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◆フィゼア(13)

いつもは黒髪だった。そして顔を覆うような髪型で深夜だったので容姿はおぼろげにしかわからなかった。そしていつも騎士見習いの服だった。さほど珍しくもなく、ありふれた姿だったので相手の容姿などさほど気にしたことがなかった。
それが今日はどうしたことだろう。黄金を紡いだような髪といい、宝石のような紫眼といい、圧倒されるような美しさだった。サヴァはこれほど美しい人間というものを見たことがなかった。

「久しぶりだな。今日は怪我をしていないようで何よりだ。…行くぞ」
「……は……?」

状況が分かっていない様子のサヴァを無視し、コウは店主へ顔を向けた。

「彼は連れていく。金が欲しければミスティア家へ来るがいい。先月、この町で騒ぎが起きたとき、関連したところを叩きつぶして出所の判らぬ金をたっぷり得たところだ。遠慮なく請求するがいい」

一見、暖かな言葉のようにも思えるが、内実は完全なる脅しである。後ろめたいところがなくば遠慮なく請求できただろう。しかし歓楽街のそれも質の良くない店では実情が知れている。下手な請求をしたらどこを突かれるか判らない。むしろ関わりたくないというのが本音だろう。
返事が出来ぬ店主にフェイが顔をしかめた。

「何をしている。我が主君の寛大なる心遣い、そなたには身に過ぎた光栄であろう。丁重に受け止めよ」
「はっ、はいっ!!あ、ありがとうございます!!」

怒りを買っては大変とばかりに慌てて平伏する店主にフェイは当然とばかりに頷く。

「ミスティア……」

彼は間違いなくミスティア家と名乗った。
ミスティアとはこの領地の名だ。そしてそれは代々この地を治める公爵家の名でもある。
銀山を保有し、国内でも有数の豊かな領地。富は地だけでなく、東に面した海からも得られる。
北のサンダルス、西のディガルドと並ぶ三大公爵家の一つ。

怖じ気づくサヴァにコウは冷静だった。すぐに行けるか?と問われ、サヴァは慌てて懐を探った。小銭がでてくる。給金など貰ったこともないが、昔、客にチップをもらったことがあり、それをかき集めてきたのだ。金額はわずかばかりだったが、サヴァはそれを老婆にやるつもりだった。
裏口から店の隅に顔を覗かせていた老婆はサヴァが差し出した小銭に驚きの顔を見せた。

「そんな、あんた……」
「気にするな。俺はもう使わないから」

それもそうだと思ったのか、老婆は老いた手にのせられた小銭をありがたそうに受け取った。

「サヴァ」

名を呼ばれて振り返るとコウが何かを投げてきた。受け取ると銀貨だった。

「銀貨ならいいのだろう?」

医者とのやりとりを覚えていたらしい。老婆にくれてやれと言うのだろう。サヴァは小さく笑って老婆の手に銀貨を乗せた。銀貨のおかげで老婆もしばらくは美味しいものが食べられるだろう。


店を出ていく。皆が無言で見送ってくれた。祝福の言葉も別れの言葉もなかったが、サヴァは満足だった。店をでていくときは死ぬときだろうと思っていた。それが生きてでれるのだから何の不満があろうか。
連れ出してくれたのは年下の、とびっきりの美人の、けれど態度が大きな貴族だった。
愛されているのか判らない。何しろ一度も抱かれたことがないのだ。普通の身請けのように甘い関係で引き取られるわけではない。
先はまだ見えない。けれども望まれて引き取られたのは確かだろう。

「行くぞ」

サヴァは頷き返し、差し出された上質の手袋に包まれた手をにぎり返した。

<END>