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◆霧の記憶(6)


ユージンは放課後の廊下を歩いていた。
エルザークの友であるユージンは、エルザークが好きだ。
彼はこのことを隠しておらず、エルザークはエルザークできっちり断っている。そのため、ユージンの片思いという状況が一種の公認となっている。
ひょうひょうとした性格のユージンは、周囲の公認状態の片思いという状況を特に不満には思っていない。
それでも時にはつらいと思うこともある。

(あぁ、運が悪い。あんなところを見ちゃうなんて…)

最近、ぐんぐん背が伸びている後輩とエルザークが空き教室の一つで何かをやっていた。
恐らくはエルザークが勉強を教えていたのだろう。
教室に入って、声をかけようとした瞬間、その後輩がエルザークに口づけるところが目に飛び込んできた。
そしてユージンにとってショックだったのは、エルザークがそれを拒まなかったことだ。
応じるように片手を相手の髪に絡ませていた。

(タイミングが悪かったなぁ…)

出会った時は小猿のようだった後輩は、背が伸びるにつれ、どんどん見目がよくなっている。ただの子供だと思っていたが、一人の男だということを思い知らされた。

(まぁ、最初から断られているんだけどさ…)

それでもまさかあの後輩に負けるとは思ってもいなかったのだ。
エルザークが選んだ相手があの後輩であることがショックだった。

(アーノルドのどこがいいのさ)

そう思うが、『運命の相手』ということが理由だろうと思う。
エルザークのように警戒心が強く、頑ななタイプは、人に心を許すのに理由がいるのだ。何らかのきっかけがなければ、なかなか心を許さない。そんなタイプなのだ。
アーノルドはよく言えば純粋、悪く言えば単純だ。しかし、そんなところが、エルザークにはよかったのだろう。判りやすすぎるぐらい判りやすい人間であるアーノルドは、何も警戒する必要がない貴重な人間だからだ。

ユージンの側には、エルザークと同じタイプの人間がもう一人いる。ロイだ。
彼も人見知りするタイプだ。そしてエルザーク以上に交友関係は狭く浅いだろう。
しかし、エルザークとロイの側には、彼らと正反対の人間がいる。それがオルスだ。
いつも笑顔で人に好かれやすく、呆れるほど広い交友関係を誇っている。
来るもの拒まず状態で、何でも受け入れる。
それでいて、去る者追わずかと思えば、なんと、追っている。それがロイだ。
あれでいて勘がいいロイは、深入りするなというユージンの忠告の意味に気づいたらしく、何度かそれとなく距離を置こうとしていたようだ。しかし、邪気のないオルスに引き戻され、結局、つかず離れず状態の交友関係を続けている。
結局こういうのは惚れた方の負けなのだ。意図的に離れようとしても、惚れた相手に誘われれば抗いにくく、悪気なく話しかけられれば無視するのも難しい。

『最近ちゃんと食べているのか?痩せたようで心配だ』
『少し課題が多いな。一緒にやらないか?』

そんな何気ない言葉や誘いも、オルスに言われると無視できないのだろう。
オルスがちゃんとロイを見ている証でもあるし、一緒に過ごしたいという気持ちでもあるから尚更だ。
しかし、これらの言葉はロイにとって甘くもあり、残酷でもあるだろう。紛れもない友人としての誘い以外の何者でもないからだ。
あまり友人を持たない人間にとって、オルスはとても眩しく甘美に感じられる存在だ。
無条件でその手を差し伸べてくれ、甘い言葉を紡ぎ、抱擁してくれる頼りがいのある友だ。
例え傷だらけになっても、その手を躊躇わずに差し出してくれる。そんな人間に目を向けられて、そらさずにいられる者がどれぐらいいるだろうか。

自分でもどうしようもない。どうにもできない。これが感情だ。
特に人を想う感情はどうしようもない。コントロールできない。
あいつのどこがいいんだと四六時中考えても結論がでないのだから、これほど厄介なこともない。

(けど、あいつはやめておきなよ、ロイ。オルスに惚れてもどうしようもないよ。きっと俺以上に辛い思いをすることになるよ)

オルスは広くて深い海のような男だ。
何でも清濁関係なく受け止めて、清めてしまう。
何であろうと受け入れるが、ただ受け入れるだけだ。深みにはまって、気づいた時には逃れられなくなってしまう底なし沼のような男だ。
オルスに惚れても救いはない。
彼はただ、受け入れるだけなのだ。何であろうと受け入れてしまうのだ。

(友人にしておくんだ。彼は友としてならば最高の男だから)