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◆風の刃(9)


建物を出て、裏口へと走る。
勝手に申し訳ないが馬を拝借しようと思い、馬屋へ向かおうとすると肩の上の相棒が動いた。

「非常事態だ、特別に手伝ってやる。器を用意しろ」
「器?」
「早くしろ」

何が何だか判らない。しかし手伝ってやると言うのであれば逆らう理由もない。スティールは近くの井戸へ向かった。水を飲むための柄杓が桶に突っ込まれている。
柄杓を手に取るとドゥルーガが動いた。

「お前の体を借りるぞ。俺を飲め」
「飲む!!??」

相棒はそのまま液体となって柄杓へ入った。紫色の液体だ。飲めとは言葉通りの意味だろうか。スティールは葛藤した。飲んだら水分として消化されるんだろうか。そもそも飲む気がしない。吐いてしまいそうだ。

(けど、フェルナン様が…)

事態は一刻を争うのだ。ドゥルーガも手伝ってくれると言った。どうやって助けてくれるのか知らないが、今はドゥルーガしか縋るすべがない。

(あぁ、もうヤケだ!!)

スティールはやけになり、一気飲みの要領で飲み干した。


+++


「人の体は久しぶりだ」

自分の声で自分ではない言葉が紡がれる。

「え??」

紛れもない自分の声も響いた。一体何が起こっているのか判らない。

「お前の体をフェルナンのいるところまで運んでやる。お前は空中移動の風の印をもっていないからな。俺の力を使う。疲れるからやりたくないんだが仕方ねえ」

ドゥルーガだ。紫竜がスティールの体を使っているらしい。借りるとはこういう意味だったのかとスティールは気づいた。
体がふわりと浮かび上がる。初めて空を飛ぶ浮遊感は船に乗ったような感覚だとスティールは思った。



運命の相手は印で相手の居場所が分かる。しかしそれは通じ合った場合の話だ。既に出逢っているとはいえ、まだ通じ合っていないスティールとフェルナンでは殆ど判らない。
ドゥルーガは一度通ってきた場所を覚えていたらしい。夜空に溶け込むように進んでいく。夜目が利くのか正確で躊躇いのない飛び方だ。
やがてドゥルーガは空中で止まった。足下に広がるのは山中。鬱蒼と茂る木々が延々と広がっている。夜のせいで真っ暗だ。何も見えないと言っても過言ではない。

「ドゥルーガ?」
「人の眼には見えないだろうが、俺には焚き火が見える。生かされてはいるようだな。いい人質になるからだろう」

ドゥルーガはグッと手を握りしめた。

「相棒、特別大サービスだ。助けるついでに複数印による合成技を教えてやる。折角上級印を四つも持っているんだ。体で感覚を覚えろよ」

ドゥルーガは地上へ降りていく。降り立ったのは敵のど真ん中だった。さすがにスティールは驚愕した。何というところへ下りるのか、この相方は。殺せと言わんばかりではないか!
しかし不意を突かれたのは敵も同じだったらしい。まさか空から敵が降ってくるとは思ってもいなかったのだろう。暗すぎて何も見えていなかったらしい。その敵へ向けてドゥルーガはスティールの体で印を動かした。焚き火から火柱が上がり、火柱をまとうように雷が周囲に降り注いだ。

「こいつが、火と水」

周囲は突然の敵襲に浮き足立っている。

「うわっ!!」
「何事だ!!?敵襲っ!!??」

バキバキと木々が揺れる。慌てて逃げようとする敵に降り注いだのは先端が氷で覆われた枝だ。それらは槍のように逃げまどう敵を貫いていく。

「こいつが緑と水」

ドゥルーガはぱちりと指を鳴らした。スティールは火、水、緑の力が動いたのを感じた。熱気と水蒸気が木々の間で揺らめき合う。それらに緑の生気が混ざり合っていく。

(今度は幻惑……)

陽炎のように生み出された幻術に惑わされた敵は、逃げ場があると思いこんで突っ走っていく。しかしその先にあるのはドゥルーガが生み出した炎の壁だ。

「ぎゃああああ!!」

火だるまになって地面を転がる敵をスティールは驚愕を持って見つめる。体の支配権がドゥルーガにある以上、ただ見ていることしかできない。

「さて、とどめだ」

ドゥルーガは大地に手をついた。同時にドン、と地が揺れる。揺れる大地にかろうじて生き残っていた小数の敵が体勢を崩す。そこへ無数の炎球が降り注いだ。次々に火にまみれていく敵から悲鳴が上がる。
阿鼻叫喚の中、ドゥルーガは迷わず馬がつながれた場所へ向かった。その脇には山積みにされた荷物の山がある。そこにフェルナンはいた。足はおかしな方向へ折れ曲がり、顔半分は出血で濡れた髪が覆い隠している。酷い傷だ。しかし意識はあり、しっかりとスティールを見つめている。意識を失った方が楽な傷だ。それだけにスティールには痛々しく見えた。

「…腕が動いたら…貴様を斬り殺しているところだ……」

開口一番に吐き捨てられた台詞は怒りと殺気に満ちている。
誰が助けろと言った、とフェルナンは吐き捨てた。呼吸は荒く、血の気もない。死ぬ寸前のような有様でありながらその眼差しは強く侮蔑に満ちている。
失望されたのは明らかだった。フェルナンは助けの手など待っていなかった。姫を王宮まで送り届けることを望まれていた。

