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◆描けぬ声が囁く夜(3)


宴当日。シェルは内心ため息を吐きつつ、宴の場に入った。
さすがに世継ぎの王子主催の宴だけあり、次代のパスペルト国を担う者達が選ばれて集まっている。
美男美女で名高き者もいれば、公爵家の跡取りや、当代一の歌い手と噂されている者など、顔ぶれも多彩だ。
シェルはなるべく目立たぬように壁際を選びつつ、王子らの場所を確認した。
さすがに第一王子は一番いい場所にいる。周囲に集まっているのも見事な顔ぶれだった。
まず美姫と名高いティーア姫。艶のある栗色の髪が美しく背を覆っている彼女は正妃候補の一人だ。
その隣には同じく正妃候補のイザベラ姫。黒髪の巻き毛と目鼻立ちのはっきりした顔、そして豊満な体を持つ派手な容貌の美女だ。
そして大きな権力を持つ、シンラ公爵家の跡継ぎであるラギ。海軍の若き名将ティーズ将軍、そして第一王子の側近と名高いカーンもいる。
宴には次代のこの国を担う者達が勢揃いしていた。

一方、第二王子ウィリアムはシェルと正反対の窓際にいた。着ている服は貴族服というより軍服のようなつくりの服で、ところどころに使用された宝石や刺繍が彼を王族だと知らしめていた。
周囲には彼と仲の良い軍の要職に就く者達がいる。剣の達人でも知られるウィリアムは武闘派の王子だ。実戦に出たこともあり、命知らずの王子という異名もある。そんなこともあり、軍人に知人が多い彼は将来、将軍職に就くのではという噂もあった。

(気づかれずに済むかな?)

無理だろうなと思いつつ、無理矢理連れてきた兄のことを思った。
時間が迫っていたので家の者に支度を頼んで任せてきた。シェルの命令は絶対に聞いてくれる者達なので間違いはないだろうが、少々不安になる。

(完璧に遅刻だし…全く。王子主催の宴に遅刻なんて、本来ならとんでもないことだぞ)

思わずため息を吐いているとようやく兄が宴の間に入ってきた。
さすがに格好だけは宴に相応しい一流の格好をしているが、招待されるのも誉れ高き場とは思えぬような仏頂面だ。しかも手には不似合いな紙袋を持っている。
そして肩にはルー。何故王宮まで一緒に来ているのかが判らない。

「おい、バディ…」
「あ、シェル。おい、お前、これを王子に渡しておいてくれねえ?俺、出たから帰るし」

一分もしないうちに帰るという兄にシェルは呆れた。出たうちに入るわけがない。

「今来たばかりで帰れるわけがないだろうが。せめて自分で渡せ。なんだこれは」

その間に、ルーは無言でシェルの肩に飛び移った。何が目的なのか周囲を見回している。
恐らく王家にある美術品の確認だろうなとシェルは思った。ルーは時々王家に美術品を眺めについてくるのだ。

「だからー…」
「バディ」

口論していて目立ったせいだろう。案の定というべきか、名を呼ばれた。
宴の中央の場で楽しげな笑みを浮かべていた第一王子ローシャスは心底嬉しそうな表情を浮かべて、周囲の取り巻きから抜け出し、宴の場では末席のようなところまでやってきていた。

「何故最初に私のところまで来てくれないのだ?薄情だぞ。私の生誕の日を祝いに来てくれたのだろう?」
「俺は、これを渡しに来ただけだっ」

バディは紙袋を突きつけるように王子に渡した。
だから、なんだそれは、とシェルは不安に思った。確認をする前に手渡されてしまったことが心底悔やまれる。
不思議そうに紙袋を開けたローシャスはにわかに顔をほころばせた。

「パンか。もしかして私のために焼いてくれたのか?」
「つ、ついでだ、ついでっ!ちょっと出来がいいのが出来たから、食わせてやろうと思って…」
(それは出来がいいのをわざわざ王子へ選んで持ってきたと言ってるようなものだぞ、バディ…)

ローシャスはその場でパンを千切ってそのまま口に入れた。
素人が焼いたパンだ。王宮で一流の料理人が作っているパンと比べるとほど遠いだろう。しかしローシャスは嬉しそうに笑んだ。

「こんな暖かな贈り物は初めて貰った。むろん、手作りの品も初めてだ、ありがとう、美味しいぞ」

本当に嬉しかったのだろう。ローシャスは感動したように言うとバディを引き寄せて額に口づけた。

「…あ、あんた、安上がりだ…」

材料費ぐらいしかかかってないのにと呟くバディの顔は真っ赤だ。誰が見ても照れ隠しにしか見えないだろう。ローシャスにもそう思えたらしく、嬉しそうにパンを更に食べようとする。

「あとにしろって。それは朝用なんだから!」

変な理屈をつけてバディが止めようとしている。

(ローシャス王子にはバディのような裏表のない性格の者が新鮮で気持ちがいいんだろうな…)

世継ぎの王子という地位は楽ではない。王宮は地位と権力を欲する者達による、負の感情に満ちた権謀術数の場だ。
その点、バディはそれらを欲さない数少ない人間だ。ウェール一族という王家とは違った意味で大きな力を持つ家の生まれで、元々それらが必要がない。
そして裏表がないと丸わかりな単純明快な性格。しかし、行動は意表を突き、おもいもかけないことをやってくれることがしばしばで飽きない。トラブルメーカーでもあるが、その真っ直ぐで純粋な性根は気持ちがいいほどだ。

「おい、ルー。お前もう少しバディの肩に乗っていろ」
「別に構わんが…」

どうやら天井からつり下げられているシャンデリアの作りが気になっているらしいルーは気もそぞろの様子であっさりとバディへ飛び移った。
第一王子の正妻を狙っていた者や側近たちの嫉妬に満ちた視線が痛い。『黄金竜』であるルーの存在を知らしめて少し牽制しておく必要があるだろう。
滅多なことはないと思うが、用心するに越したことはないだろう。
内心、やれやれと思っていると、名を呼ばれた。

「リーア姫…」
「ふふ。兄さまが可哀想。そろそろ行ってあげてくださらない?」

毎日、暦を見てため息を吐いておられるほど、会いたがっておられたのよ、と言われ、シェルは苦笑した。王女に言われては逆らえない。
念のため、ルーにバディの護衛を頼んでからそのまま窓際の方へ向かう。わざとウィリアムのいる方角を避けて、テラスへと出た。