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◆閉じた箱庭(5)


その日はとてもうす暗く、雨が降っていた。
前日からの雨で地盤が緩み、土砂崩れが起きてもおかしくない状態となっていたのも好都合だった。
人気のない山道を選び、ティーガの風、クルークの水の印で土砂崩れを起こし、妃の一行を土砂に押し流した。

確実にしとめることができたか、確認のため、ウィリアムは現場に向かった。
雨のため、ウィリアムの体は冷え切っていた。
黒髪の先からポタポタと滴が落ち、青い瞳は体と同じように冷えた眼差しで目的の相手を捕らえた。
王妃は生きていた。
半ば埋もれかけた馬車からドレス姿で出てきたところだった。

「あなた……どうして……ここに」

驚く王妃にウィリアムは低く笑った。
己の不運が、この巡り合わせが妙におかしくて仕方がなかった。
土砂で死んでくれれば直接手を汚す必要はなかったというのに、運命はとことん自分に皮肉なさだめを用意してくれるらしい。

己が王の血を引いて生まれてこなかったのは自分のせいではない。
目の前の女を母として生まれてきたことも自分の罪ではない。
すべては運命の名の下に紡がれた人生の巡り合わせだ。
だが今からすることは自分自身の罪だ。
王家の一員として自分が生き残るためには彼女が邪魔なのだ。そのために自分は王妃を殺す。母を殺すのだ。

ウィリアムは王妃の首元の服を掴むとそのまま地面へ顔を押しつけた。
足下は崩れた土砂のためにどろどろだ。このまま押しつけておけば窒息死させることができる。
王妃は必死にもがいているがそれも最初の1、2分のみだった。親子とはいえ、十代半ばのウィリアムは長身の方だ。細身の王妃では到底敵わぬ力を身につけている。
ウィリアムの方も必死だった。無我夢中で母親の顔を地面に押しつけた。
雨はまだ降り続いている。天候のせいで昼間だというのに周囲は夜のようにうす暗いのも好都合だった。仮に目撃者がいたとしてもどうにでも誤魔化すことができる。もっとも忠臣である三名が生き残りは殺してくれているだろうが。

一体どれほど押しつけていたことだろうか。

雨でぐっしょりと濡れた体が冷え切った頃、ウィリアムは母だった女性から手を離した。
雨は降り続いていく。このままウィリアムがいた痕跡も雨水が土砂と共に流し、消してくれるだろう。
すべては雨と共に流れ、消し去られていく。

(これは罪だ…)

王妃を殺すため、周囲の罪のない者達まで手にかけた。
そのために幼なじみ三名も巻き込み、罪を犯させた。
皮肉屋なティーガはともかく、潔癖なクルーク、そしてノイまで巻き込んだのだ。
ウィリアムがいなかったら道を踏み外すことなどなかったであろう三人の人生までウィリアムは汚させてしまった。自分自身のために。
自分に王の血は流れていない。にも関わらず王家への忠誠のため、従ってくれた三人は一体どう考えているだろうか。
しかし、自分は王家以外に居場所がない。王の血は一滴も流れていないにも関わらず、それ以外の居場所を知らないのだ。

ウィリアムは自身の手を見た。
血などない。
しかしウィリアムの目には、己の手が見えぬ血で真っ赤に血塗られているかのように見えた。