いつの間にか体の支配権はスティールに戻っていた。

騎士は命令に忠実でなければならない。ましてもっとも守るべき王族の元を離れてきたのだ。フェルナンの怒りは騎士として当然とも言える。
完全な職務違反であり、命令違反。スティールの行為は間違いなく懲罰ものの行為だ。

「助けるなとは言われていません」
「…ハッ……詭弁だな。……戻ったら即座に処刑される覚悟でいろ。騎士として命令一つ聞けぬ者など不要だ。情けだ……私自ら殺してやろう」

気力の限界だったのだろう。不意にフェルナンの体が崩れ落ちる。
意識を失ったフェルナンの体をスティールは抱き留めた。

「俺、殺されるらしいよ」
ぽつりと呟いたスティールはフェルナンの体をどう支えようか迷った。なるべく傷に負担をかけないようにしたいが、酷い傷だ。どうすれば負担にならないのか判らない。
周囲は火の海だ。火は木々にも燃え移ったらしく、火勢はどんどん強まっている。このままでは焼け死ぬ前に煙で窒息死しかねないだろう。

「あれ?苦しくない…」
「お前を死なせるわけないだろう」

どうやらドゥルーガが窒息死しないよう、何らかの力でスティールたち周辺を守ってくれているらしい。

「ちょうどいいじゃないか。騎士など辞めて鍛冶に専念しろ」

好都合だと言わんばかりのドゥルーガは端から殺される可能性は考えていないらしい。それどころか、騎士を辞めさせる気満々だ。
相変わらずの相棒の台詞に緊張感が解け、スティールは苦笑した。

「とりあえず、フェルナン様を助けないと…」
「ふむ。確かに通じる前に死なれるのは困るな。おい、スティール。俺はこいつに移るぞ」
「え?」

意味を問い返す間もなくドゥルーガはスティールの体でフェルナンに口づけた。どろりとしたものがこみ上げてきてそのまま口移しでフェルナンの体へ入っていく。そのままスティールの体は完全にスティールだけの体に戻り、ドゥルーガはフェルナンの体を乗っ取ったらしい。顔をしかめている。

「い、痛い?」

フェルナンは重傷だ。痛みも分かるのだろうかと思いつつスティールが問うとドゥルーガは首を横に振った。

「俺の体じゃないから痛みなどは感じん。それよりも出血が酷すぎる。このままじゃ死ぬぞ」
「ええ!?治癒を…」
「ちまちまと、一つ一つの傷を癒やしていたところで間にあわん。抱け」
「ここで!?」
「そうだ。心配せずとも俺たち以外に生きた気配はない。遠慮無く犯せ」
「…や、焼け死にそうなんだけど…」
「心配いらん。俺たちの周囲に火はこない」

緑の治癒術は負傷者自身の生気を使用する。しかし重傷のフェルナンにはその生気自体が少ない。
そのため、スティールの生気を分け与えながら、同時に治癒術も使えとドゥルーガは言っているのだ。
生気を分け与えるのに手っ取り早く、効果が高い方法は性行為だ。特にフェルナンはスティールの運命の相手なので更に効果が増す。
フェルナンは重傷だ。むしろその方法でしか間に合わないだろう。

どうやら逃れられそうにないらしい。スティールはグッと覚悟を決めた。
フェルナンを抱くのかドゥルーガを抱くのか判らない気分でスティールはフェルナンの服に手をかけた。


+++


まず見えたのが鎖骨の上の傷だった。その傷は細いながらも胸元へかけて一筋の線を描いている。
そして左から腹部にかけて真っ直ぐな傷跡があった。その横には三つの痕。脇腹を切られたことが複数回あるのだろう。

(傷だらけだ…)

今の傷だけではない。痕が多い。血に染まる体は古傷にも染まっている。

「……冗談じゃない…」

呟かれた言葉はドゥルーガの口調ではなかった。

「私は強姦される趣味などないんだがね…?」

いつの間に意識が戻ったのか、フェルナンが下から睨んでいる。
睨み付けてくる水色の眼差しは怒りに染まっている。しかし言葉とは裏腹に抵抗の動きはない。肉体はドゥルーガの支配下にあるのだろう。

「傷を癒やすだけだ」

今度はドゥルーガの口調だった。

「強姦しておいて何を言うのやら。私は犯されるぐらいなら死んだ方がマシだ」
「フェルナン様」
「もとより死は覚悟していた。私も男だ。這い蹲って命乞いしたり、犯されて助かるなどゴメンだ。私は騎士の誇りを捨てる気はない…!」
「…スティール」

相手にするなと言いたげなドゥルーガ、睨み付けてくるフェルナン。
相反する眼差しに晒され、スティールは唇を噛んだ。しかし選べるのはただ一つ。それも決まっている。スティールはなんと言われようとフェルナンを見捨てられない。彼がそう望まずとも侮蔑されようとも助けずにいられない。
弾け飛ぶ火の音がする。空気に混ざるのは煙の匂い。
出血のせいで青白い肌。手足は酷く冷たい。元々体温が低いスティールより冷たく感じるのだから相当体温が落ちている。
愛してもらえないかもしれない。許してもらえないかもしれない。それでも。
死を望まれても譲れない。

(………すみません)

一生忘れられない夜だった。