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◆アラミュータ(4)

数日後、ウィンは望みの相手に再会した。
再会までの間にウィンは二度ほど別の客に買われた。今までは何ともなかった行為なのに震える体を押さえるので精一杯だった。さぞ味気なかったことだろう。客の方も不満げに帰っていった。

(何か……何かしねえと……)

再会は半ば諦めていた。だから会えて凄く嬉しい。せっかくの機会なのだ。次があるとは限らない。だからせめて何かしたいと思うのに焦るばかり。頭はパニック状態で何も思いつかなかった。

(くそ…情けねえ……)

こんなんでいゃ愛想尽かされて当然だよなと思いつつ相手を見ると相手はいつもどおりワインを頼み、のんびりソファーに座っている。
目が合う。
いつも見つめられると体が動かなくなる。見つめられていることに緊張して体が竦んでしまうのだ。けれどこれではいつもと同じ状態だ。ウィンは必死に口を開いた。

「…あんた……男娼を身請けしたって?」

こぼれ落ちた言葉は無意識のもので、ウィンは相手の表情にわずかながら驚きが浮かび上がったことに気づいた。

(…やべっ)
相手の素性を詮索するようなことは色町の御法度だ。それでなくても相手を怒らせてしまったかも知れない。ウィンは内心パニックした。どうにか誤魔化さねばと思うが頭が回らない。

「べ、別に俺は気にしてねえっていうか……調べたとかじゃねえ。女達が言ってたのを耳にしただけだ。あんたが何しようとアンタの自由だし、俺には何も言う権利ねえしな。ただアンタが来なくなった気がしたからちょっと気になったっていうか……」

慌てて口にした言葉はめちゃくちゃだった。自分でも何を言っているのだろうとウィンは思う。ぐるぐるといろんな考えが頭を巡るが整然とまとまることはなかった。

「多忙でこれなかっただけだ」

相手は素っ気なかった。ウィンは怒らせたかもしれないと内心青ざめた。滅多に感情を出さぬ客だけに相手の内心が怖い。

「お、俺はっ……」
「……」
「俺、俺はっ……」

相手が言葉の続きを待っているのが肌に伝わってくる。しかし混乱した頭はうまく言葉を紡いではくれなかった。真っ白になる。舌がうまく動かない。

「俺は……と、ときどきでいい、から…」

やっと出た言葉は無意識のものだった。
意味を問うように見つめ返される。

「…っ…身請けしたほどだ。相当気に入ってるっつーか、惚れてんだろ?……だ、だから俺は、まめに来てくれとは言わねえ。い、今までどおり……いや、それ以下でもいい。よくねえけど、けど、いい。それでいいから……ときどきでいいから」

だから自分の元へも来てほしい。言葉に詰まりながらウィンは伝えた。
みっともないと思う。泣いてすがるのと大差ない振る舞いだ。自分より年下の相手に身も蓋もなく縋っている。
仕方がないのだ。
ウィンは自嘲気味にそう思った。
女性のようにうまく甘えることはできない。若い男娼たちのように可愛く媚びをうることもできない。そんな方法を自分は知らない。必死に考えて、けれど、相手を目の前にしたら目の前が真っ白になって考えていたことは吹き飛んだ。それでもやっと会えた相手に何かしら伝えたくて、とにかく必死にやって、やれたことがこんなことだった。自分の精一杯がこんなみっともなく惨めな振る舞いだった。
相手の反応が怖くて顔を見れずに俯く。完全に愛想を尽かされるかも知れないという恐怖がウィンの体を凍らせた。

「可愛いな」

痛くなるほどの沈黙の後、客が呟いたのはそんな言葉だった。
呆気にとられて思わず顔を上げたウィンの目に入ったのはまれに見る相手の笑顔だった。
綺麗な指先がウィンの黒髪を梳くのが眼に入る。ろくに手入れもしておらず、毛先も揃っていない髪なのにこの客はウィンの髪を梳くのが好きだ。無造作にたばねた様が傭兵のようだと同僚に揶揄されたこともあるような髪なのに。

「あれを引き取ったのは質の悪い店にいたからだ」
「……え……?」
「引き取らねば殺される可能性があった。だから引き取った。まぁ気に入ってるのは確かだが…」

毛先に口づけられてドキリとする。毛先に感触などないのに肌に触れられたようにびくりと体を震わせた。

不意に目の前に金色の光が煌めいた。
目の前に両手で持ちきれぬほどの金貨が落とされた。

「え……」

「褒美だ。これでこの町は出れるだろう。自由に生きるがいい」

頭が真っ白になる。一体何を言われたのか。
これは身請けしてもらえるお金なのか、それともチップなのか。しかし娼婦に渡すにはあまりにも大金過ぎる。通常金貨など平民は見ることもないお金なのだ。

「囚われの獣でいるより、自由に生きる方がお前には似合う。お前ならば一人で生きることもできるだろう」
「……」
「お前の幸福の祈っている」
「…っ…待っ…」

客は振り返ることなく部屋を出て行った。
残されたのはウィンでは一生働いても得られないような大金。
目眩がするような金色の輝きは確かにウィンを花街から解放してくれるだろう。普通の娼婦なら誰もが願うであろう夢をコウは与えてくれたのだ。
しかしウィンの胸に残るのは大きな悲しみだった。
コウに不要とされたという現実を突きつけられた事による痛み。
そしてもう二度と会うことはないであろう事実が何よりも痛かった。

「……っ……ぁああぁああっ」

ウィンはその場に座り込み、顔を覆って泣いた。
疲れ果てて眠ってしまうまで泣いて泣いて泣き続けたのである。