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◆夢見る雨(4)

雨は翌日も降り続いた。
二階に避難した療養所の職員と患者は、窓から水かさが増した水面を不安げに見ている。
近所の住民の一部も逃げ場がなくて、この療養所へやってきた。
他の民家の者たちは高台に避難したようだが、それ以上のことは判らない。
そして、いつ助けがくるかもわからない状態だ。
療養所には歩けない患者も少なくないため、多くの人手がないと逃げようがない。

「リムリアの町に娘が嫁いでいるんだよ。孫もその町にいるんだ。心配で仕方がないよ」

サヴァが担当する老女マイヤはずっと娘と孫の心配ばかりしている。
リムリアは氾濫した川の向こう側にある町だ。

「大丈夫だって言ってるだろ。コウが見捨てるわけがねえ」
「次期ご領主様であるコウ様を呼び捨てにするなんて罰当たりめ!孫がいないアンタみたいな若造にこの気持ちが判ってたまるかい!」
「へー、へー、俺は若造ですよ、ババア」
「ホントに口の悪いガキなんだから。なんでアンタみたいな子がアタシの担当なんだろうねっ!」

ニオルに言わせればどっちもどっちだ。
周囲もそう思っているらしく、二人の言い合いに口出しする者はいない。

「水と食料が足りない」

療養所の職員たちが不安げにそう話している。
厨房は一階にあった。当然、食料の殆ども一階に置いてあった。
患者を避難させ、最低限の機材を持ち出すのがやっとで、食料を持ち出す余裕はなかったのだ。

「どうにか取りに行ければ」
「どこにどうやって!」
「容態が危険な患者もいるんだ、このまま悠長に雨が止むのを待っていられない。このままじゃ助けられない!」
「おちつけ。冷静になれ!」

若い医師の一人が興奮したように話すのを他の職員達が必死に宥めている。
その様子を通路や室内にいる患者たちが不安げに見ている。
不安なのは皆同じだ。そしてどうしようもないことも皆が判っている。
雨は止まず、水量はどんどん増えている。このままでは二階まで浸水してしまうかもしれない。しかしこれ以上逃げ場がない。この建物は患者が登れる屋上などないのだ。
ニオルは不安げに外を見た。すると、チカチカとした光が見えた。

(あれは……?)

相変わらず分厚い雲で覆われているせいで、夜のように薄暗い。
そんな中、何の光だろうと思いつつ、注意してみていると、またもチカチカとした光が見えた。

(居場所を問う信号だ!!)

海軍では必須となる信号である。

「誰か信号弾持ってないか!?炎でもいい!!」
「どうした?さすがに療養所にはないぞ、そんなもの」
「あの光!恐らく生存者を捜している!海軍で使われる光の信号なんだ!」

おお、と周囲から声が上がった。

「炎の印なら持ってるぞ!火を打ち上げたら気付いてくれるかもしれないな!」

患者や逃げてきた近隣の民の中に、炎の印を持つ男が三人ほどいた。
協力して窓から炎の弾を出来るだけ大きく空中にあげてもらう。
向こうも気付いたらしい。了承の意味を伝える信号が返ってきた。
ほどなく、小舟が数隻やってきた。それぞれの船に2、3名ずつ乗っている。

「ニオル、無事か!!??」
「おおい、ニオルーーーーッ!!!」

駆けつけてきたのは、国王直属の海軍所属であるニオルの同僚たちだった。

「みんな、なんでここに!?」
「馬鹿野郎!お前を助けるために決まってるだろうがっ!!」
「ここまで来る途中、道も建物も殆ど水没してて、目印になるものが全部消えてる。オマケに薄暗くて視界が悪い。場所がわからなくて苦労したぜ」

隊の仲間達はニオルを心配してわざわざ海軍島から来てくれたのだ。
ニオルはとても驚いた。まさか同僚たちが助けにきてくれるとは思ってもいなかったのだ。

(みんな……ごめん)

ニオルは自分が気に止めてもらえていないと思いこんでいた己を恥じた。
勝手に卑屈になって、海軍を辞めようとまで思っていたのに、周囲はちゃんとニオルを見ていて、心配してくれていたのだ。

「あ、ありがとう!」
「おう、ニオル、入り口はどこだ!?」
「一階は浸水している!患者も職員も全員、二階にいるんだ!!」

ニオルが二階の窓から怒鳴ると、判った、という返答が飛んできた。
そして、その二階の窓に同僚たちが三名ほど跳んできた。水を操って窓から飛び込んできたのだ。

「うわ、多いな」
「こりゃ全員避難させるのは無理だな」

通路にまで人がいる状態を見て、同僚たちは顔をしかめた。

「そんな……避難できる場所はないのか?」

ニオルが問うと同僚達は首を横に振った。

「ここはイゾーリダ川の下流区域だからな、ここから下は全滅だった。上流区域もかなりやられていると聞いている」
「元々、この地域は高台とも言える場所が殆どない。そのため、避難民は他の地区へ逃げているが、ここは患者だらけだろ?歩けも走れもしないんじゃ厳しい。その上、何時間もかけて他の地区へ逃げる体力もないんじゃないか?」

正にその通りだ。
この療養所は長期療養を目的とした患者が多く集まっている。そのため、中高齢者が中心なのだ。ニオルのような若者は殆どいない。

「お前だけなら助けられる」
「そ、そんな!!俺だけだなんて!!」
「安心しろ、そんなことするつもりはこっちもねえよ」

その時、大きな印の力を感じた。
驚いて窓から外を見ると、小舟に残った他のメンバーたちが建物を外側から凍らせて強化しているのが見えた。

「出来るだけ浸水を防いで建物の倒壊を防ぐ。時間稼ぎだがこれで結構持つだろう」
「これで数日は持つぞ、ニオル!!」

どうだ、と言わんばかりに小舟から手を振ってくる仲間達の姿が見える。

「みんなお前を心配してたんだ。今回だってお前が心配だから様子を見に行くと行ったら、将軍方は快く送り出してくださったんだ!」
「この緊急用の船も海軍船に乗せてきたんだぜ!」
「この地方が大雨でヤバイかもしれないって報告は海軍にも入ってきていたからな!」
「あ、ありがとう……ありがとう!」

馬鹿野郎、無事でよかった、と言わんばかりに仲間達から次々に頭を撫でられる。
助けが来たことで療養所内の雰囲気も和らいでいた。
さすがに海軍所属だけあり、隊の仲間達は水上での行動に慣れている。洪水だろうが何だろうが水を操ることですいすいと水の上を移動している。
水と食料が欲しいと伝えると、もうすぐ来るだろうという返答があった。
それはどういう意味だと問うと、隊の仲間は窓の外を指した。
教えられた方角を見ると、療養所へやってくる新たな小舟が見えた。

「この療養所を見つけたとき、合図をしておいたんだ」
「皆を助けるために動いているのは俺たちだけじゃないってことだ」

小舟にはミスティア家の紋章が刻まれていた。