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◆フィゼア(5)


「あの騎士見習いの子、今日来るのかしらね。アンタみたいなヘンなのをお好みなんて変わったお客様だけど、よかったわね、見習いでも将来は騎士さまだしさ」
「そーだよ。あんたいよいよ殺されるかってとこだったのにさ。少しは寿命のびたじゃん」
「せいぜい呆れられないようにするんだね。物好きな常連さんがいなきゃあんたやばいんだから」
「そーそー、少しでも食い扶持稼ぎなよ」
「うるせーよ…」

うんざりしてサヴァが呟くと勢いよく頭を殴られた。女の力とはいえ、遠慮なく殴られるとさすがに痛い。

「ったく、相変わらず口悪いんだから、あんたはっ」
「そうだよ、少しは態度改めないとホントに捨てられるんだからね!川魚の餌になりたくなきゃ少しは愁傷にしな!!」

同僚達にはさんざんな言われようだったが、言われるのももっともだった。店主らの態度からどうしようもない娼婦と思われているという自覚はあるのだ。客の不興をかったことも一度や二度じゃないため、次に客に不愉快な思いをさせたら首だろうという自覚はある。次に行ける店はないだろう。そういう意味ではサヴァは文字通り、首一枚の立場だった。
粗末な食事を終えるとサヴァは洗濯へと向かった。客がつく日よりつかない日の方が多いので雑用をよく押しつけられるのだ。娼婦も売れっ子になると客に様々な贈り物をもらえる。服など装飾品はその最たるものだがあいにくサヴァはそういったたぐいのものは殆どもらえなかった。そのため手持ちの服は同僚達のお下がりばかりだ。怪しげなアイテムばかりプレゼントされるので同僚達の格好のからかいの的となっている。

(あいつ、今度はいつ来る気なんだか…)

金だけ払って、文字通りただ眠っていく変わり者の客は定期的にサヴァの元へやってくる。
頻度は多くないが、金払いがいいため、店主達の受けがいい。
口の軽い店員の一人から聞いた話によると初回にサヴァの一夜分の三倍の金を払ったという。元々サヴァの売値は安いが三倍となるとそれ相応の金額になる。その後も支払いが悪くならないため、店主達に気に入られているという。

(ホントにヘンな客だ……)

淡々と手を動かしていると、店の方が騒がしくなったようだった。
怪訝に思いつつ、井戸から濯ぎのための水を汲んでいると下働きの老婆が慌てたように店の裏から飛び出してくるのが見えた。



コウは表情を変えないまま不愉快に思っていた。
いつも最初に大きな店アラミュータへ向かい、そこで一人買った後にこの小さな店へとやってくる。そのため訪れる時間は遅い。
たまたまその流れを気まぐれに変えてみた。歓楽街はまだ日が落ちたばかりのため、客足も疎らだ。しかしこの時間は狙いの娼婦を買える可能性が高いため、そういう時間を狙ってくる客もいる。小さな店にもちらほらとそういう客の姿が見えた。コウ自身、いつも遅い時間に店を訪れるため、見慣れぬ娼婦の顔があった。いつもコウがくる時間には売れてしまっている娼婦なのだろう。
早速複数の娼婦より声をかけられ、誘いをかけられる。
意味ありげな目配せが店の中で飛び交い、ほら、あのお客様がという小さなささやきも聞こえた。意味はよく分からなかったが、小さな囀りのような笑い声が耳に届いた。

(いないな…)

遅い時間にしか出てこないのだろうか。しかしそんなはずはないだろう。客を取るのに遅い時間の方がいい理由などない。あまり売れていないようなことを当人も話していた。だから理由がない。

「…サヴァは?」

いつも買う娼婦の名をコウは初めて口にした。



理由あってサヴァはいない。今日は可愛い子がたくさん揃っているから他の子はいかがですか?と告げてくる店主にコウは無表情で応対した。
口調は丁寧だが、コウが若いせいか店主の態度は無礼にならぬ程度の適当な扱いであった。アラミュータではコウの素性が経営者側に伝わっているため、周囲にばれぬ程度に丁重な扱いを受けている。そのことを考えると雲泥の差だった。

