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◆聖マイティスの半身(15)


転移装置は片道のため、黒竜が遠路はるばる、空を飛んで帰っていた頃。
その使い手たちは、ラーチ砦で激戦に入っていた。
援軍が到着し、安堵に気が緩みかけていたところへ、突然の思いがけない敵の増兵である。
傭兵は負け戦を好まない。報酬がフイになることが多いからだ。そのため、傭兵達には民間人を守りつつ、ゼラーネ方面へ逃げてもらうことになった。そういった形ならば傭兵達も協力的だからだ。
当初、そちらへ組み込まれかけたオルスたちは、自らその申し出を断った。

「好んでこの砦に残りたいと?死す可能性が高くなるぞ」

砦の責任者であるセネインには、そう呆れられたが、オルスたちには別の目的と見解がある。身を案じてもらえるのはありがたいが、民間人と退却している場合じゃないのだ。
そうして、砦に残り、決死で戦い続ける騎士や兵たちに協力して戦った。
それでも絶対的な兵力差があり、限界はある。

「そろそろだな」

エルザークの言葉にオルスは頷いた。

「ロイ、セネイン将軍とローウィン様を救出して逃げるぞ」
「そ、そりゃ、そうしたいが一体どうやって…」
「無理矢理にでも引きずっていく。彼らは人望がある。助けるためなら周囲の騎士たちが協力してくれるはずだ。退却時の時間稼ぎはエルザークたちがやる。エルザーク、アーノルド、予定どおりに頼んだぞ」
「ああ、任せろ」
「はいっ!」

砦内部の通路を二手に分かれる。ロイはオルスと共に砦の東側へ行くことになった。
敗戦を経験するのは初めてだ。焦りや恐怖、そして独特の緊張感がある。
前方を走るオルスを必死に追っていくと、通路の先から剣撃の音が聞こえてきた。
東側が突破されたという叫び声が聞こえてくる。
思わずオルスの顔を見たが、彼は平然としている。どうやら戦いの中へ突っ込んでいくつもりのようだ。

「セネイン将軍、脱出するぞ!」

オルスが叫びながら、邪魔な敵兵を切り倒す。
声に振り返ったセネインは、相当に奮戦したのだろう。頭から血まみれだった。

「…かまわん、そなたらが先に行け」
「領主軍たるそなたが、ローウィン様をお守りもせずにどうするつもりだ?
私は傭兵だ。彼を主君として忠誠を誓っているわけではないのだぞ」

ローウィンの名を出され、セネインが言葉に詰まる。その通りだと周囲にいる騎士たちが同意する。彼らもまた、セネインの身を案じていたのだろう。
砦の責任者が砦を離れたがらない気持ちは判る。恐らく砦と共に殉じる気持ちがあったのだろう。しかし、それぐらいオルスたちもお見通しなのだ。彼らも騎士であり、ディンガルの城を落とさず守り続けた実績がある。騎士だからこそ、同じ騎士の気持ちが判るのだ。

砦に攻め込んでこようとした敵を、突如現れた地神の手が押し戻す。振り返るとエルザークたちが追いついてきていた。

「西の封鎖は間に合った!!しばらくは持つだろう。行け、オルス!ここは任せろ!」
「判った」

オルスはセネインの手を取って走り出した。

「…っ、離せ、ちゃんと走る!」
「すぐに全員退去命令を出すんだ。これ以上は持たない」
「……だがっ」
「セネイン将軍、頭を冷やせ。ここが落ちたら、次はどこが戦場になる?ゼラーネだ。 今、ここで死者を増やしている場合ではないんだ。
今なすべきことは、一兵でも多くの兵を残存させ、次の戦いに備えることだ。そのためには、そなたもローウィン様も生き延びねばならない。判るな?」
「……ああ」

