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◆聖ガルヴァナの声(4)


再出発した馬車には老人が一人増えていた。
赤頭巾をした老婆は橋を渡れるなら隣村へ行きたいといい、ネコをバスケットに入れて乗ってきた。隣村には孫がいるのだという。

「…モップのヤツ、元気かな…」

ネコを見つつ、ウィダーは呟いた。

「ああ…どのモップのことかな」

スティールの返答はちょっとズレていた。

「ラーディンのところのネコだよ」
「うん、ネコっていうのは判るんだけど。…あぁそっか。あのね、モップ、増えたんだよ。子猫が生まれてね。全部モップっていう名前なんだ」

何とも紛らわしい話だ。

「何で全部に同じ名前つけるんだよ!」
「いや、それがね、子猫の引取先で全部同じ名前をつけられちゃったというか…」
「また、ああいう色だったのかよ…」

モップは雑巾のような色をしている長毛種のネコで、その色とモップに似た外見からモップと名付けられてしまった過去を持つ。

「いや、真っ黒もいた」
「………」

スティールによると、モップが生んだ三匹の子猫は、親譲りの長毛種で元気に育ったという。
生後半年ほどで独り立ちすることになり、見つかった引き取り手が近衛軍の食堂だったのだそうだ。
ネズミ被害に困っていた食堂では喜んで子猫を引き取ってくれたという。

「1、2、4軍へ行けば会えるよ」
「へえ…」

やがて馬車は問題の川へと着いた。
元々は橋が架けられていたのであろう場所は見事に崩落している。
崖のように深い底に急流が見えた。水量はまあまあありそうだ。

「この場所で馬車まで渡れる橋を造るのが間違っている!」

小竜姿になって現場を見た紫竜の意見は辛辣だった。

「こんな地盤の脆い場所で馬車は無理だ。渡りたいなら地盤から強化する必要がある」

むろん、一時しのぎの橋なら可能だが、と小竜。

「とりあえずその一時しのぎの橋を造ろうか」

スティールの腕がぼんやりと青く輝いた。
呼応するように地響きのような音が聞こえてくる。谷底から天へ登る竜のように上がってきたのは川の水だった。
周囲がキンと冷え込んでいく。まるで冬の朝のような寒さが急激に訪れた。
それと同時に舞い上がった川の水が、天から雨のように降り注いでいく。それらの水は冷気で凍り付き、谷底まで落ちることなく、向こう岸とこちら側を繋げるように凍り付いていく。
数分もたたぬうちに氷の橋が完成した。


馬車の中は妙な沈黙が落ちていた。スティールの実力を目の当たりにした同乗者たちの驚きや恐怖が起きていた。
(まぁ俺もこいつのことを知らなかったらそう思ったかもな…)
巻き上げられた水量とそれを凍り付かせる大技の見事さ。
通常の印レベルならバケツ分ぐらいの水を操る程度だ。騎士でも眼に見える範囲で操る程度。それが谷底から大量の水を巻き上げて凍り付かせるのだからレベルが違う。
しかし橋を渡り始めた途端、その雰囲気は消えた。村で後から乗ってきた小さな老婆がスティールへ苦情を言ったのである。

「アンタ、冬にするならそう言ってくれないと困るわよ。老人は冷えに弱いんだから。何も羽織る物を持ってこなかったのに、こんなに寒くして、まー!」

そのスティールに橋を作ってもらったという事実は老婆から抜け落ちているらしい。

「あ、すみません。えーと、サフィール、何か羽織るものある?」
「持ってないぞ」
「えーと…」
「しょうがないね、アンタのその茶色で我慢してあげるから」

ふぅとため息を吐く老婆。スティールのマントを渡せということらしい。

(このばあさん、たくましいな。いろいろ間違ってはいるけどよ…)

冬にしたわけではなく、橋を凍らせたため、一時的に冷え込んでいるだけだ。
そしてさすがのスティールも老人の冷えまで考慮できないだろう。

スティールは素直にマントを渡している。近衛副将軍も小さな老婆に叶わないらしい。それが妙におかしかったのか幼女連れの親子や冒険者の男たちから笑いが漏れ、馬車内の緊張は自然となくなった。

次の村は川を渡ってほどなくして現れた。
やってきた馬車によって臨時の橋が出来たことを知った村人たちは慌てた様子で走り出した。

(なんだ……?)

その様子を見ていたサフィールが答えた。

「仮の橋があるかないかでは、工事の進み具合が全然違うからな。恐らくロープだけでも張って、準備をしておくつもりだろう」
「へえ…あの橋、どれぐらい持つんだ」
「ええと……溶けないまで……」

何とも頼りない返答だ。スティール自身にも判らないらしい。それもそれで怖いなとウィダーは思った。

「あれ?小さなばーさんは?」
「とっくに降りていったよ」
「お前のマントは?」
「あ……羽織ったままかな…」

結局マントは渡したままということになってしまったらしい。
孫に会うのを楽しみにしていた老婆は馬車が着くと、最初に降りていった。恐らくマントを返すことなど頭の片隅にもなかったのだろう。

「いいのかよ?」
「うん、まぁ…そう高価なものでもないからね。近衛軍のものだったらまずかったけど、市販品だし…」

それはそうだろう。近衛軍のものなら紋章入りだ。そんなものを老婆に渡すわけにはいかないだろう。

「予定通りに来ているし、明日には着くと思うよ」

ようやくスティールの故郷近くまで来たらしい。
長旅の経験がないウィダーは結構な距離だなと思った。