「ミスティア家の御嫡男がドラグの連中を完全に叩きつぶされたそうだよ。それも後ろについてた組織ごと一網打尽だそうだ」
「今のご当主さまも優秀なお方だが、次代のご当主も安心のようだね」
「ありがたいわ。ご領主がアホで住んでる街が荒れるのは嫌だからねえ」
娼婦街にはいろんな噂が入ってくる。客は遊びに来るので酒を飲み、口も軽くなるため、情報が手に入りやすい。コウ以外に常連客がいないウィンは口べたなこともあり、噂には疎い方だが、大きな店に所属している分、ある程度の噂は耳にしていた。
「ウィン、あんたも幸せもんだね。捨てられないように頑張るんだよ」
「そうそう、コウさまのような上客を持ってんだから」
「……何の関係があんだよ…」
「馬鹿だね、コウさまはミスティア家の次期ご領主じゃないか」
他の娼婦達はコウの素性を知っていたらしい。今まで知らなかった己の疎さをウィンは痛感した。周囲に聞けば判ることだったのだ。馬鹿正直に掟を守り、また、人づきあいを嫌って知ろうともしなかった己の馬鹿さ加減にうんざりした。
「ただね、コウさまったらこないだ、ちっぽけな店で男娼を引き取られたらしいよ」
「そうそう、アンタみたいな愛想の悪い子だったとか」
「他にご寵愛されてる子がいたみたいだね。あんたもお世辞にも愛想がいいとは言えないんだから、ちょっとは媚び売って、印象良くしとくんだよ」
そんなことは全く知らなかった。無意識のうちに彼の常連は自分だけだと思いこんでいたことにウィンは気づいた。
しかし確かにこの店では自分だけだが、歓楽街には店がたくさんある。その他の店に懇意にしている娼婦がいても何ら可笑しくはないのだ。思えば彼はけして泊まっていくことがなかった。今更ながらそんなことに思い当たり、ウィンは動揺した。
(気に入ったヤツを身請けしたなら俺は用なしかもしれねえな……)
同じ男娼なら尚更だ。
考えれば考えるほど想像はよくない方へと転がっていく。
愛をつなぎ止めるための努力をしたことはない。いつだってただ待つばかりだった。いつ来るかも判らぬ相手を待ち続けている。それ以外のことをしたことは一度もない。
与えられた複数の上質な服。袖を通すときは嬉しかったが、素直に礼を言えずにいつも口ごもっていた。そんな自分を彼は責めることなく許してくれていた。彼の優しさに甘えていた。
(捨てられて当然かも…な……)
客に飽きられるのは日常茶飯事の世界だ。ウィンも例外ではない。一人の客と一人の売り子。それだけと言ってしまえばそれだけの世界。愛を売り、水面下での駆け引きを楽しむ世界。少しでも長くつなぎ止めておければ売り子の勝ち。愛を騙った軽薄な皮一枚の世界。
(何もできなかった…)
もう会えないかもしれない。そんな当たり前のことを今更ながらに自覚し、ウィンは俯いた。
「……あ……なんだ…?」
ぽたぽたと水滴が床に落ちる。その時初めてウィンは自分が泣いていることに気づいた。
「くそ……なんだこれ……」
哀しくなどない。捨てる捨てられるが当たり前の世界なのだ。珍しくもないことなのだ。今までも幾度もあったではないか。そもそも常連がつくことすら滅多になくて、一夜でポイというのもしょっちゅうだった。今回はそれがちょっと長くて捨てられただけだ。
「……ぅ……ううっ……」
そう思うのに涙は止まらなかった。それどころか無性に感情が高ぶり、声が零れ始めた。泣いてはいけない。泣いたところで何かが変わるわけではない。なのに止まらない。ただひたすらに哀しい。哀しくて仕方がない。もう会えぬことが。もう抱いてもらえぬことが。
(ちくしょう……あんたの勝ちだ……)
認めないわけにはいかなかった。あの滅多に表情を変えぬ年下の客が自分は好きなのだ。かわいげの欠片もない大人びた客に会えぬ事がこれほどに哀しいのだ。
客に捨てられて泣く娼婦を幾人も見てきた。惚れた相手と結ばれることができずに密かに泣き続ける者も幾人も見た。そんな者を幾人も見てきたから、自分は客に惚れて、捨てられて泣くなど冗談じゃないと思っていたのに、とてもみっともないことだと思っていたのに、現実は別物だった。
(……くそ……っ……俺、もうあんたしか嫌だ……)
商品である以上、買われたら体を売るしかない。彼に捨てられた以上、彼以外に抱かれるしかない。借金を返さねばこの色町をでていくことはできない。足抜けは死だ。街を出るには自らを売り続けるしかないのだ。…彼以外の相手に。
(嫌だ、嫌だ、嫌だ…)
彼を好きだと自覚した途端、当たり前のことがひどく嫌で仕方がなくなった。元々売れる方じゃないから頻度は高くないが、色町だ。当然他の客にも買われる。そういう世界なのだ。
嘆いていた娼婦達の気持ちが嫌と言うほど判る。惚れた相手とヤるのと他の相手に抱かれるのでは雲泥の差だ。自覚してしまえば相手にしか抱かれたくない。
(何も…何もできなかった…)
好きな相手に笑顔すら満足に向けることができなかったことをウィンは酷く後悔した。嘘偽りでさえ愛想一つ振りまくことさえ出来なかったのだ。
(捨てられて当然だ…)
再度自覚し、悲しみが強くなる。ウィンは寝台に突っ伏した。涙が止まる気配はなかった。