グッと唇を噛んだセネインは周囲に残る騎士や兵に声を張り上げた。

「総員、砦より退去せよ!!ゼラーネへ!!ローウィン様をお守りし、ゼラーネへ退く!!」
「御意!!」
「総員退避せよ!!」
「総員退避!!」

命令が周囲の騎士や兵たちによって、どんどん広がっていく。
そのとき、ドンという大きな破壊音が響いてきた。
オルスは今通ってきた先から強い熱気を感じた。エルザークとアーノルドだろう。さすがの二人でも多くの敵兵相手に、やや手こずっているようだ。
あの二人ならばそのうち退却してくるだろう。そういったタイミングの読み間違いをするような二人ではない。ただ、砦がそのとき無事かどうかは保証できない。むしろ、破壊してしまう可能性の方が遙かに高い。
オルスと共に走りながら、ロイが問うてきた。

「オルス、アーノルドたちとはどうやって合流する気だ!?」
「最悪の場合、ゼラーネだな。彼らは大丈夫だ。砦の脱出路もいろいろと知っている」

アーノルドはともかく、エルザークはしっかり覚えているだろう。そういった記憶力は三人の中でもっとも確かな男だ。
そしてアーノルドはとにかく勘がいい。こういった緊急時には頼りになる。
そんなことを思いながら砦の中を走っていると、途中でローウィンらに合流できた。ローウィンは顔色が悪い。やはり無理をしているようだ。しかし、しっかり戦っていたのか、手には血濡れた剣を持っている。
脱出用の船は民間人に使ってしまったので、逃げるのは陸路になる。

「…ゲ、ホッ……東が…突破されたと聞いたが……っ、追っ手が、来ないな」
「ローウィン様、あまりご無理なさらず。我が友が食い止めてますので、もうしばらくは持つかと」
「あの二人か!?何故、そんな無茶をさせる!!犬死にさせるつもりかっ!?」

慌てて戻ろうとするローウィンを周囲の側近達が慌てて引き留める。
まさか今更、救出に戻ろうとするとは思いもしなかったオルスは驚いた。

「彼らは大丈夫です。お気持ちはありがたいですが、今更、戻っても間に合いません」
「判らないだろう!?とにかく戻るぞ!!」
「ローウィン様!」
「なりません、ローウィン様!」

周囲は引き留めに必死だ。当然だろう。敗退し、砦を放棄して逃げようという時に戻ってもローウィンの身が危険になるだけだ。しかも内部に残っているのは、傭兵二人だ。周囲の側近達にとっては比べものにならないほどローウィンの方が大切なのだ。

「ローウィン様、なりません!一傭兵ごとき、お見捨てください!」
「御身の方が大切です、ローウィン様」
「ローウィン様に何かありましたら、アーウィン様に顔向けできません!」

周囲の必死の説得にローウィンは血がにじむ手を握りしめて怒鳴った。

「たった一人だろうが、二人だろうが、傭兵だろうが、味方だ!!」

オルスは目を見開いた。

「命を賭ける場で生まれも育ちもあるか!!戦場で身分など関係ない!!そなたらと同じく、懸命に戦ってくれた味方だ!!」

オルスは息を飲んだ。
北の双将軍。
まだ二十代前半でありながら、そう呼ばれるほどの戦歴を立てている名高き将。
かつての世界では、彼らとはろくに戦うこともなく死に別れてしまったため、実際の人格や戦いの腕は目にせぬままだった。

(なるほど、これでは魅了されるのも判るな……)

どんな身分の者も見捨てずに助けようとする想いを見せつけられては、たまらない。人々に愛されるはずだ。

しかし、あまりにも無謀だ。

『あんた、あれだけの傷を負っていて、何で大人しくしていないんだ!』

そう怒鳴ったエルザークの台詞がオルスの脳裏に蘇る。
実に同感だ。双将軍と呼ばれる二人は勇猛果敢な戦いぶりと領民思いで知られているが、これほど命知らずとは思わなかった。人の上に立つにしては、あまりにも考えなしで無謀としか言えない。
しかし、それでも不快に感じられないのは、人を思う気持ちが全身から伝わってくるからだろう。現在は一傭兵にすぎない二人を助けようと必死になるその行動ぶりは、誰でも出来るようなものではないだろう。何しろ自分自身の命もかかっているのだ。
評判になるのも判る。これほど下の人間のことを考えて行動してくれる人間ならば、好きにならずにいられないだろう。領民に莫大な人気を誇るのも判る。
ただし、今は、到底賛同できない。中に残っているのがエルザークとアーノルドである以上、戻ったところで足手まといだ。

