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◆閉じた箱庭(7)


ウィリアムは戦場を好んだ。
戦場に身を置くと精神が高揚し、そのことによって逆に楽になるのだ。
麻薬に浸り、安心できるようなものだろうかとウィリアム自身は思う。
しかしよほどのことがない限り、王族が命の危険が伴う戦場へ出ることなどあり得ない。少なくともパスペルト王国ではそうだ。
しかしウィリアムは周囲の制止を無視し、戦場に出ている。顔をしかめるが王はきつく止めようとはしない。その理由をウィリアムは知っている。死んでも問題ないからだ。

血を浴びるのが好きだ。生きていると実感できるからだ。
死を与えるのが好きだ。結局、生き残った方が勝ちなのだと実感できるからだ。

戦場でウィリアムを止める者などいない。結局、皆、命が惜しいのだ。
血濡れた王子、気狂いの王子と影で呼ばれていることをウィリアムは知っている。
それでもいい。
どうせ生まれたときからいるべきではない存在なのだから。
王家にいること自体、本来あり得ない存在なのだから。


++++++


「何ですか、そのお姿は。お見苦しい」

海戦に出た後、戻った港で、ウィリアムはたまたま用があって港に来ていたシェルと鉢合わせた。
戦場のままの姿のため、ウィリアムは血まみれの姿であった。その姿を見たシェルの開口一番の台詞がそれであった。
第二王子であり、将でもある人物へ、遠慮のない台詞に周囲が青ざめる。気に食わぬ相手に容赦のない王子であることを知るので尚更だ。
しかしシェルは怖じ気づくことなく、しかめ面のまま、告げた。

「着替える時間すらなかったのですか?ご身分に相応しき服すらなかったと?ならば当家がご用意いたしますのでどうぞお越し下さい」
「お前は私に遠慮がないな。怖くないのか?」

誰もがウィリアムには極力声をかけてこない。幼なじみの三人以外は当たらず障らずの様子でウィリアムに接する。機嫌を損ねたらいつ殺されるか判らないとばかりに怯えている。
実際、口の悪い幼なじみティーガには『あんたはうっかり触れたらすぱっと切れる抜き身の刃のようだ』と言われたことがあるので相当なのだろう。

「私を罰されるおつもりでしたら、まずご自分の振る舞いを振り返った上で罰して下さい。貴方のそのお姿は泥まみれになって遊んで帰ってきた子供と大差ありません」

ぴしゃりと言い放ったシェルは呼び止めた馬車の御者に多めの金を払った。そしてさっさと馬車に乗って下さいとウィリアムへ告げた。本気で店へ連れて行くつもりらしい。

「平民は王族に夢を抱いているものです。そんな夢を打ち砕くようなお姿は極力民へ見せないでください。見せかけだけでも綺麗にして下さらないと困ります」

よく聞けば失礼なことを言われているのだが、シェルに言われればそうかもしれないと思えるから不思議だ。
促されるがままに馬車へ乗ると、シェルが家の者と海軍の騎士に何かを言いつけているのが見えた。どうやらウェール家がウィリアムの護衛も引き受けてくれるらしい。

「お前は私が怖くないのだな…」
「なんです?先ほどから。私に嫌われたいと?」
「いや…そういうわけではないのだが…」

言いながらウィリアムは自分の心に気づいた。嫌われたくない。それは確かだ。だがそう思った相手は初めてだった。今まで他人の自分へ対する気持ちなど考えたことはなかったのだ。

「嫌われようとする行為は愚かだと思いますよ、ウィリアム様。何のメリットもありません。人に好かれて感謝される方が何倍もいい」
「…商人の基本か?」

ウィリアムがそう揶揄するとシェルは呆れ顔になった。

「何を仰ってるんですか、人としての基本ですよ」

人としての基本か、とウィリアムは思った。
今まで誰もそんなことをウィリアムに話してくれた者はいなかった。
いつも多くの人に囲まれていたけれど、誰だってウィリアムと深く接そうという者はいなくて、表面上だけの付き合いだった。
多くの家庭教師がいたけれど、政務など王族としての知識以外を教わったことはない。
まして遠慮無くウィリアムを叱責するものなど一人もいなかった。

「そういえば…私には怒るくせにお前も随分な姿をしているような気がするが?」

シェルは見るからに平民の姿だった。
肌触りが悪そうな目の粗いざらざらの布地、いかにも洗いざらしに見える。裾には幾度か修復したような後があり、腰で結んだ布は端がボロボロだ。
清潔感だけはありそうだが、お世辞にも貴族の子であり、大商人のシェルが着るようなレベルの服ではない。

「ウェラの街へ行っておりましたからね。あの街の平均的な服がこれです」
「ウェラ?以前、被災にあった街か」
「そうです。あの街の平均がこれです。ウィリアム様、私は商人です。そしてキラキラと着飾った良い服を着ている相手から何かを買おうと思う貧乏人はいません。質の良すぎる高価な品ばかり扱っていると思われるだけです。同じ視点、同じ立場に立たないと小さな町での売買は成り立たないのですよ」

