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◆風の刃(10)


近衛軍第二軍将軍ニルオスは遠征から戻ってきたフェルナンが紫竜の使い手を懲罰房へ叩き込んだと聞き、眉を上げた。

「なんだそりゃ」

ニルオスの両翼の一人と言われるもう一人の副将軍グリークは無言だ。やや堅めの長い前髪を掻き上げつつ視線を窓の外へ投げた。
問われれば大抵即答するグリークの様子から、グリークも困惑気味らしいことが読み取れた。

「理由は命令違反になっていた。第一軍からは抗議文が来ている」
「フェルナンはまだ動けねえのか?」
「あぁ、重傷だからな」

当初第一軍に下された命令は第四王女の護衛。第二軍は、途中で入ってきた情報を元に第一軍へ警告を送った。
しかし、その警告は無視された。護衛の増強は不要とはね除けられた。
ニルオスは上からの命令を待たず、独自に行動を開始した。フェルナンはニルオスの命令を受け、国境を越えた。

本来なら第二軍の行動こそ越権行為だ。勝手に軍を動かして国境を越えるなど、他国を刺激し、侵攻かと受け止められかねない。
しかしそれをやってのけるところがニルオスだ。
結果的にニルオスの行動は第四王女の命を救い、グラスラード国との婚姻を名目にした同盟を成功させた。西の大国ガルバドスへの牽制の為、絶対に成功させなければならない婚姻だった。ニルオスは結果でもって周囲を黙らせた。それどころか第一軍への発言権を手に入れたと言っていい。

『警告はしていた。にも関わらず、兵力を強化しなかったとはどういうことか。第一軍がこちらの情報を軽視したことが王女の身を危険に晒し、フェルナン副将軍が重傷を負う結果となった。この責任をどう償うつもりだ?』

あくまでも『第一軍が警告を無視したため、やむをえず兵を動かしたのだ』という形を作り、ニルオスは抗議した。なんと言われようと結果が重要だ。何よりこっちも少なからず被害を負った。副将軍のフェルナンを失うところだったのだ。

(しかし、紫竜の使い手ねえ…)

正直なところ、ニルオスは紫竜の使い手スティールに興味がない。貴重な七竜の使い手などと言われても、騎士になったばかりのひよっこじゃ何の手駒にも使えねえとニルオスは思っている。ニルオスは即戦力しか興味がない。
確かに紫竜は貴重だろう。しかし所詮、武具は武具。使い手の能力こそがニルオスにとっては重要なのだ。将来的にはどうか判らない。しかし今のニルオスのスティールに対する認識は『フェルナンのおまけ』という程度だ。

(フェルナンを救ったのはそいつだと聞いてるんだがな?)

報告によると、紫竜の使い手は王女の護衛を放り出し、死にかけていたフェルナンを一人で救って戻ったという。
その行為が『王女の護衛を放り出す』という命令違反だと受け止められ、フェルナン自身によって厳罰されかけた。恩を仇で返されたのだ。それもフェルナンは、現場で極刑を命じたというから相当だ。
結果的には周囲の説得。特に王女の温情が大きく、命令は撤回された。しかしフェルナンの怒りは大きく、命令違反という無視できぬ事実もあり、紫竜の使い手は現在、懲罰房に入っている。

(ヤツらしくねえな…)

ニルオスはそう思う。
ニルオスの知るフェルナンは何でもそつなくこなす隙のない男だ。
全体的に能力が高く、頭がいい。典型的な文武両道タイプ。その上、容姿も非常に優れているので人気も高い。
ニルオスが特に高く買っているのが彼の性格だ。フェルナンはプライドが高く、面倒事を嫌う。トラブルが起こると、彼は物事が大きくなる前に綺麗さっぱり片づけてしまう。ニルオスの元に報告が来る頃には片づいてしまっていることが多い。持つべきものは頭がよくて気が利く部下だとニルオスは思う。

(…何やってやがるんだか…)

そんな一面を知るだけにニルオスは腑に落ちない。今回の件は自ら面倒事を引き起こしているかのようだ。王女の温情や周囲の進言があるのだから、とっとと釈放してしまってもいい。むしろそうするのが自然であるのにそれを許さない辺りが分からない。しかも助けられた身であろうに厳罰を下すとは。おかげで第二軍内からも反発が起きている。人望があるので大きなもめ事にはなっていないが、普段の穏和なフェルナンを知る部下達も困惑しているようだ。
命令違反が原因で王女が死んだのなら判る。だが王女は無事だった。不在にしたのも数時間だった。それも無事街に着いてグラスラード側の護衛を受けた後だ。王女の身柄がグラスラード側に移った後だから護衛任務は半ば終了といってもいい状態だった。
同行していたフェルナンの友人でニルオスの信頼も厚いサフィンも困惑していた。

『よく分からない。何があったのかも判らない。重傷だったから詳しく話を聞く余裕もなかった。紫竜の使い手スティールも何も言わない。厳罰も受け入れるって姿勢だった。さすがに七竜の使い手は殺せないが』
『そりゃそうだろ』
『いや、スティールは王女に断りを入れて救出に向かっているんだ。王女も承知だったというから厳罰にするわけにはいかない。王女のご厚情を無視することになる』

そもそも新米騎士の初任務に厳罰を下す必要はないのだ。大きな責任を負っていたわけでもなく、貴重な戦力の一人だったわけでもないのだから。むしろ敵を全滅させて第二軍の副将軍を救出したのだから報奨されてもいいぐらいだ。
尚更、フェルナンの怒りの理由が分からない。

(ったく面倒くせえ…)

ニルオスは心底そう思う。知将のニルオスは判らないことが嫌いだ。特に今回は本来トラブルじゃないことが原因のようなので尚更やる気がおきない。

(……どうも私怨がらみのようだな)

周囲が納得するだけの理屈がないのだから、その辺りだろうとニルオスは見当つけた。
ならばフェルナンの意向に沿う理由はない。元よりニルオスにそのつもりはない。

「とりあえずそのガキは解放しておけ。俺が許す」

ニルオスはフェルナンの上官だ。フェルナンの命令を撤回できる権力がある。
グリークはニルオスの命令を妥当だと考えたのかあっさり頷いた。彼もフェルナンの行動に疑問を感じていたのだろう。

「第一軍にはどう言っておく?」

現場の最高指揮官という立場で下されていた命令だったが、元々紫竜の使い手は第一軍の騎士だ。ニルオスたちの配下ではない。
ニルオスは皮肉気に笑った。

「放っておけ。老シオン殿には今回の件で引責してもらう。もうご高齢だからな」
「フェルナンを推すのか?」

グリークの問いは確認だった。

現在、高位にある騎士で近衛将軍に立てるだけの功績を持つのはごく一握りだ。
中でも最有力なのはグリークとフェルナン。ニルオスの両翼と歌われる二人はニルオスが立てる命令を忠実に実行し、文句なしの実績を得ている。空席があったらとっくに将軍になっていただろう。
グリークとフェルナンでは理由あってフェルナンの方が一歩リードしている。
グリーク自身、出世を急いでいるわけではないので、特に不満はない。副将軍というのは十分に高位だ。実戦指揮官を好んでいるので、ニルオスの片腕という地位はやりやすくもある。

「あぁ、ヤツだ。だがその前にそのガキの件を片づけておいた方がよさそうだな」

餞別代わりに片づけてやるかとニルオスは呟いた。