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◆フィゼア(4)


サヴァというのがコウが一夜を買った男の名である。
十歳になるかならないかの頃に娼館に売られ、その後は娼婦として生きてきた。
接客もしなければ媚びを売ることもなく、甚だ娼婦らしくないということで、経営者側の不興を買うことが多く、多くの店を転々とし、今の店は五店目である。
一度売られたら逃れることはできない。足抜けは死である。サヴァは逃げられぬように売られたときに足の腱を切られた。そのため、歩くことにはさほど不自由はないが、走ることはできない。サヴァと同じ境遇の娼婦は珍しくなく、特に男娼に多い。
サヴァは反抗的な者を好む男に好まれる。そういう男はサディストが多く、サヴァの客も例外ではない。ひどく跡が残るほど痛めつけられることもあり、サヴァの体は傷跡が多い。傷跡が多いと娼婦としての価値が下がる。サヴァは娼婦街でも場末の値段であり、扱いづらいということで特異な客にしか売れないため、娼婦としても最低ランクであった。


投げつけられた雑巾を手にサヴァは床を拭き始めた。
売れない、売れても安い、加えて反抗的ということで店側のサヴァへの扱いは悪い。部屋も狭く日当たりの悪い場所で、与えられる服や調度も他人の使い古しばかりだ。
協調性もないので、サヴァを庇ってくれる同僚もいない。逆に八つ当たりを受ける始末で、この日も掃除を押しつけられたところだった。

「ろくに稼ぎもできない穀潰しなんだから、掃除ぐらいしな!」

さすがに不愉快だったが、これをさぼると本当に食事を抜かれる。そのことが判っていたため、サヴァは舌打ちしつつも掃除を始めた。途端に舌打ちするとは何事だと蹴られる。日常茶飯事だったのでサヴァは特に反抗することなく掃除を続けた。

「ほんっとうにどうしようもねえ木偶の坊なんだからよ!」
「ここをでたら野垂れ死ぬしかないってことを自覚しな。うちが拾ってやらなきゃ死ぬっきゃないんだよ、テメエは」

毎日のように浴びせられる罵声は真実だった。借金を返せぬうちに売れなくなった娼婦は殺されることがあるのだ。下働きや護衛に回されるのはいい方で、使い物にならなくなった娼婦が首を切られて川へ投げ捨てられることは昔からある話であった。
そしてそれは身近な話としてサヴァは感じ始めていた。周囲の態度や視線で無言のうちに伝わってくるものがある。子供の頃から反抗的だったサヴァは最初から安い値で売られ、態度が悪いためにろくに客がつかなかった。そうしているうちに体が傷だらけになったため、値はますます安くなり、店を転々としたことで値の下降は続くばかりとなった。店を変われば常連もつかない。借金はふくれるばかりで返す目処は到底立っていなかった。


今夜も客はつかないようだとサヴァが思い始めた頃、その客はやってきた。
騎士見習いの服を身につけた前回の客はちらりと店内を見回し、サヴァを見つけると近づいてきた。
客がつく夜よりつかぬ夜の方が多いサヴァである。不遜な性格のサヴァだが、さすがに身の危険を感じている今、客がつくのは歓迎だった。部屋に案内すると服を脱げと告げられる。若いのに態度のでかい客だと思いつつ、脱げと言われたということは今日は抱くのだろうかと思っていると、その客はサヴァの体を真っ直ぐに見つめた。

「あまり傷が治っていないようだな」

性的な意味で見られていたわけではないらしい。ますますおかしな客だとサヴァは思った。

「はっ、あんた今日も突っ込まずに帰る気かよ。俺の傷なんざどーでもいいだろ。ヤるのかヤらないのかはっきりしろ。傷が嫌なら他のヤツ選べよ。あいにく俺の体は全身傷だらけなんでな」

相手が誰だろうと態度が変わらぬサヴァは素直にそう告げた。口が悪いのは元々で直らない。この口の悪さと性格が原因で殴られることが多く、売れぬ今の状況を招いているという自覚はあったが、サヴァ自身どうしようもなかった。
しかし客は怒らなかった。無表情でサヴァを見つめ返す。

「傭兵なのか?」
「あぁ?傭兵?んなわけねえだろ、アンタ馬鹿か?俺は生まれ育ちもこの町だ」
「ではその傷はどうやってついた?」
「あぁ?知りたいのか?」

ニヤリと笑ったサヴァは部屋の片隅に置かれた品々を指した。鞭や手錠、鎖や木馬といったサディスト用の品々を手に取るとサヴァは一つ一つ説明を始めた。
怒るか顔をしかめられるか、そう思ったサヴァだがやはり客の表情は変わらなかった。ここまで反応のない客は初めてだった。本当に変わり者の客だとサヴァは少し呆れた。

「どうだ?使ってみるか?俺の客はこういうのが好きな客ばかりなんでな。俺も慣れているからかまわないぜ」
「そうか。私は興味がないので不要だ」

誘いもあっさり退けられる。

「あんた何のために俺を買ったんだ?」

さすがに不思議に思って問うと客は淡々と告げた。

「そなたの傷の具合を見にきただけだ」


客はやはりただ寝るだけで何もすることなく帰っていった。
その翌日、サヴァを買ったのは別の客だった。
銀髪碧眼のその客はサヴァに預かり者だと言い、傷薬と包帯を渡した。
まさかと思って問うとやはり前日の客からの預かりものだという。
客は一晩分の金を払ったが、サヴァに何もすることなく帰っていった。
さすがにサヴァは不思議に思ったが、降ってわいた幸運をありがたく思うことにした。