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◆夢見る雨(7)

凄腕医師のロディールに足を診てもらったニオルは、二週間もすればリハビリを開始していいぞと言われた。きっちりリハビリすれば後遺症の心配もいらないらしい。
不安が一気に解消され、ニオルは喜んだ。もちろん隊の皆も喜んでくれた。
その凄腕医師はコウと共にミスティア家の居城へ帰っていった。彼曰く、アルドーに顔を見せておかないと恨まれる、とのことだ。
そんな彼は四人の子持ちで、ニオルたちと同世代の子がいるらしい。どの子もよき薬師になりそうなんだと笑んでいた。

「薬師?医師じゃなくて?」
「薬師だ。俺も薬師だからな」
「アンタ、医師じゃないのか!?」
「薬師だ」

やっていたことは殆ど医師だったが、当人は薬師だと主張している。妙なこだわりがあるらしい。
その主張を聞いて笑っているのはロディールの護衛であるミスティア騎士だ。

退院の目処がついたことで、ニオルは積極的にリハビリに励んでいた。
動けずとも腕の筋肉を落とさないように小さなダンベルを動かしていた。
隣ではサヴァが読み書きをしている。
一対一で教えてもらうことにより、サヴァの勉強は捗っているらしい。

「あんたの回復は嬉しいけど、あんたがいなくなると困るな」

そう言って笑うサヴァにニオルは笑い返した。
その頃にはニオルもサヴァの素性を聞いていた。
元男娼。それもかなり待遇の悪い身だったという。だから他の者達に比べて医療の世界に入るのが遅く、一番下の見習いの身で頑張っているのだという。

「俺は恵まれてるんだ」

時折そう呟くサヴァの言葉の意味を真に理解した。
彼はテーバに教えを受けている身を『恵まれてる』と言っているのではないのだ。
生きているということ自体をそう言っているのだ。
他の職員に比べると、何もかも劣っているサヴァだ。誰も彼を助けてくれない。それでも不平不満を言わずに頑張っている。
他の職員も忙しいためだろう。サヴァに構う者はいない。それもまた仕方がないのだ。この療養所は評判が良い分、訪れる患者も多く、職員はいつも多忙なのだ。

「あんたは優しいな。テーバと…いや、テーバ以外に優しくされたのは初めてだ」

そう告げるサヴァに胸が痛む。
他の職員たちに悪気があるわけではない。ただ構う暇がないだけで。
しかし、サヴァが孤立しているのは確かだ。
コウに気に入られていることが判ってからは更に孤立している。
皆、サヴァをどう扱ったらいいのか判らないのだろう。

「なぁ…」
「ん?」
「海軍島に来ないか?お前ならきっと雇ってもらえる」
「読み書きすら満足にできねえんだぜ?そのほかのこともろくに知らないんだぜ?」
「だから?」
「あんたおかしいぞ」
「そんなことない。サヴァのことはむしろ尊敬している」

本当だ。過去の職など気にならない。
生まれや境遇に愚痴一つ言うことなく頑張っているサヴァには、本気で尊敬している。むしろ彼のように頑張りたいとリハビリに励んでいるところだ。
サヴァを守りたいと思うし、ろくに幸せなど知らないであろう彼を大切にしたいと思う。
ずっと一緒にいたい、そう思って告げたのだ。

「尊敬…俺が尊敬されるなんてな……信じられねえ」
「馬鹿にしているわけじゃないぞ?」
「あぁ判ってる。……悪い。マジで信じられなくてな。俺はいつも死んで捨てられるのがおかしくない世界で生きてきたから…」

穀潰しと言われ、川の中に首を切って捨てられろと言われていた。
水に近い重湯のようなものしか食べられぬ日も珍しくなかった。
殴られて、痣の耐えぬような日々だった。サヴァはかつてそんな世界で生きていた。

「サヴァ、来い。俺は本気だ。まだ新人だが、頑張る。お前のおかげで立ち直れた。お前は凄いヤツだ」

サヴァは無言で目を閉じた。
ニオルが本気で言っているというのは判る。
来たときから生真面目そうで不器用そうな騎士だと思っていた。
嘘をつけるような人間でないことは、約二ヶ月以上接してきて、十分判っていた。

