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◆夢見る雨(5)

ミスティア家の小舟は五隻。
それぞれに物資が積まれていた。
水や穀物など重さがあったが、軍人であるニオルの同僚たちが協力してくれたおかげで早く片付いた。彼らは軍人だけにパワーがある。荷物も軽々と運んでくれたのだ。
そんな中、ミスティア家側にいる一人が院長テーバに話しかけられていた。

「そのようなことをなさらずとも……」
「構わぬ。ここにいる者らは皆、私の民だ」

話しかけられている男は他の者たちと同じように雨よけに分厚い茶のフードを被っていた。
手にしているのは物資の一つだろう。やはり雨避けにしっかり油紙で覆われている。
その姿だけを見れば、ただのミスティア家からやってきた軍人か文官に見える。
男はテーバに何やら言われて振り返った。
ニオルと共に、外から受け取った物資を開けようとしていたサヴァが手を止める。

「……まさか……あ、アンタ、バカだろ……」
「何故だ?」
「だ、だってアンタ……こんなところまで来て、泥まみれになって……っ」

男が被っていたフードを脱ぐ。
ありふれた茶のフードから見えた髪は見事な黄金色をしていた。

「コウ様!!!」
「次期ご領主様!!コウ様が来てくださった!!」

驚きの声が周囲から上がる。
当然だろう。こんな土砂降りの中、幾ら民を助けるためとはいえ、まだまだ危険が大きなところを自らやってくるとはニオルも思ってもいなかった。
周囲の者たちもありがたいと言いながらも驚きの方が大きいようだ。なんて無茶を、とか危ないのに、とか、驚いた、と口々に言っている。
美姫で有名な母親譲りの美貌の主であるという噂は本当だったようだ。豪奢な輝きを誇る金髪も、濡れたように見える紫の瞳も見事な美しさだ。
しかし、相手を見据える眼差しの強さや支配者としての雰囲気が桁違いだ。ただの美貌の貴族ではないとハッキリ判る。
近くにいた男が恐縮した様子でコウから荷物を受け取っている。さすがにずっと荷を持たせておくわけにはいかないと思ったのだろう。
両手が空になったコウは無言でサヴァを抱きしめた。

「コウッ」

サヴァが慌てた様子で身じろぎする。
しかし、コウは抱きしめたまま、手放そうとしなかった。
その様子を見て、ニオルはコウがとてもサヴァを大切に思っているのだと気付いた。
恐らくはかなりの身分差がある二人だ。しかし、危険を冒しながらもやってきたのはサヴァのためなのだろう。

コウは何かをサヴァに囁き、身を離した。
そして側に立っていた男に何かを告げ、テーバと共に建物の奥へ歩いていった。

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コウを見送ったサヴァはそのまま通路に座り込んで泣き出した。
ニオルは足に負担をかけないよう気をつけながら、その側に座り込んだ。

「あ、あいつ、ヤバイ。絶対ヤバイ。俺なんかを助けに来たりして。もし、領主様を怒らせたりして、次期領主じゃなくなったらどうするんだ。貴族はスキャンダルがとても危険だって言うのによ……あのバカ、あのバカ」
「サヴァ……」

完全に涙声だ。コウの身を案じているのだろう。
過去、二人に何があったのか判らない。しかし、コウを心配しているのは確かなようだ。
現在、ミスティア家には三人の子がいる。彼らは異母兄弟であり、血筋により、三男であるコウが後継者だと決まっている。
しかし、長子であるアルディンも血筋はよく、後を継ぐのに何の問題もないと知られている。
アルディンは軍の実力者だ。周囲の反対を押し切って近衛軍に入り、その頂点に立つ一人となったことからも判るように文武両道で知られている。コウに何らかの問題があって、家を継げなくなってもアルディンが継ぐことに強い反対はでないだろう。彼にはそれだけの功績と実力がある。
ニオルでさえもそれぐらいのことは想像がつく。同じようにサヴァも考えているのだろう。だからとても心配しているのだ。

「心配せずともアルディンとリドは家を継がないぞ」

突然、そんな声が飛んできた。
振り返ると眼鏡をかけた中年の医師が立っていた。
背は意外と高めで白に近い金髪をしており、日に焼けた健康そうな肌をしている。
濡れたフードの下にはポケットが多い白のコートが見える。この世界の医師や薬師がよくする姿だ。そして大きな鞄を肩から斜めにかけている。その姿からコウが応援につれてきた医師であることが判った。フードにはミスティア家の紋章が入っていたからだ。

「俺はロディール。ミスティア領主アルドーの……そうだな、友人だ。アルドーの子は俺にとっても可愛い息子たちだ。彼らのことはよく知っている。アルディンは間違いなくコウを差し置いて後を継いだりしない。心配は無用だ」

頑固オヤジのような雰囲気のある男はそう言いながら、周囲を確認するように見回し、ニオルの足で目を止めた。

「で、でもそんなことわかんないじゃねえか。あいつ、あいつが、元男娼なんか側に置いていることが判ったらご領主様がお怒りになられるかもしれないじゃねえかっ」
「すでに置いてるぞ。お前さんは二人目だ。今更だ」
「え?」
「元男娼、現護衛だそうだ。そもそも貴族は愛妾を複数持つことが珍しくない。アルドーも三人以上、側に女性がいるからな」

