意識を取り戻した姫は哀れなほど怯えていた。
生まれ育った城をろくにでたこともない、文字通り、箱入りだった姫だ。死への恐怖。見知らぬ山中に取り残されている現実に泣き続けた。
さっさと引きずっていけと紫竜は辛辣だ。しかしさすがに実行するわけにはいかない。スティールは友人を振り返った。
「ラーディン。姫を俺の背に乗せて」
「え?」
「早く移動しなきゃ。無理矢理でもいいから」
中隊長のコーザは許可するように頷く。
ラーディンはスティールとコーザに促され、泣きじゃくる姫を半ば無理矢理スティールに背負わせた。
動揺している侍女の方もやや手荒な姫への扱いに苦情は言わなかった。姫と変わらぬ年若い侍女もどうしたらいいのか判らないのだろう。ただ姫の境遇を哀れんで涙を滲ませている。
「大丈夫か?途中で変わるから言えよ」
カイザードが声をかけてくる。スティールは頷いた。
「うん。姫は軽いから大丈夫」
幸い150cm前後の小柄な姫だったため、178cm前後身長があるスティールには軽かった。
交代で背負っていけば普通に歩くのと変わらぬスピードで進めるだろう。
もっとも徒歩なので進める距離はたかが知れているが。
その日の夕刻、一行は第二の襲撃に遭った。
(前回よりはマシだけど…)
前回はスティールとラーディンだけだった。今回は味方が多い。とはいえ100名前後だが。
状況的には姫を守りながらだからこちらが不利だ。
徐々に削られていく味方に焦りを覚え始めたとき、状況は変化した。
(あれ?印が…)
印が疼く、と思った瞬間、西側から飛んできた突風が敵の後方を吹き飛ばした。思いもかけぬ後方からの攻撃に、有利に戦いを進めていた敵が浮き足立つ。
(え!?)
「スティール、チャンスだ!」
驚くと同時に常に冷静な紫竜の指示が飛ぶ。スティールは反射的に身構えた。
「判った」
炎を飛ばすだけならいいかげん慣れてきた。大砲を放つように遠慮無く炎を飛ばすと不意打ちを突かれた敵の最前線が巻き込まれた。被害は予想以上に大きく、敵か総崩れになる。
ちりぢりに逃げていく敵を後追いすることなく、敵の西側後方から現れたのはスティールのよく知る人物であった。
「やぁ無事なようで何よりだ、スティール」
フェルナンは五百名以上の部下を連れていた。
「フェルナン様!?」
「どうしてここに?」
突風で敵の後方を吹き飛ばしたのは彼の印だったらしい。大技を使った余韻で彼の腕の痣は淡く輝いている。
フェルナンは余裕たっぷりの態度でちらりと敵が逃げていった方角を確認するとスティールたちを軽く見回した。
「将軍からの命令さ。そちらはさんざんなようだね。だが姫がご無事ならば幸いだ。斥候を別ルートで次の街に走らせたから、グラスラード側からも迎えがくるだろう。あと一息頑張れば何とかなる」
「そうですか…。だそうですよ、姫」
緊張が解けたらしい姫が泣き出す。スティールは慌てて優しく抱きしめた。王女相手に気が引けるのか、誰も動こうとしないのだ。スティールは土砂崩れから助けた経緯から、王女相手に慣れが出来ていた。
「大丈夫です。苦難を乗り越えれば幸せになれます」
スティールの言葉によくある物語をイメージしたのか、泣きじゃくっていた姫は少し落ち着いたようだった。
「…王子はお迎えに来てくださるかしら?」
「もちろんです。今頃大急ぎで向かってくださっておられるはずです」
そのとおりですともと侍女が力づけるように告げ、姫は幾度も頷いた。
「姫。生憎足場が悪いため、馬車はご用意できませんでしたが、私どもが次の街までお守り致します。どうか今しばらくご辛抱くださいますようお願い致します」
さすがにフェルナンは緊急事態に慣れていた。穏やかな物腰、落ち着いた言葉で王女を力づけると慣れた様子で部下へ指示を出す。フェルナンは最初から精鋭を引き連れていた。足場の悪い山道でも戦える能力のものを選抜し、数は少数でも一騎当千の騎士の集まりであった。
フェルナンは駆けつけてきた理由をシンプルに答えた。
「情報が入ってきたんでね。第二軍には独自の情報網がある」
「予定にない軍を出して外交問題になりませんか?」
「問題ないさ。姫を殺された方がよほど外交問題だからね」
そのフェルナンはさすがに副将軍だった。多くの部下を率いて堂々たる態度だ。
(安心できるなぁ)
フェルナンのおかげで希望が見えてきた。これならば無事王女を送り届けることが出来るだろう。
その後も山道が延々と続いた。
王女はスティールとラーディンが交互に背負うこととなった。最初に助けたスティールとラーディンにしか、王女が許さなかったのだ。怯えて泣き続ける王女をかろうじて宥めることができたのはスティールだけだった。そうして麓の町までたどり着いた頃にはスティールはグッタリしていた。