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◆ディンガルの黄金獣(8)


一方、噂されている当人たちは普段どおりに食事をしていた。
相変わらずやせの大食いなのはアーノルド。エルザークがマナーをたたき込んだおかげでかろうじて醜くない食べ方をしている。
オルスとエルザークは普段通りに食事を終え、静かにワインを飲んでいる。
少々周囲の視線が煩わしいが、将軍時代から見られることには慣れている三人である。

ワインを片手に持ちつつ、オルスは己の手を見ている。エルザークは眉を寄せた。

「どうした?怪我でもしたのか?」
「いや……エルザーク。お前、『こちら』に来て、爪を何度切った?」
「そういや……切ってねえな」

神経質な性格のエルザークは爪をマメに切っている。週に1度以上切っている。
こちらに来て、とっくに一週間以上経つ。しかし一度も切っていない。切るほど伸びていないのだ。だから切らなかった。環境の変化に慣れるのに必死で気にかけることもなかった。

「そうか。俺はこちらへ来て一度切った。そうだな、来た次の日だったと思う」
「…ああ」
「それから一度も切っていない。こちらへ来たときの長さまで伸びて、それ以上は伸びないんだ」
「………」
「便利なんだか、不便なんだか……。腹は減るから腹は違うようだが……」
「おい……」

オルスの発想はエルザークとは違った方角へ向いているようだ。
そういう問題じゃないだろうとエルザークはがっくりと肩を落とした。
アーノルドは神妙そうな顔で己の手を見ている。
エルザークと目が合うとアーノルドは明るく笑んだ。

「爪を切る必要がないのは便利ッスね。俺の背中も無事…」
「余計なことは言わずにとっとと食え!!」

何を言いたいのか瞬時に悟ったエルザークは真っ赤になってアーノルドの頭に拳を落とした。

「先輩の照れ屋―…」
「まだ殴られたいのか?」

無言で食事を再開した後輩に小さくため息を吐く。
爪が伸びぬ意味など明らかだ。一人だけならともかく三人揃ってのことならば。

(肉体の変化がない。つまり老いないってことか?空間を越え、時を越える意味を知る者はいない。少なくとも俺の知る限り、他に同じ経験をしたヤツはいねえ。ということは自分で見極めるしかねえ)

目の前の二人はエルザークのための時と空間を超えてやってきた。元の世界に留まるという選択肢を捨てさせたのはエルザークに責任がある。少なくともエルザークはそう思っている。

「先輩、大丈夫ッスよ」

思考の縁に沈みかけたエルザークを救ったのはアーノルドであった。

「大丈夫ッス。今までだって何とかなってきたでしょ?だから今度も大丈夫ッス。乗り越えられないものなんかないんスよ。敵だろうが包囲網だろうが撃破すればいいんスから」

根拠のない自信による発言だったがエルザークは妙に納得し、苦笑した。
ディンガルのトップにいた時代は過酷だった。楽な戦いなど全くなかった。それでも毎回乗り越えてきた。死と背中合わせの道をいつだって三人で乗り越えてきたのだ。

「そうだな…」

その通りだというようにオルスに笑みを向けられ、エルザークは静かに頷いた。
いつも考えすぎるエルザークを救ってくれるのは目の前の二人であり、考えすぎるエルザークをアーノルドが止め、オルスがまとめる。三人はいつもそうしてバランスをとっていた。