「…いるのかいないのか、はっきりせよ」
「ですから今日はお会いすることができません。元々あの子は下働きに近い者でして、元々お客様のお相手をさせるのも躊躇っているところでした。ええ、本当に態度が悪くて。お客様もお困りになられませんでしたか?将来有望なお客様でしたらもっと相応しい子がおりますよ。この子などいかがですか?」

歓楽街で働くだけあり、さすがに口のうまい店主である。明らかに子供の我が儘だと思われていそうな表情を向けられたが、コウは気にしなかった。男を好むと思われたのか、かわいらしい少年が甘えるようにコウの腕にからみつく。
コウはため息を吐いて、ポケットを探った。あまり質がいいと言えぬ卓上へ複雑な細工の施された首飾りを無造作に置く。施された細工だけでも相当な価値だが、複数ついた宝石の質はかなりのものだ。一目でその高価さが判る首飾りに店主の目の色が変わる。

「……いないのか?」

再度問うと店主は慌てた様子で少々お待ちくださいませ、と告げて、店員を呼びつける。程なく店の奥へ案内をとやってきた店主にコウは鷹揚に頷いた。



サヴァが老婆に呼ばれて部屋へ向かうといつもの客がいた。妙に慌てた様子でせき立てられるように部屋へ連れてこられたので、客だろうとは思ったが、相手は意外な相手だった。普段は深夜にしかこない客がソファーに座っていた。

(うぉ、あのワイン……パレーソじゃねーか…)

卓上にはサヴァでも一目で分かる高価な酒が出されていた。珍しいことだとサヴァは驚いた。サヴァの客はそういう高価な酒を飲む客がつかないのだ。ふんだんに金を使ってくれる客がいないこともサヴァの価値をさげている一つだったが、目の前の客はそれなりに金を使ってくれる客らしいとサヴァは初めて気づいた。普段は寝ていくばかりだったので、酒の相手など一度もしたことがないのだ。
実は酒は店主側が勝手にだしたのだが、サヴァは知るよしもなく、いい酒だなと言いながら客の隣に座った。

「そうか。私は赤はあまり好まないから飲むといい」
「マジかよ?へへ、やった。……つか、あんた全然飲んでねーじゃねーか。いいのか?酒変えることもできるぜ?」
「べつにかまわん。それより何をしていた?」
「あ?洗濯だけど?」
「洗濯?娼婦は洗濯もするのか?」
「いいや、しねえよ。俺は売れねえから食い扶持稼がねえと川ン中だからな。やってるだけだ」

滅多に酒さえ口にできないサヴァは久々の酒に表情を緩めた。まず飲めないと思っていた上級酒はさすがに美味だった。客をさしおいて酒を飲むなど本来であれば考えられない行為だったが、客が何もいわないのでサヴァも遠慮しなかった。サヴァ自身、客に遠慮するような性格でないので尚更だ。少しは配慮できる性格だったら今のような状況に陥っていないだろう。

「川の中とは?」
「穀潰しに首切って捨てられるってことだ」
「そうか……」

客は呟き、ちらりと奥の寝台を見た。

「……あの寝台は質がよくない」
「あぁ?そりゃな。この部屋自体、最低の部屋だからな」
「私は不満だ」
「だったら寝るんじゃねーよ。もっといい部屋のいい娼婦がいるだろ」
「私はそなたを選んだ。他の者を選んだわけではない」

やはりヘンな客だと思いつつ、サヴァは寝られりゃいいじゃねえかと思った。屋根があるだけでずいぶん違う。地べたで寝る訳じゃないから十分贅沢だろう。
しかし客がそう思わなかったということを知るのは次にその客に会った時のことだった。