ギランガはミスティア領が誇る港町で、大国ウェリスタでも最大の規模を誇る港を持つ。
ウェリスタ国の海軍は三箇所に基地を持つが、本拠地はギランガにある。港から見える巨大な岸壁をくり抜いて作った奥にある内海が海軍基地だ。
三年後、ウィンはギランガの港町で荷下ろしなどをする役夫として働いていた。
その日の仕事を終えたウィンは港町特有の魚臭い小さな酒場に入った。
荷下ろしなどをする役夫を選んだのは単に何も思いつかなかったからだ。ずっと花街暮らしのウィンは外の世界を殆ど知らなかった。当然手に職などもない。見よう見まねで出来る仕事ですぐに就職できたのが、荷下ろしなどをする役夫だったのだ。
港町では日雇いの役夫が多い。決められた時間の仕事をして、そのまま賃金が貰える。そのため素性など関係なく働けるのが強みだ。
ウィンは入った酒場ですぐに奇妙な客に気づいた。明らかに服の質が違う。光沢ある布地の服は庶民では滅多に着れぬ物だ。ウィンは過去の職業のためにその手の服を見慣れていたが、港町に来てからは滅多に目にしなくなった類の物だった。
案の定、その客の男は質の悪い男たちに目をつけられたらしい。酒を飲まされている。あのままでは潰されてしまうだろう。性根が良さそうな男は周囲の思惑に気づいていないらしい。
「おい、あんた、それぐらいにしておけ」
余計なお節介だと思ったが、ウィンはそう声をかけた。質の良い服を着た男が生まれ育ちのいい過去の相手を思い出させたためだった。
「なんだ、景気の悪いこと言ってんじゃねえよ」
案の定、周りから声が飛んでくる。ウィンは舌打ちした。
「んー…確かに飲み過ぎたかもしれねーな。大体、殿下がなぁ…。でも俺が好きなのはシェル」
酔った育ちのよさそうな男はぶつぶつと独り言を呟いている。
「殿下?あんたまさか王族と知り合いなのか?」
「おう、知り合いだぜー。俺、将来の王妃なんだよ」
へえ、王妃かと周囲は笑い合っている。それはそうだろう信じられるはずがない。
しかしウィンは眉を寄せて相手を見つめた。ただの酔っぱらいの戯れ言ならばいいが、ウィンの勘はそうではないと告げていた。なんだかんだ言っても上質の相手は見慣れているウィンである。酔った相手は、庶民にしてはマナーや振る舞いが自然と身に付いている。そして耳飾りや手首に見えるバングルの質の良さが彼の台詞を冗談だと笑い飛ばせない真実身を醸し出していた。
「おい、その王妃さまがなんでこんな場末の酒場に来てるんだよ?」
ウィンがそう問うたとき、酒場の入り口が開いた。
入ってきた男は中を確認するように見回し、酔った男に気づくと背後に合図をした。
「おられたぞ」
「バディ様、お探し致しました」
どうやら迎えが来たらしい。ウィンはため息を吐いた。
「あんたらのご主人か。こんな育ちのいいぼっちゃまを野放しにしておくな。危ないところだったぞ。酔って結構なこと吹聴してたから気をつけておけ」
護衛の責任者らしい中年の男はウィンを感心したように見て頷いた。
「どうやらぼっちゃまは幸運だったようですね。お礼申し上げます」
「いいや、成り行きだ」
「そうですか。ですがお礼申し上げたく思いますのでよろしかったらどうぞこちらへ。我らが主人にお会い下さいませ」
やや強引に促され、ウィンは少々訳ありのようだと感じて頷いた。
バディは二人ほどの護衛によってやや前方を歩いている。
当人はまだ飲むのだと嫌がっているらしく、殆ど抱えられるようにして歩いている。
「ウェール一族?」
「はい。バディ様はパスペルト国のウェール伯爵家の坊ちゃまでございます」
「王妃云々とぼやいてたが…」
「やはりそうでしたか」
護衛の男はバディの素性がおおっぴらになることを心配していたらしい。ウィンからバディが口外した内容を教えられるとため息を吐いた。
「未来の王妃であられるというのは嘘ではありません。正式な婚約などはまだですが、第一王子殿下にプロポーズを受けておられるのは事実。バディさまが頷きさえされたら現実となることでしょう」
未来の王妃が、場末の酒場で酔い潰されるところだったらしい。ウィンは軽く頭を抱えた。
「余計なお世話かもしれないが野放しにしすぎかもしれないぞ」
「全くその通りでございまして、返す言葉もありません。無事この国に着いて安心しすぎておりました。他国で地理に疎く、お探しするのに手間取ったことも事実。よろしければこの街にいる間だけでも道案内係として雇いたいのだが、いかがですかな?」
我が主には私から説明するのでと言われ、ウィンは頷いた。報酬も貰えそうだし、悪くない話だ。
(俺、生まれ育ちのいいヤツと縁があるのかな…)
脳裏に忘れたことがない綺麗な姿が思い浮かんだ。