そういえばそうだった。貴族は大抵愛人を複数持っている。
なぜそんなことを忘れていたのかとサヴァはホッとし、ついで少し複雑になった。

「ちゃんと話をしろ」
「……俺はもう……捨てられたんだ」
「そうか、だが護衛殿も捨てられて戻ってきたそうだぞ」
「え?」
「諦めなくていいんじゃないか?」

クッと笑ったロディールは通路に寝転がった患者に近づいていった。
療養所は今圧倒的に部屋数が足りなくて、通路にも人が寝ているのだ。

「センセーは凄腕の医師なんですよ。今回は洪水被害を受けた地域のために出向いてくださいました。預かった患者は安心していいですよ」

コウと共にやってきた騎士らしき男がそう言って笑う。
ベテラン騎士らしく、この緊急事態にも動じた様子はなく、堂々としている。さすがは大貴族ミスティア家の騎士だ。

「そうなのか。ミスティア家の医師なのか?」
「そうですね、彼はアルドー様の主治医です。ですがどなたも診てくださるのですよ」

凄腕というのは確かなようだ。彼は怪我をした患者をあっという間に施術し終えた。
医療のことが判らないニオルでも凄腕だと判る見事さだった。

「次は誰だ?施術が必要な患者がいたら教えてくれ」
「こっちだ!」

ロディールは本当に凄かった。
圧巻だったのは緑の印の上級印技『聖ガルヴァナの腕』だ。一本操るだけでも凄いといわれるそれを一度に数本もだして一気に施術していた。
おかげで容態が危険だった患者も一気に持ち直したほどだ。その時はワッと歓声が上がっていた。

(すごいな……)

緑の上級印技はどう努力しても、その技を奮うための印がないとどうしようもない。こればかりは天賦の才能だ。
危険だった人が助かったという安堵が半分、その才能のすばらしさにうらやましさ半分で複雑な気持ちでいると、その医師はテーバと何やら話をし、ニオルの傍にいたサヴァをちらりと見た。

「テーバ殿に弟子がいるとは思わなかった」

話しかけられたサヴァは頷きつつも複雑そうに相手を見つめ返した。
サヴァは医師を目指している。ニオル以上にロディールが羨ましいのだろう。
サヴァは『アンタ、緑の上級印でいいな』と呟いた。

「確かにこればかりは緑の印を持って生まれなければどうしようもないな。諦めるか?」
「いいや。印がなくてもやれることがあるだろ。包帯だって巻けるし、薬だって調合できるんだ。………まだ修行中だけど」

羨ましそうな顔をしつつもキッパリ反論するサヴァにニオルは驚いた。
実力の差。そして縮まらないであろう才能の差を見せつけられながらも、負けん気を見せるサヴァにニオルは少し恥ずかしくなった。

(サヴァがこれだけ頑張っているのに俺は何をやってるんだろう……)

この診療所に来て何度思ったか判らないことを再度思う。
ちょっとしたことでくじけてしまう己の精神の弱さが恥ずかしい。そして悔しい。
そしてサヴァの強さに感心する。

「サヴァは凄いな……」
「はぁ?何言ってんだよ。すげえのはアンタの方だろ、海軍のエリート様じゃねえか」
「いや、俺はダメダメだ。すぐ諦めたりくじけたりして……今回も怪我で挫折しそうになった。お前の方が遙かに凄い。尊敬する」

そう、本当に凄いと思う。
その精神の強さを見習いたいとニオルは心から思う。
自分にはない強さを持っているのがサヴァだと思うのだ。
自分がサヴァと同じ立場にいたとき、同じように努力できるかどうかと言われれば自信がないのだ。

「尊敬するなんて言われたのは初めてだ」
「は?」
「いつも罵声しか浴びたことがなかった。捨てるものもないどん底からはい上がってきたから怖いものがないだけだ、俺は」
「サヴァ……」
「はは、嬉しいな。こんな俺でも少しは……」

遠くを見るような目で黙り込んだサヴァにニオルは何かまずいことを言っただろうかと焦った。
判ったのは、サヴァが悪しき過去を持っているらしいということだ。罵声しか浴びたことがなかったという過去はどう考えてもよい過去ではないだろう。どんな事情があって今ここにいるのかは判らないが、重い過去を背負っているのは確かなようだ。
そんな二人を無言で見ていた凄腕の医師は、腕を伸ばし、クシャリとサヴァの頭を撫でた。

「薬と清潔な布があれば、多くの人を助けることができる」
「……!」
「戦場に医師は何人いる?応急処置が完璧にできれば救える命は多い。だから軍人は応急処置を学ぶ」

だが田舎じゃ薬さえあれば何とかなる、と凄腕の医師は笑った。

「じーさんばーさんを助けるのは薬湯が殆どだ。あとは弱った足腰のためのリハビリの手伝いとマッサージだな。それでも大層ありがたがられる。長生きするための手伝いができる、そんな医師になればいい」
「……でかい怪我人が出たらどうすればいいんだ?」
「人には役割というものがある」
「……」
「何もかも一人でやろうと思わない方がいい。出来る人間に命を繋ぐのもまた大切な役割だ。応急処置ができれば命はつなぎ止められる。そこまで頑張ってくれればその次は俺のような別の者の仕事だ」
「アンタにか……確かにアンタなら大丈夫だろうが……」
「すべて自分一人でやろうと思うな。人の命というのはそれほど軽くはない」
「!」
「命は助け合って守るものだ。実際、リレーのように多くの人の手によって守られた命というのは多い。自分自身の役割をしっかりと考えろ」

今回も多くの人の手によって、ここの患者が守られただろう?と問われ、ニオルとサヴァは頷いた。
確かにその通りだ。皆で助け合って急場を乗り越えたのだ。

「何もかも一人でやろうと思うな。同じようにたった一人で完璧な医者になる必要はない。いざというときの手助けができて、よき薬が処方できる、そんな医師か薬師になればいい」

勢いよく頷くサヴァの目は輝いている。
そんなサヴァを見つつ、ニオルも海軍でしっかりやり直そうと思った。