ウィリアムは驚いた。
自分よりも若く、そして未熟に見える相手が、既に大人顔負けの頭脳と視点を持っている。
驚かずにいられなかった。

「どれほど汚い服だろうと皆誇らしげに着ている。それは彼等が一生懸命働いて得たお金で手に入れた服だからです。貴方は民の服を見て考えなければならない。貴方が国を豊かにすればするほど、彼等も豊かになり、よき服を着れるようになります。衣食住のうち、衣は優先順位でいえば中間なのです。まずは食べ物、次に服、最後に住まい。人は生活が豊かになれば、よき服を買おうとするもの。売れる衣類の質があがるのは国が豊かになっている証拠なのです」

十代半ばの少年が王の視点で国を見ている。
これがウェール一族かとウィリアムは感嘆した。
同時に父王の言葉を思い出した。

『黄金竜の一族、世界のウェールと呼ばれているのは伊達ではない。そう言われるだけの理由が彼等にはある。単純に店の数や網羅している広さだけではない』

なるほど。
未だ十代半ばの少年がこれだけの視点を持っているのだ。噂は伊達ではないということなのだろう。

気づけば、血に高揚していた気持ちが穏やかになっていた。
シェルと会えばいつもそうだ。
彼の語る現実に引き込まれ、暗く落ち込んだ精神が引き上げられる。彼と一緒に居れば悲壮感に浸ることなど許されなくなる。彼の語る現実や未来を見る視点に同調させられる。
彼は己の商人としての責任感と共にウィリアムへ王族としての責任を押しつけてくる。
それは貴族として臣下として当たり前のことなのかもしれない。けれどそれが不思議に不快ではないのだ。彼がいつも当たり前のことを当たり前のこととして語っているからだろう。

「お前は……私が王族だと思うか?」

彼ならどう答えるだろう。そう思いつつ、ウィリアムは爆弾を放ってみた。
ウィリアムが王族の血を引かぬ王族であることは半ば周知の事実だ。
ウェール家の後継者と言われるほどのシェルだ。知らぬはずがないだろう。

「当たり前です。認めぬ相手に頭を下げるわけがありません」

さらりとシェルは答えた。

「王を王と認めるから我々は従うのです。極端な話、民は王がいなくても生きていける。単にせっせと働いて生きていけばいいだけですから。ですが、それが長く続けば秩序が乱れ、社会が混乱し、生きづらくなる。それを整えるため、国の方針を掲げてあるべき道へ導くのが王です」
「…私が王の子でなくてもか?」
「どんな国だろうと国を作りし最初の王は『王の子』じゃありませんよ。世界中にはいろんな生まれの王がいます。その中には大変優れた王もいます」

そういえばシェルは世界を網羅する商人一族の生まれだ。当然様々な国の事情をウィリアム以上に知っているのだろう。
彼に言われれば血筋などそれだけのことだと思えるから不思議だ。

「当家も伯爵家ですが直系はいろんな血が混じっていますよ。おまけに四代ほど前の当主はウェール家の生まれですらありません。従業員の中から実力だけで選ばれたそうですから。まぁその時点でウェールの直系は先祖代々じゃなくなっていますよ、血筋の面だけで言えばですが。ですが当家はつつがなく続いております。何の問題も発生していません」

貴族の私が言うのもなんですが、血筋などその程度のものでしょう、とシェル。

「しっかり頭をあげて真っ直ぐ前を見て歩いて下さい。貴方はこの国が誇る王族なのです。貴方を王族と認める人が周囲にいらっしゃるでしょう?必ずいらっしゃるはずです。ならば誰がなんと言おうが、堂々としていればいいんです。貴方を認める人がいるのですから、その人たちの為にも堂々としていればいいんです」

シェルの言葉で脳裏に浮かんだのは幼い頃から一緒の幼なじみたちだった。
彼らは最初から第一王子ではなくウィリアムを選んで側にいてくれた。
いつも剣の相手をしてくれたクルーク。からかい混じりで側にいてくれたティーガ。優しげな容貌で鋭い発言をするノイ。
ウィリアムを恐れることなく、彼が振り返ることが無くても、常に一緒だった。
彼等はウィリアムのために手を罪に染めてくれたのだ。ウィリアムが王族で有り続けるために共に手を汚してくれた。
ウィリアムが我が身を認めねば、彼等が罪を犯した意味がなくなってしまう。シェルの言うとおりだ。彼等のためにも自らを誇りに思い、王族として生きていかねばならない。

「……ありがとう、シェル」

暗い迷路のような道を歩んできた。
自分がなんのために存在しているのか判らぬまま生きてきた。
自分がいていいのか判らぬ王家という居場所を守るために母を殺した。
そのために友を巻き込んだ。

『あんたがやらなきゃ俺たちだけでもやってたよ』

皮肉屋なティーガがそう言ってくれたが、その行為の正当性はうやむやになったままだ。
生まれを罪というのなら存在すら許されない身だ。
それでもただ生きてきた。
その生きるという正当性を教えてくれたのはシェルが初めてだ。

(生きていても、いいんだな……)

「ありがとう、シェル」

重ねて礼を告げられた意味が分からなかったのだろう。シェルは怪訝そうな顔になった。

(やっと……救われる)

犯した罪は拭えない。自己保身のために罪のない者達まで巻き込んだのは事実。
それでもただそう思えた。やっと救われる。
生きていてもいいのだと思える。
この世界に生まれてきて、やっとそう思うことができた。