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◆霧の記憶(3)


事態が動いたのはその数日後のことだった。
連れていけ連れていかないという問答を繰り返し、やはりいつものように忙しいオルスの目を盗んで寮を逃げ出したロイは、思いがけず、歓楽街で騎士に捕まった。

「君の友人だろう?彼が君の身を案じていたので、探していたんだ。全く彼自身の方が、よほど酷い目にあったというのに…」
「は…?」

騎士に夜遊びが見つかったことで停学処分でも食らうだろうかと思っていたが、どうやら予想は全く外れたらしい。
連れて行かれた先は歓楽街の端にある小さな酒場の奥であった。
その一室にオルスはいた。

「お前…!」

ロイは驚愕した。
酷く破れた服は無理矢理破られたものだろう。顔や肌に残るアザが痛々しい。殴られた後だけではないと判るあざも、まだ生々しく体に残っている。特徴的なその痕は、性的な暴行を受けた痕だ。
普通は女性が受ける被害だ。しかし自分たちはまだ若い。十代半ばという若さと見目の良さが徒になり、性的なターゲットになってしまったのだろう。

「あぁ、無事だったか?よかった」

絶句するロイを余所に、オルスは普段どおりの笑みを見せた。
何故そんな笑みを見せられるのか。酷い目にあったのに。それに間接的とはいえ、ロイが原因なのだ。
ロイを探して、被害に遭遇したのであろうに、何故ロイに笑みかけることができるのか。
ロイを探す必要がなかったら、こんな目に遭わずにすんだだろうに。

「お前……」
「この方々に助けてもらったんだ」

ロイを連れてきた騎士とオルスに付き添っていた騎士は、オルスの言葉に苦笑した。
偶然、目にしてな、という二人の騎士は、ごく普通に歓楽街で遊んで帰る途中にオルスを見つけたということだった。
犯人の男は捕まえて夜勤の騎士に引き渡したそうだ。

「彼を寮に送っていくつもりだったが、お前さんを捜してくれと言い張るんでなぁ」
「友人想いのいい奴だ。お前さんも遊ぶのはほどほどにするんだぞ」

クシャリと頭を撫でられる。
ロイは無言で俯いた。

夜の町が好きだ。
偽りの人の温かさが好きだ。
本当の友人など持ったことはない。
我が身が傷ついても他人の身を案じる者になど会ったことはない。
まして、強姦されてまで、原因となった者を恨まずにその身を案じるようなお人好しがいることなど、考えたこともなかった。
一体どうしたらいいのか。もうわけがわからない。
一体自分はどうしたらいいのか。

「俺は……こんなこと…頼んでない」
「そうだな」

オルスの顔が見れない。
しかし、表情は予想がつく。やはりいつもどおりの笑んでいるのだろう。

「俺が勝手にしたことだ。お前が気にすることはない」
「そういうわけ、ねえだろ!?何で怒らないんだよ、テメエは!!」

自分のせいで強姦されたのだ。そして傷を負ったのだ。
今回は目に見えぬ傷の方が大きいだろう。それなのに恨み言の一つも言わず、いつもどおりのオルスにロイは驚いた。
しかし、むき出しになった首や手足に見える傷にロイは慄然とした。
夜の歓楽街に慣れたロイは性的な遊びにも慣れている。ただの楽しみも知っているが、悪しき遊びの結末も知っている。
手首の傷は縛られた後だろう。手足に見える傷は小さなものばかりだが、とても数が多い。性的な被害を受けただけでなく、殴る蹴るの暴行を受けた証だ。

オルスはいつもずっと待っていた。
寮の外で、一人きりで待っていた。
しかし、待つばかりでは埒があかないと思ったのだろう。だからついてこようとしていた。
いつも、連れていけという言葉を無視していた。

治安が悪いことなど彼にだって判っていただろうに、彼はロイを探しに来た。
ロイが一向に連れてこないから、自力で連れ戻すためにやってきた。
自業自得と言えないこともない。しかしその行動の裏にあるものはロイへの気遣いと心配だ。彼の行動はロイのためだ。
その結果がこれだ。

「馬鹿野郎!!このお人好しが!!」

これでオルスも人を信じたところでろくなことにならないと判っただろう。信じる相手は選ぶべきなのだ。そうしないと容易に騙される。十代でもすでに騙す騙されるは存在する。大人の世界はもっとろくでもない。騎士となる身だ、オルスはもっと賢く生きるべきなのだ。

「お前が来なきゃ俺だって後味の悪い思いをしなくて済んだんだよ!!胸くそ悪い!!テメエのせいだ!!」

自分のせいで誰かが強姦されるなど、これほど後味の悪いことはない。
そんなロイにオルスは静かに告げた。

「逃げたいなら逃げろ」
「は?」
「行きたいなら行け。だが俺も行くぞ」
「馬鹿かてめえは!また同じ目にあうかもしれないんだぞ!!わかってねえのか!?」
「そうだな、だがお前が行くなら行く」
「!」

静かな言葉に秘められた決意にロイは息を飲んだ。
彼が来るというのなら来るのだろう。
こんな被害を受けた町でも、彼はまた出向いてくるのだろう。ロイを探しに。
ロイの身を案じて、やってくるのだろう。何度でも。

「迷惑…なんだよ」
「そうか」
「あんな目にあったってのに懲りてねえのかよ、テメエは。実はお前馬鹿だろう」
「そうかもな」

だがお前が行くなら俺も行くぞ、というオルスにロイは肩を落とした。

きっと彼は誰にでも同じ手を差し伸べるのだ。
無邪気に慕う後輩にも。
仲のよい友人にも。
逃げるロイに幾度もその手を伸ばしてくるように。
彼の愛はとても大きくて広くて、実感が沸かない。しかし、呆れるほど大きな愛で包んで癒してくれるのだ。

「痛かったか?」
「そうだな」
「……悪かった」
「お前が謝ることではあるまい」
「だが俺が原因だ」
「それは違う」
「!」
「自分の行動の責任は自分で取るしかない」

思わず顔を上げると、オルスの顔が飛び込んできた。
やはりいつもどおりの笑みを浮かべている。しかし切れた唇や赤く腫れた顔が痛々しい。

「誰にも肩代わりすることはできない。自分の行動の責任は自分でとるしかない」
「けど!」
「お前の求めるものが何なのか、知りたかった」
「……」
「俺が判らない、知らないものがここの町にあるんだと、思った」
「……」
「結局、判らなかったな。また来ないと…」
「来るな!」
「……嫌だ」
「……来るな。一人では来るな」
「!」
「俺と一緒なら連れてきてやる。だから一人では来るな」
「約束だぞ?」
「あぁ約束してやる。だから一人では来るな」

約束だなと笑ったオルスは、いつもどおりではなく、本当に嬉しそうな笑みに見えた。
面倒なことになったと思いつつもロイも笑んだ。
何故か自然に浮かべることができた笑みであった。