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◆フィゼア(8)

実質は7対2であった。コウが手を出さぬうちに終わったからだ。
フェイとラヴァンの二人は普段は普通の騎士の姿をしているが、戦場では部下を率いて指揮を執る身だ。騎士の中でも腕がよく、実戦経験豊富な騎士なのだ。
腕がいいからこそ、コウの護衛をしているとも言える。優れた騎士なのだ。喧嘩慣れしているとはいえ、下町のちんぴらの敵ではない。事実、フェイとラヴァンはコウを守りながらでも余裕たっぷりに男達を伸していた。

「お怪我は?」
「ない。ごくろうだった」

ラヴァンは無言で頷き、油断なく周囲を見回す。すぐに気を緩めることはない。実戦経験豊富な騎士らしい姿である。

「……背後関係を調べるか。…店主!」

フェイは慌てて駆け寄ってきた店主に軽くあごを杓った。

「縄を持ってこい。憲兵を迎えによこす。それまで適当な部屋にぶち込んでおく」
「はっ、はいっ!!」

緊張しきった店主は慌てた様子で店員に指示をだした。内心はコウたちが一体どういう素性の者なのか考えていることだろう。腕の良さや命じ慣れている姿から、ただの騎士でないことは既に気づかれてしまっただろう。
ラヴァンが店の入り口から顔をだして何か指で指示している。恐らく一般客などに混ざった部下に指示をだしているのだろう。コウが歓楽街へ来ているときは必ず平民に混じった護衛が混ざっているのだ。彼等は情報収集や連絡の伝達、非常事態には直の護衛としてコウを守ることになっている。
その様子を見ながらコウは一歩踏み出した。

「…店主」
「は、はい…」
「……困るな」
「……は……」
「彼がこれ以上傷つくのは非常に困る」

コウの静かな声音は緊張にシンと静まりかえった部屋に重く響いた。
持ってこられた縄を受け取ったラヴァンとフェイが男達を縛り始めた。そこへ店へ入ってきた別の二人の騎士達がラヴァンとフェイの姿に気づき、彼等に変わって男達を縛り始める。
次々にやってくる騎士達に店主も目の前の子供とばかり思っていた若い見習いがただの見習いでないことに気づいたのだろう。緊張に表情を強張らせている。

「私は寛容でありたいと思うが甘くはない」

二度とこのような事態を招くなという脅しは十分通じただろう。
言葉短く告げるとコウはフェイを振り返った。フェイはコウに頷き返すと懐から小さな袋を取り出した。包みは小さいが中身は宝石だ。質も良く研磨済みなので相応の価値がある。
コウは宝石が店主に渡されるのを見ながら、サヴァを抱き上げた。




目つきが悪く、睨んでいるように見えるせいか、はたまた、脅しも無視する態度のせいか、言われなきリンチを受けたサヴァは死を覚悟した。
それを助けてくれたのはいつもの上客だった。まさか助けられるとは思ってもいなかった。店の者達でさえ動こうとしなかったのに、金で買う買われるというだけの関係の客が助けてくれたのだ。思いもかけないことだった。

(マジで変わりもんだ。変わり者レベルも最高だな、こいつ…)

部屋まで運んでもらい、寝台に寝かせられる。客はまた寝台の質の悪さをぼやいている。

「こんな堅い寝台では体が痛むではないか」
(だから質が気に入らなきゃ来るなってんだ……それに今は俺が寝てるだけだろ)

蹴られ殴られたゆえの打撲の痛みが辛い。しかし目の前には客がいる。

「おい……助けてもらって悪かったな。傷だらけで悪ぃが抱くか?」

自分は何も持たない。礼と言えば体ぐらいしか思いつかない。流れている血が客について客を汚してしまうと面倒だ。とりあえず傷口は適当な布でしばっておくかと思っていると客は呆れ顔で告げた。

「私は怪我人を抱く趣味はない」

そういえば以前も似たようなことを言っていたなとサヴァは思い出した。つくづく彼とは奇妙な縁があるらしい。

「んなこと言ってたらキリがねえだろうが。あぁ、それじゃ、しゃぶってやろうか?口でやんのは慣れてねえが、それぐらいなら傷も気にならねえだろ?」
「いらぬ」

客は憮然として告げた。そこへノックの音が響き、室内へ新たな人が入ってきた。

「あ?」

入ってきたのは医者だった。一目で分かったのはこの世界の医師が使う一般的な鞄を持っていたからだ。その初老の医者は早速サヴァの体を診ようとした。

「ちょ、ちょっと待てよ。俺は医者に払えるような大金なんざ持ってねえ。おい、ジジィ、誰に頼まれたか知らねえが、俺なんざ診んじゃねえ」
「医師。そなたを呼んだのはこの私。その者の意見を聞く必要はない」

いっそ傲慢なほどきっぱりと言い、若い客はサヴァに目を細めるようにして睨んだ。

「私は客だ。そなたをどう扱おうと私の自由。違うか?」
「……へえへえ、判りましたよ。…っとに変人だな、アンタ」
「わざわざ呼んでくださったこのお方になんて言い方だ。馬鹿者!」

客ではなく医師に叱責され、サヴァはフン、と皮肉気に笑った。今更不興を買うことを恐れるような生き方はしていない。とっくに人生崖っぷちを歩き続けているのだ。

「医師、この者の怪我はどのくらいかかる?」
「さて…完全にと申されるのであれば半月。骨はやられておりませんでしたからそれぐらいでしょう」
「よかろう。前払いだ」

客が差し出したのは金貨だった。何気なく見ていたサヴァは驚いた。初老の客は苦笑した。

「お客様。前払いどころかお釣りが来ますじゃ。大変ありがたく思いますが、金貨は少々こうした街では使いづらいものでしてな。出来れば銀貨でのお支払いをお願い致しまする」

若い客は鷹揚に頷いた。

「よかろう。だがすぐには用意できぬ。後日部下にもたせる。それでよいか?」
「構いませぬ。ありがとうございます」

医者は丁重に頭を下げると部屋を出て行った。金貨を前払いだとあっさり渡せるような客だ。ここで焦って金をもらわずとも大丈夫だと悟ったのだろう。
平民が金貨を見ることはまずない。毎月の給金でさえ銀貨以下で支払われる世界なのだ。金貨は完全に貴族以上の持ち物。後ろめたい金が飛び交う夜の街でさえ、滅多に見ることがない。
そんな手の届かぬ世界の金が目の前で自分のために支払われようとしていた。

「あんた……馬鹿だろ」
「判ってはいたが、そなたつくづく無礼な男だ」
「…馬鹿を馬鹿と言って何が悪ぃ!!医者を呼んだり、その医者に金貨だぁ!?信じられねえよ!!それだけの金がありゃ一年以上遊んでくらせらぁ!!どこのおぼっちゃまだか知らねえが、んな金持ってんなら大切にしまっておけ。使うんじゃねえよ!!」
「……わけがわからぬ。私に判るように話せ」

サヴァは完全に頭に血が上っていた。自分の気が異常に高ぶっている自覚はあったが止まらなかった。

「ドブ金って知ってるか?アンタが使おうとしている金はそれだ。金をドブに投げ捨てようとしているのと同じって意味だ。役にもたたねえ金を使うぐらいなら、賄賂や服を買ったりして有効に使いやがれ。意味のねえことをするんじゃねえ!!」