周囲の側近達が、身分差に遠慮してか強く言えない様子を見て取ると、オルスは隙を見て、割り入った。

「失礼!」

体格の良さを生かして、ローウィンを強引に抱き上げると、馬に飛び乗る。オルスの馬は体格がいいオルスにあわせたパワーがある重量馬だ。二人乗ったぐらいではびくともしない。

「な、離せ!」
「今は退却するのが優先です。彼らを信じてください」
「行くぞ!!」

セネインがタイミング良く、周囲に指示を出してくれている様子を見つつ、オルスは馬を走らせた。
ローウィンを守りつつ、湖沿いに退却していく。ところどころに雪が積もっているため、足場はあまりよくない。
嫌がるようにもがいていたローウィンは傷のせいか、あまり抵抗できていなかったが、途中から大人しくなった。理由はすぐに判った。諦めたわけではなく、気絶したのだ。元から重傷だった身だ。むしろ、この体でよく動いていたというべきだろう。
湖畔を半分ほど走り抜けた頃、砦の東側から三つの大きな火柱が立ち、砦が大きく崩れ落ちていくのが見えた。

「『炎神の槍(アギ・ガルンダ)』……アーノルドだな」
「三本!?一人で三本も!?」
「アーノルドならできる」

だが武器は壊れただろうな、とオルスは思った。幾ら上級印用の武器でも厳しいだろう。
そうして日が落ちても走り続け、一行はリッシュの町にたどり着いた。
こじんまりとした小さな町だが、野営に近い状態を取らざるを得ないのはどこであっても同じだ。しかし重傷のローウィンは屋根の下で休ませたい。そういう意味ではたどり着けて幸運であった。
町長の家へローウィンを運び込み、町長が慌てて呼んでくれた町の医師にローウィンの治療を託し、オルスとロイは、セネインと夕食を取った。夕食は町の人々が総出で出してくれた物だ。
ここはゼラーネとラーチ砦の間にある町だ。明日明後日には敵にとられてしまうだろう。しかし、敵とはいえ、民間人に暴力を振るまうことはどの国でも醜聞となるため、禁じられている。しばらくは苦しい想いをすることになるが、命の危険は少ないだろう。
そういう意味では、この町の人々は町に残るという選択もある。

「あいにくだが、今回は共に逃げた方がいい。ここは恐らく戦場になる」

町長から相談を受けたセネインは、そう答えた。オルスも同感であった。
ここは、場所が悪すぎるのだ。ゼラーネとラーチ砦の間にあるため、戦火に巻き込まれる可能性が高い。
町長もある程度、予測していたのか、すでに町民にも指示をだしているようだ。町の人々は慌ただしく逃げる準備をしている。夜明け後には共に逃げることになるだろう。

「オルス、そなたにはずいぶん助けられた。礼を言う。悔しいが私一人ではローウィン様もお助けできなかっただろう」
「あぁ」
「そなた何者だ?ただの傭兵ではあるまい」

オルスは答えず、ただ、肩をすくめた。
正直に答えても信じてもらえるとは思えないし、答える気もしない。
ただ、一つ明確なことがある。
今は紛れもなく『ただの傭兵』であるということだ。オルスにとって、それ以外の身分は、この世界には存在しない。探しても戸籍一つ見つからない。

そのとき、視界の端で何かが動いた。オルスが視線を動かすと、少し離れた木の上に見覚えある小竜が留まっていた。近づいてこないところを見ると、人目を気にしているのかもしれない。
オルスはセネインたちから一旦離れ、木の根元へと向かった。
小竜がオルスたちの元を離れて三日というところか。空を飛べるだけあり、さすがに早い。
肩の上へ飛び乗ってきた小竜と素早く情報交換を行う。砦に二人が残っていることを知った小竜は二人の方へ助力してくれるという。オルスはありがたく頼むことにした。
小竜は忙しいのぅと言いつつ、飛び立っていった。