文字サイズ

◆フィゼア(12)

コウが使っている髪粉は質がいいが、完全に落とすには2,3日かかるという代物だ。一度の洗髪では落ちきれないのである。
黒髪はお忍び用なので王都行きが間近な時には染めるわけにはいかない。
あまり質の良くない店にサヴァを放っておくことが気遣われて、また下手なまねをされぬようにと次兄に身請けの手続きを頼んで王都へ向かった。次兄は顔をしかめていたが、生真面目な次兄だ。一通りのことはしてくれるだろう。
それでも気になって、早急に用を済ませ、王都からとんぼ返りしたコウは周囲の制止を無視して、そのまま歓楽街に出向いた。

「せめてお着替えをなさってほしかったんですがね…」
「仕方ない」
「何が仕方ないんですか。俺らが行きますって申してますのに」
「気になるんだ」
「お願いですから目立つまねはお止しください」

苦情を言いながらも諦めているのだろう。フェイとラヴァンの表情にはあきらめの色が濃い。
それもそのはず。コウは王都から戻ったままの姿なのだ。一応足首近くまであるマントで隠してはいるものの、その下は完全な貴族服。髪も金髪のままなのでフードをかぶってはいるが、完全に隠しきれるものではない。
加えてフェイとラヴァンも正装の騎士服のままだった。普段の勤務の時に着るものではなく、国王の前にも出れる正装なので目立つ。

「コウさまは趣味がよろしくないですよ」
「…そうなんだろうな…」

大きな店の馴染みも小さな店の馴染みもその店では売れない男娼だ。趣味が特異なのかもしれないとはコウもうすうす感じていたことだ。
小さな店の入り口を潜ると一斉に注目をあびた。当然だろう。
フェイとラヴァンの正装がまず目立つ。くるぶし近くまである長いマントは正騎士の証。加えて二人は正装だ。国王の前まででれる騎士は騎士の中でもごく一部。優れた騎士だけに許される。マント止めの大きな文様入りの留め具やそこから伸びた色鮮やかな紐の質。その先についた大粒の宝石などが嫌でもその地位の高さを示す。
その二人の間からコウは店内へ進んだ。深くかぶった白いフードを脱ぐと金を紡いだような見事な金髪が薄暗い店内にあらわになる。
コウはそのまま服を隠した白く長いマントを脱いでフェイに渡した。国王の御前に立ったときと同じ貴族服だ。艶のある上質の白地に金と銀の刺繍が全体に施され、背には一部使用しただけでも高価とされるレースがマント代わりに全体に使用され、背全体を覆っている。
そのレースのマントを止めているのは拳サイズの大きな青い宝石。国宝級ではないかと思えるような大きさだ。両肩に使用されたそのマント止め同士をこれまた宝石をふんだんに編み込まれた紐でつないでいる。
見事な金髪の先には透明な宝石が編み込まれている。
耳朶に下がるのは大粒の真珠だ。希少価値の高い銀真珠と呼ばれる透ける真珠が複数連なり、耳元を飾っている。
母親から受け継いだ『麗しの流瞳』と国王に言わせた眼差しでコウは店主を見据えた。

「店主、久しぶりだ。彼は傷ついてはいないだろうな?」

あまりの上客の登場に呆然としていた店主はその言葉でコウと常連客が同一人物であることに気づいたらしい。狼狽した様子ながらも慌てて頷いた。

「も、もちろんでございます。傷一つつけず!丁重に扱っておりますとも!!」

店内にいた娼婦達はもちろん、客も呆然とした様子でコウに見入っている。たぐいまれな上級貴族の姿を目の当たりにしているというだけでなく、コウはとにかく見目がいいのだ。美姫と歌われた母親譲りの容姿は伊達ではない。美貌に見慣れた者でさえ、見入るような容姿の良さを誇っている。母親が王妹でなかったら確実に後宮に呼ばれたであろうと言われている。本来女性向けであろうレースを身につけても嫌みにならないのがコウだ。



一方、サヴァは部屋でのんびりしていた。
そこへ「お客様がいらっしゃったよ」と教えてくれたのはあまり仲が良いとはいえない娼婦だった。慌てた様子で駆け込んでくるので何事だろうと思った。またあの客が質の悪い男たちとモメたりでもしているのだろうかと危ぶんだほどだ。
それにしても早い時間だ。まだ陽が落ち始めたばかり。歓楽街は完全に陽が落ちてからが賑やかになるのだ。いつも夜更けに来ることが多い客だというのに珍しいとサヴァは思った。
いずれにせよ、迎えだろう。サヴァは立ち上がり、いつものように部屋を出た。急かす同僚がのんびり歩くサヴァを引きずるように引っ張る。

「痛えな、何だよテメエは」
「馬鹿!!あんた、あの方をお待たせするわけにはいかないんだよ。あんたを身請けなさる方、とんでもないお方だよ!!行ったら判るよ!!」

頭ごなしに怒られ、サヴァはいぶかしげに思った。とんでもない方、という相手に想像がつかなくなる。まさかいつもの上客以外の客が自分を引き取るなどと言っているのだろうか。そんなはずはないと思いつつも不安になる。
店にでてしまうと理由が分かった。行けば判るという同僚の言葉の意味が一目で理解できた。売れっ子のリナやシーダの客にも見たことがない格違いの人物が、これまた格違いの部下を連れて立っていたのだ。