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◆霧の記憶(5)


サボっていたツケはしっかり成績に反映される。
アーノルドほど酷くはないが、勉学が遅れていたロイは進級のために授業をサボれなくなった。
しかし、ここで留年したらオルスに申し訳がたたない。おまけに彼の後輩になるのもイヤだ。
せめて対等な位置でいたいと思い、ロイは勉強することにした。
そのロイに思いがけず手を差し伸べてくれたのはエルザークであった。
彼は自分の勉強をする合間に、ロイに判らないところを教えてくれた。

「放置していた俺が馬鹿だった」

お前自身の問題だから極力関わらなかったんだと言うエルザークは、ロイとオルスの行動にはとっくに気づいていたらしい。そのあげくにあの事件が起きたものだから、後悔しているらしかった。

「お前のせいじゃねえよ」

あれはロイが発端で起きたのだ。責められるべきはロイ自身なのだ。

「それでもだ。あいつが馬鹿で救いようがねえ考え方をする奴だってことは知ってたんだ」
「あ?それはオルスのことか?」
「そうだ」

あのオルスをここまでけなせるのはエルザークだけだろう。
その言い様にロイが呆れていると、クラスメートのユージンがやってきた。教師がエルザークを呼んでいるという。
去っていったエルザークの座っていた場所に、ユージンはそのまま腰掛けた。手には日誌がある。彼は今日、日直なのだ。

「気をつけなよ、ロイ。オルスにはあまり深入りするんじゃないよ」

ユージンもまた、オルスとは仲がいい一人だ。
彼はエルザークの友であり、オルスとも交流があるのだ。

「あぁ?そんなつもりはねえよ」
「だったらいいけどさ。オルスは難しい奴だよ。彼は器が大きいけれど何もかも飲み込んでしまう大きさだと思うのさ。それも救いようがない類の大きさだと思う。友人としてはいい奴なんだけど、友人どまりにしておかないとつらい思いをすると思うんだ…」

のちにロイはこの忠告を嫌と言うほど痛感することになる。

++++++++++

その翌年のことである。
壁に張り出された順位表を見上げていたロイは、エルザークに肩を叩かれた。

「やったな、入れたじゃねえか」
「ありがとよ」

20位ぎりぎりではあるが、ロイは学年の上位のみが張り出される順位表に加わることができた。

(こいつらのおかげだ)

今のロイは素直にそう感じることができる。
口は悪いが性格は真っ直ぐなエルザークはロイを見捨てず、根気強く勉強を教えてくれた。
時にはロイが苦手なアーノルドも一緒だったが、付き合っていくうちにアーノルドへの苦手感は薄れていった。アーノルドは弟よりも遙かに素直で単純な性格だった。退廃的な雰囲気があり、ひねくれているロイにも素直に接してくる。邪気のないアーノルドをずっと嫌い続ける方が難しかった。
学年トップクラスのオルスやエルザークと勉強しているおかげで、成績の方も順調に伸びていった。もともと頭の回転は早い方だったのだ。真面目にやれば成績も追いついていった。

(今回のトップはオルスか。珍しいな)

いつも五位内にいるが、トップを取るのは初めてかもしれない。

「くそ!何故なんだ!」

よくトップを取っているルイが悔しげに呟いている。

「気合いを入れて、回答欄を見落とさないよう努力してみたんだ」
「馬鹿にしているのか、それはっ!!」

オルスの返答にルイがキレて怒鳴っている。

「あー、悪かったな、冗談が下手な奴で。トップを取るか取らないかなんて、問題を間違うか間違わないかしかねえだろ。次、頑張れよ」

ロイが隣から宥めると、ルイは怒りつつ去っていった。

「冗談じゃないんだが」
「判ってる。だからタチが悪いんだよ、テメエは」

いろんなことが自然で、だから質が悪い。
人を惹き付けることも、人を助けることも彼にとっては空気のように当たり前で、悪気がなく、だからこそ質が悪い。
自分だけが特別ではないかと、ありもしない裏を探しては落胆してしまうのだ。

そこへ、オルスに懐いている後輩たちがやってきた。
成績があがりました、だの、頑張ったんですが、友人に負けてしまいました、だの報告をし合っている。

「そうか、よく頑張ったな」

オルスも一人一人からの報告を聞き、笑顔で頷いている。
この光景はしょっちゅうあることなので、ロイもいちいち妬いたりはしない。ただ諦めて見ている。オルスはいつも誰にでも優しくて平等なのだ。
その隣ではアーノルドの試験結果にエルザークが頭を抱えている。

「ほら、頑張ったでしょ!?」
「いや、これは頑張ったうちに入らねーだろ!?平均点の半分以下は赤点っていうんだぞ。これはどう考えても赤点の点数だろ!?」
「前回よりは上がりましたよ」
「前回は今回より難しい内容だっただろーがっ!平均点が違っただろ!気付け!」

あのオルスとエルザークの二人に教わっているにも関わらず、アーノルドの成績は相変わらずのようだ。
ロイの隣から伸びた手が、アーノルドの頭を撫でた。

「まぁ、そう怒るなエルザーク。アーノルドも頑張っているんだから。……ん?背が伸びたか?」
「はいっ!」
「………確かに伸びたな」
「へへーっ、先輩達を追い越すかもっ」
「楽しみだな」

そう言って笑うオルスと反対に、エルザークは複雑そうにアーノルドを見ている。

「小猿のくせに」
「小猿って酷いッス!」
「まぁ、伸びた方が体と印にはいいよな」
「でしょ!頑張って先輩達より強くなりますからねっ」
「頭もどうにかしてくれ」
「エルザーク先輩、さっきからひどいッス!」

いくら何でもこの成績じゃなぁとぼやくエルザークの手元を見たアーノルドが眉を上げた。

「あれ、そっちの紙、何です?進路…調査表?」
「あぁ、今日配られたんだ」
「先輩たち、ディンガル騎士団じゃないんですか?」
「いや、第一志望はそこだが、近衛も受けろって先生たちに言われてるんだよな」

それはエルザークたちが成績上位者だからだろう。エリート騎士団である近衛軍の合格者を増やしたいという士官学校側の思惑が動いているのだ。
しかし、最初からディンガル騎士団志望であるエルザークには近衛を受けるメリットがない。王都まで遠路はるばる行くのも面倒くさい。

「先輩、従兄弟の方が近衛軍じゃなかったですか?」
「シード兄貴のことか。確かにシード兄貴は近衛軍だが、俺は近衛って柄じゃねえよ。俺はこのディンガルで育ってきた。ディンガルが好きなんだ」
「へー。でもよかったッス。俺もここが好きですから」
「オルスは?」
「俺もディンガル騎士団志望だ。ここが地元だからな」
「先輩たちなら受かるでしょうね!」
「あのな、アーノルド。ディンガル士官学校生の場合、成績上位者はディンガル騎士団への推薦枠があるんだよ。俺とオルスは余裕で枠内だ」

つまり志望さえすれば受かるのだ。

「えー!ずるいッス!」
「アホか、日頃の努力の結果だろうがっ!」

ぎゃあぎゃあと怒鳴り合う賑やかな二人を見つつ、オルスはロイに笑んだ。

「お前も来るだろう?」
「あぁ」

もちろんディンガル騎士団を受けるつもりだ。
現状では推薦枠は微妙だが、試験を受け、順当に行けば受かることが出来るだろう。

(俺が騎士か。入学した時は考えもしなかったな)

「頑張ろうな」
「あぁ」

差し出された手に少し驚く。
あまり自分からスキンシップをしてこないオルスからの珍しい行為に、ロイは照れくさく思いながらも握り返した。