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◆霧の記憶(4)


オルスが受けた被害は内容が内容であったため、極力伏せられたらしい。恐らく歓楽街で会った二人の騎士による配慮だろう。
しかし、それでも身近な人間には知られてしまうものである。
翌日、ロイは出会い頭にエルザークに殴られた。

「本当は、お前を殴る権利はオルスにあるんだろうけどな!これは俺の友を傷つけた分だ!」

恐らく、あいつはお前を殴らないだろう、とエルザーク。

「いつまでも自分だけが不幸みたいな面をしてるんじゃねえ!お前より不幸な奴は幾らでもいる。俺たちはこれから戦場に出る身だぞ。テメエみてえな奴と戦場に立つのはごめんだ。その情けねえ根性を叩き直せ!!」

何も言い返せぬロイの横をエルザークは通り過ぎていった。
そのエルザークを見送り、同級生のユージンは深くため息を吐いた。

「相変わらず格好いい。惚れ直すね、ホント。
ロイ、怒ってくれる人間がいることを感謝するんだね。本気で怒れる奴ってのは、なかなかいないもんだよ。嫌いな奴にはかかわらないのが一番楽だからね」

オルスは、今日一日は、体調不良ということで部屋で休むという。
部屋へ行くと、オルスはラフな寝間着を羽織った姿で本を読んでいた。

(うげ、堅苦しい部屋だな。さすがオルスとエルザークの部屋だ)

作り付けのベッドと机が二つずつという点は他の部屋と同じだ。
しかし、とにかく片付いている。そして、やたらと本だらけだ。それも勉学に関するものばかりで遊びのものが一切ない。

「どうした?」

オルスはやってきたロイに普段どおりの笑みを見せてくれた。

「……いや、別に」
「体なら問題ないぞ。本当は授業もでてよかったんだが、顔に傷があるんで目立たなくなるまでは休めと言われてな」

流行風邪(はやりかぜ)ということになっているんだ。皆に移さないため、という名目になるからちょうどいいってことでな、とオルス。
オルスの座る寝台の上には本の他に、一冊のノートがあった。やたらと汚い字が並んでいる。

「なんだそりゃ…」
「あぁ、これはアーノルドの文字書き練習用ノートだ」
「文字書き……きったねえ字」
「だから教えているところだ」

見てみると、手製の練習用ノートらしい。アーノルドの文字の隣には見本用らしき綺麗な字が書かれている。

「エルザークが作ってくれたんだ」

なるほど、と思いつつ、ロイはアーノルドを思いだし、少し気分が重くなった。
ロイはアーノルドが苦手だ。理由は弟に似ているからだ。
同じ両親から生まれたというのに、弟は両親にとても愛されている。両親とろくな思い出がないロイには、うらやましくもねたましい相手であり、自然、弟とは距離を置いている。
弟が愛され、自分が愛されない理由は性格の違いだろうとロイは思っている。素直な弟は甘え上手で得する性格だ。
そんな弟の素直さは、後輩のアーノルドに似ている。そのため、ロイはアーノルドが苦手だ。彼を見ているとどうしても家族がいる実家を思い出すからだ。
アーノルドに罪はない。それでもどうしてもアーノルドを苦手だと思ってしまう。
しかし、そんなアーノルドの面倒を見ているのが、エルザークだというのだから、運命はおかしなものだ。
さきほど怒鳴られた言葉が脳裏に蘇る。

『いつまでも自分だけが不幸みたいな面をしてるんじゃねえ!お前より不幸な奴は幾らでもいる。俺たちはこれから戦場に出る身だぞ。テメエみてえな奴と戦場に立つのはごめんだ。その情けねえ根性を叩き直せ!!』

全くその通りだ。一言も言い返せなかった。
自分の置かれた環境にやさぐれるばかりで、遊び呆けていた。

「エルザークは…すごいな」
「あぁ、そうだろう?」

あいつは努力家でいいやつなんだ、とオルス。

「口は悪いが…」
「ハハ、そうだな」

ハッキリ言って顰め面のところか、怒っているところしか見たことがない。難しいところのある人物だ。

でも、いいやつだ、とオルスは笑う。よき友人関係を築けているのだろう。

「…今から、授業受けてくる」

今からでは遅刻決定だ。
それでも残りの授業には出れるだろう。
しっかり出て、遅れを取り戻さねばならない。
未だにやる気はでないが、それでも甘えてばかりはいられないと思った。
逃げていたのだ。すべてから。それが今は判る。
逃げたところで得られるものはない。やっと気づくことができた。
友人を傷つけ、友人に怒られ、やっと気づくことができた。

「ノート、とってきてやろうか」
「いや、いい。エルザークがいるから」
「頼んだのか?」
「いや。でもエルザークのノートがいい」
「正直だな、お前…」

確かにエルザークのノートは綺麗で読みやすいだろう。頭もいいし、この見本のような字を書くエルザークなら安心だ。
それでも正直すぎる言葉にロイが顔を引きつらせると、オルスは悪気なく笑んだ。

「あいつのノートは判りやすいぞ。過去の分も借りて復習しなおすといい。お前もアーノルドと大差ない成績だろう?」
「幾らなんでも一桁のような答案じゃねえよ!」

悪気のない言葉は、時としてトゲだらけの言葉よりも痛い。
思わず怒鳴り返すロイであった。