

『幸せ?』
「あ……たぶん。とりあえず……今は不満ねえし……」
『よくわかんないのかい?』
「……わかんねえ。考えたことねえし。けどあんたより幸せだと思う」

少なくとも殺されるような人生よりはるかに自分は幸せだろう。そう思いながら答えるとチルルは笑った。

『変な基準だねえ。アタシの人生も知らないくせに、あんたって子は』
「そうかよ……」
『生きててくれたんだねえ……』
「あんたは死んでたけどな」
『死ぬ予定はなかったんだけどねえ』

透ける手が頭を撫でた。
チルルとウィダーの会話を生者と死者が見守る。
奇妙な会話だった。片方は死んで、片方は生きている。しかし誰もが茶化すことなく、静かに二人の会話を見守った。

「逝くのか?」
『そりゃねえ。死んだら逝くものだよ。残っていても消えるしかないんだから』
「たまに長年残ってるヤツを見るぞ」
『あら、一緒にいて欲しいのかい?』
「別にんなことは言ってねえ!」
『あらあら、顔を赤くしちゃって可愛い子だねえ。けど逝かなきゃね。残っている者はね、何らかのわけがあるんだよ。まともに残っているのは過去の強い死人使いなのさ。彼等は逝き損ねた死霊へ正しい道を案内するため、聖ガルヴァナの加護を受け、残っていると言われているんだよ』
アタシは違うから逝かなきゃね、とチルル。
そしてチルルはスティールへ向き直った。

『キルルを頼んだわよ』

しかしスティールには聞こえていない。ウィダーは伝えようとしたが、先にラジクが動いた。

「スティール。チルルがキルルを頼んだわよ、と言っている」
「判った。言われるまでもなく、ものすごく可愛がってるよ、俺は」
「余計なこと言うんじゃねえっ!」

衆人環視の中で何を偉そうに言っているんだと顔を真っ赤にさせると周囲から笑いが零れた。

『安心したわ。ねえ、姉さん』
『そうだね』

またラジクが口を開く。

「二人とも安心したそうだ」

これが『聖ガルヴァナの声』か、とウィダーは思った。
ラジクの手の光で生者の言葉は死者に届く。ラジクは忠実に死者の言葉を紡ぐ。


『アリさん、今までお世話になったわね。果実酒美味しかったわ。あんたも飲み過ぎに気をつけなさいよ』
「アリ。チルルが今まで世話になったと言っている。果実酒も美味しかった。あんたも飲み過ぎに気をつけろ、だそうだ」

中年の女性アリは目に涙を溜めた。

「まぁ、最後まで口の減らない子だね!」

『クララさん、林檎ありがとう。貴方が焼いてくれるパイは絶品だったわ』
「クララ、林檎をありがとうとクルルが言っている。パイは絶品だったそうだ」

クララは声にならず、何度も頷きながら泣き出した。

『トクじいちゃん、腰は大丈夫?あまり無視するんじゃないわよ、歳なんだから』
「トクじい。チルルが、腰は大丈夫か?あまり無理するな、歳だからと言っている」
「なんじゃと!?余計なお世話じゃ!」

ドッと笑いが起きた。


ラジクが一人一人へ故人の言葉を告げていく様子をウィダーは無言で見つめた。
淡々としたラジクの言葉に感情はこもっていない。しかしそれだけに正しく何の歪みもなく、故人の言葉が相手へ伝えられているのだ。
やがてその場を一周し、ラジクが鈴を取り出した。今度は別の鈴だった。ラジクはクルルの遺体の手首に鈴をくるりと巻き、もう一個を枕元に置いた。
そして複数の鈴がついた金属の輪を取り出した。ブレスレッドより一回り大きなそれをラジクはゆっくりと鳴らし始めた。

シャラララン、シャラララーンと独特のリズムをたてて鈴が鳴らされる。
その鈴の音と共に皆が祈り始めた。
ウィダーが見守る前で二人の故人の姿が少しずつ薄れていく。その二人の手にさきほどラジクが握らせた鈴があることにウィダーは気づいた。
やがて十数分もしただろうか。二人の姿は完全に消え、それを確認したようにラジクの鈴を鳴らす手が止まった。
それが葬儀終了の合図だった。