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◆フィゼア(6)


「お前はずいぶんな上客を手に入れたな。これでお前を拾ったかいがあったってもんだ」
翌日、サヴァは店主にそう言われた。店主は上機嫌だった。サヴァは昨夜の客が店主に結構な金を握らせたのだろうと思った。結局は金の世界だ。金を湯水のように使ってくれる客こそ上客なのだ。

「ハン!!少しぐらいいい客がついたぐらいでいい気になるんじゃないよ!」
「そうよ。今までさんざん遊んで暮らしてきたんだから、ここでちょっと恩を返さないと何のためにこの店にいるんだかわかりゃしないじゃない」
「まぁ寿命が少々延びたと思うんだね」

店主は上機嫌だったが、他の同僚たちは不機嫌だった。中でも売れっ子のリナやシーダといった20歳前後の女達は露骨にサヴァをにらみ、嫌みを言って去っていく。

「……あぁ?うぜえよ、てめえら。焦ってんのか?」

鬱陶しく思ってサヴァが言い返すとリナは手入れされた爪の長い手でサヴァを叩いた。

「何ですって?この穀潰し!とっとと川に捨てられちまいな!」

言われずとも自分が上客の気まぐれで命拾いしているような状況であることはサヴァ自身自覚している。
心底叩き返したかったが、相手は女だ。しかも売れっ子のリナに傷でも付けたら幾ら上客がついたとはいえ、店主に殺されるだろう。サヴァはグッと耐えた。

「あまり気にするんじゃないよ。あんたのお客様がリナに靡かなかったんであの子、機嫌を損ねてるのさ」

昼食後、店の下働きの老婆がそう教えてくれた。食事はかろうじて具が浮いているような水っぽいスープだ。売れっ子の娘達はさすがにいいものを食べているが、サヴァは老婆たちと同じく残り物かこういったものしか食べれない。それでも食事をできるのでサヴァは文句を口にしたことはなかった。

「リナに靡かなかった?あの客、マジで変人だな」

豊満な体に誘い慣れた仕草、声も愛らしいリナはいつもすぐに客がつくような売れっ子だ。そのリナに誘われて動かないとはさすがのサヴァも驚いた。

「リナだけじゃなくてフィリにも靡かなかったのさ」

フィリは売れっ子の男娼だ。十代前半の愛らしさで男娼好きの客に人気がある。

「はあ…信じられねえ変わりもんだな」
「あんた、上客なのにそんなことを言いでないよ。せっかくアンタを買ってくださってんだから、ありがたく思わにゃあかんよ。あんたのために払われた首飾り、質の良い宝石が十個もついてたらしいよ」
「げえ、マジかよ…」

なるほど、リナが不機嫌で店主が上機嫌なわけだと思った。小さな店だ。リナでさえ宝石が複数ついた首飾りなど貰ったことはないだろう。そんな上客、滅多にこないのだ。

「あんた、幸運だよ。最後のチャンスだ、逃さないようにするんだよ」
「あー…できたら、な……」

言われるまでもない。しかし無理だろうなと思う。どんな客も一夜を過ごしたら二度と来なかった。続いているのは今の上客だけだ。しかしその上客はサヴァを抱かない。一体何をしにきているのか判らない。だからそんな上客を逃さない方法など全く思いつかないサヴァだった。




「最近、ヘンな店をお気に入りですね、コウさま」
黒髪黒目の色男な部下フェイはそう言い、剣にぱたぱたと磨き粉を振りかけている。

「……そうか?」
「質がよいとは到底言えません。裏で何をやらかしているか判りませんのでおすすめできませんが」

忠告かとコウは思った。フェイは柔軟な考え方ができる若い騎士だ。強く言ってこないということは見逃してはもらえるようだとコウは思った。本当に悪質な店ならきっぱり言ってくるだろう。

「それより街でよくねえ薬が流行ってるようですよ」

新たな話題を出したのはラヴァンである。
差し出された書類にコウは目を落とした。次の領主としてコウは幾つかの仕事をこなすようになっていた。

「『女神の囁き』?」
「あの手の街には薬はつきものですが、その『女神の囁き』は質が悪い。依存度が高く、激しい幻覚が伴うんです。依存度が高い薬は広まるのも早い。早めに手を打たねえと街の外にまで広がっちまいます」
「ふむ……ルートはまだ絞れていないんだな?」
「この手のモンはつぶしてもつぶしても生まれてくるモンですからね。チマチマやっててもきりがねえッス。要するにまとめて一網打尽にしねえと意味がありません」

コウは報告書を読みながらあごに手を当てた。深く考え事をするときのくせである。

「……なかなか巧妙な手口だな。これだけのことをこなす組織となると果たしてうちの領だけかな……大きな歓楽街を持つのは我が領だけではない」
「では…コウさま」
「大きな組織が後ろについている可能性がある。一網打尽にしたいという意見には賛成だ。少し本格的に動いてみるか」




騎士というのは選ばれなければなれない職だという。
騎士といえば平民がもっとも憧れる職業と言っていい。士官学校に入り、入団試験に受かれば、騎士になれる。武勲をたてると平民でも栄達が可能だ。実際、将軍職についた平民も多い。この国では貴族は軍人にならないものだからだ。栄達を望むなら軍人になるのがもっとも早道だと言われている。
しかしその分競争率も高い。ただの兵になるなら志願兵になればいいが、士官学校に行って、正式な騎士へなるルートを通らないと出世には遠回りだ。騎士と一般兵は待遇も雲泥の差なのだ。狭き門を通れた一部の人間だけが憧れの騎士になれる。
サヴァはいつもの常連客もその選ばれた一人なんだなと思った。サヴァより明らかに若いのに栄達の道を歩んでいる。命じ慣れているのも騎士だからなのだろうとサヴァは思っていた。見習いの服とはいえ、騎士服を着ている客がサヴァは内心羨ましかった。この国の子供であれば一度は騎士に憧れるものだ。サヴァも例外ではない。

(最近来ねーな)

元々頻繁に来る客ではなかったが、三ヶ月以上間が開いたのは初めてだった。飽きられたのかもしれないと思う。おかげで最近少し良くなっていた待遇が元に戻り始めている。飽きられたのなら用なしになるのも近いかもしれないと思う。半ば諦めていたことだが、さすがに死ぬのはいい気がしない。諦めていても、死がいやなのは人として当然だ。
がしゃんと何かが倒れる音がする。入り口の方を見ると柄の悪い男達が数人たむろしていた。娼婦の一人が、ドラグの男たちだわと呟いたのが聞こえた。最近羽振りがいい店の男達らしい。ドラグの店はいろんな商いをしているらしいが、いつも黒い噂が絶えない店で、評判はあまりよくない。しかし手に入れられぬものはないと言われている店ゆえによくない方の権力も多くもっていて、下っ端の男達も態度が悪く、大きな振る舞いばかりしている。
ふと、その中の一人と目があった気がした。
目があっただけで敵意を持たれる。そんなこともこの世界では珍しくないのだ……。