「…俺は医者になるのが夢なんだ」
「サヴァ…」
「ありがとう。マジで嬉しい。けど俺はここで頑張りたいと思ってる」

胸に暖かな気持ちが満ちる。自然に眼に涙が滲んだ。
ずっと友がいなかった。そんな暖かな存在を得られる日が来るなんて思ってもいなかった。

『普通に生きること』

友人がいて、恋人がいて、真っ当に働いて、お金を貰う。
そんな当たり前の人生は、望んでも望めない夢だと思っていた。

(コウ……あんたのおかげだ。あんたが俺を暗闇から助け出してくれた……)

脳裏に金色の影が浮かび上がる。
美しく気高い。そんな言葉が当たり前のように似合った人。
サヴァを死の淵から助けてくれた彼のおかげで、幸せと言う言葉を現実に感じることが出来た。

「すぐにはさ……うまくいかないって判ってる」
「サヴァ……」
「だから頑張る、ずっと頑張る。嫌われたり避けられたりするのは慣れてんだ。昔に比べりゃここは天国だ。ずっと頑張るさ」
「お前はすごいな」
「はあ?普通だろ?」
「いいや、俺は海軍で馴染むことができなくてくじけかけてた。簡単に諦めようとしてたんだ」

だから凄いとニオルが言うとサヴァは苦笑した。

「お前はすぐ諦めすぎだ」
「俺もそう思う……」

だから再度頑張るつもりだと決意を告げるとサヴァは笑った。

「その調子だ。俺も頑張る」
「ああ」
「あいつのいるところ、とっても綺麗でさ。夢みたいだった」
「銀の城か」
「ああ。けど、俺はあいつと生きられないんだ。一緒にいたいと思う。けど今はまだ無理だ…………あいつのいる場所は、綺麗だけど冷たくてさ、寂しい場所なんだ」

サヴァは目を閉じた。
美しい銀の城。その地で生きた時間は短い。
そんな美しい地に相応しい恋人のことを、今でも愛している。
けれどあの場所に馴染めなかった。
今もあの地で生きられるかと言われると自信がない。

「……そうか」
「あいつのこと、今でも好きだ」
「……あぁ」
「きっと一生好きなんだ。けど、こうやって読み書きの勉強して、一緒に働いて稼いで、一日一日を暮らす。そういうのがいい。生きているっていう実感が沸く。あいつの生きる場所はあまりにも綺麗で寂しくて俺には無理だった……」

そう告げるサヴァの声は淡々としていて寂しさと決意に満ちていた。

領民の憧れを一身に集める銀の城。豊かで美しいミスティアの象徴とも言える場所。
けれどサヴァには寂しくて辛い場所だった。
あの城で医師テーバに出会えなければ、あの城が嫌いになっていたかもしれない。そう思うほどだ。
愛する気持ちだけではあの城で生きていくことができなかった。

コウは孤立しているリムリアの町の為、早急に簡易の橋を作ると決定してくれた。
よき領主だ。そんな相手を誇らしく思う。

「さすがコウだろう?」

自分のことのように誇らしげに笑うサヴァを眩しげに見つつ、ニオルは笑った。

「そうだな、良かったな」

怪我をしたことは回り道だったかもしれない。
少なくとも同期の者達には大きく後れを取ってしまっただろう。
けれどこれでよかったとニオルは思った。この回り道が自分には必要だったのだろう。
この療養所に来たことで自分は大きく精神的に成長出来たとニオルは思うのだ。

「いつか、コウの側に行きたい。行けるといい。けど、今はここで頑張りたいんだ」

サヴァの決意を聞きつつ、ニオルは自分も頑張らないとな、と思った。
自分がいかに弱くて甘えていたか、この友のおかげで実感できたのだ。
そしてこれからどうするかで自分の人生が変わる。
ちょっとやそっとでくじけているようではまだまだだ。

「コウ様のところには通うって手もあるんじゃないか?」

現領主アルドーの友人であるというロディールは定期的に銀の城へ通っているらしい。
遠方に住んでいるらしいが、そうやって通っている者もいるのだ、そうするのもありじゃないかと思う。

「それもいいかもしれないな」