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◆閉じた箱庭(8)


数日後、ウィリアムは兄である第一王子ローシャスに会った。

「ウェール家の後継者?あぁシェルと言ったか。あの黄竜一族は本当に面白いな。末の、それもまだ十代の子を後継者として発表するのだからな。やることが大胆というか何というか。あの家だから認められるのだろうな。だがそれで代々繁栄し続けているのだから間違ってはいないのだろう。見事なものだ」

そう言って笑う異母兄は、今まで、ウィリアムにとって超えることができない壁のようだった。
ウィリアムが欲するすべてを持っている兄。そう思えて、ろくに接することもできない相手だった。

「……兄上」

そう呼ぶとローシャスは片方の眉を上げ、にっこりと笑った。

「…ほぉ」
「何です?」

嬉しそうな兄にウィリアムは怪訝そうに眉をひそめた。

「いや、お前が私を兄と呼んでくれたのは初めてだと思ってな。頼ってくれたのも初めてなら兄と呼んでくれたのも初めてだ。それが嬉しくてなぁ…。
お前は少しも頼ってくれず、甘えてもくれず、寂しかったんだ。兄だというのにお前に何もしてやれぬことが悔しくてな」

ウィリアムは驚いた。てっきり嫌われているとばかり思っていたからだ。しかしこの言葉を聞く限りでは兄は自分を愛してくれていたらしい。

「ウェール家の件なら任せておけ。お前の望むようにしてやろう。今、彼はリーアとの婚約話が出ているのだったな。何とかお前に変えてやろう」
「ありがとうございます、兄上」
「いいや。だが意外だな。お前は王位を狙っていると思っていたのに」
「何故そう思われていたんです?」
「それはもちろんお前が戦場に出向いていたからだ。建国の王アンドレアスも最前線で剣を振るった武の王だったと聞く。最前線で戦うお前を『武人派の王子』として、民も慕っていると聞くからな。てっきり彼に倣っているのかと思っていた」

ウィリアムは驚いた。戦う己を見て、呆れている者が大半だと思っていたからだ。
実際、耳にする噂は酷いものばかりで、よき話は全く聞かなかった。だから反対されているものだとばかり思っていたのだ。

「そういうわけではありません。戦うのは好きですがそれだけです」

本音であった。戦うのは好きだ。だが王位を狙ったことはない。そんな資格などないだろうと考えたこともなかった。

「そうか?まぁ私としてはありがたいが。お前と争うのは正直辛いものがあったからな」
「そんなことは…」

王の血を引かぬ自分などライバルにすらならないだろう。そう思いつつ否定しようとすると、ローシャスは首を横に振った。

「いや、弟と争うのは辛いぞ。お前は出来る弟だから尚更だ」

『弟』だと言ってくれるのか、この兄は。
ウィリアムに関する噂を知らぬはずがないだろうに兄弟だと屈託無く言ってくれるのか。

『しっかり頭をあげて真っ直ぐ前を見て歩いて下さい。貴方はこの国が誇る王族なのです。貴方を王族と認める人が周囲にいらっしゃるでしょう?必ずいらっしゃるはずです。ならば誰がなんと言おうが、堂々としていればいいんです。貴方を認める人がいるのですから、その人たちの為にも堂々としていればいいんです』

シェルの言葉が脳裏に蘇る。
その通りだ。周囲に自分を認めてくれる人がいてくれた。すぐ間近にいてくれたのだ。
それに気付けなかったのは自分がそれだけ周囲を見ていなかった証拠だろう。自分で最初から否定して、見ようともしていなかったのだ。
目頭が熱くなる。
ふと気付くと兄に抱きしめられていた。

「泣くな。私が泣かせたみたいだろう?」

兄が少々困惑していることが判り、ウィリアムは笑った。
しかし躊躇いなく抱きしめているところを見るとこういう場合の扱いに慣れているようだ。

「…兄上、慣れておられますね」
「人聞きの悪い。私を遊び人のように言うんじゃない。確かにモテるが立場故だろう。本音で付き合えるものなどいないぞ。お前の側にいるティーガやクルークたちのようなものが私も欲しかったものだ」

あれほど人に囲まれていたくせに心開ける相手がいなかったということなのだろう。
なるほど、無い物ねだりとはよく言ったものだ。信頼できる友をもてた自分は兄にとって羨ましい存在だったということか。

「…いつか、兄上に想う相手ができたら協力しますよ」
「そうか、それは心強いな」

笑う兄の笑顔を見つつ、ウィリアムは目を閉じた。
居場所などないと思っていた。けれど周囲は最初からウィリアムに居場所を作ってくれていたのだ。ウィリアムがそれに気付けなかっただけで周囲は最初からウィリアムを王子として受け入れてくれていたのだ。
愛し守られていた。ウィリアムだけがそれに気付けなかったのだ。