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◆ディンガルの黄金獣(5)


水緑亭は上品な名に反し、傭兵を常連客に抱える下層の酒場である。
このタイプの店にありがちな、宿と酒場を併設する店であり、酒場はなかなか広く、従業員も数人抱える大きめの店である。
ディンガルは傭兵が多い町だ。傭兵を主要な客とする店も多い。

クルツはディンガルの傭兵である。彼はその日も店の片隅で酒を飲んでいた。
安っぽい木の丸テーブルと椅子が並ぶ酒場内部は乱雑としているが、この手の店では普通だ。安っぽいテーブルや椅子は丈夫さだけが取り柄だ。喧嘩などで壊されることも日常茶飯事のため、この手の店で質の良い卓や椅子が使用されることはないのだ。
騒がしい店内の一角が更に騒がしくなった。どうやら喧嘩のようだ。男は気にすることなく酒を飲んだ。どうせ収まると知っているからだ。この町には傭兵が多いが、大半の傭兵は二つの組織のどちらかに属している。地の蠍か冬の迅牙か。そのどちらかに属している限り、大きな後ろ盾があるようなものだから、取り返しが付かぬ喧嘩に発展することはないのだ。
属していない傭兵は拠点を持たずに動く流れの傭兵か、はぐれ者だけ。
ディンガルの傭兵世界はそうやって成り立っている。

その騒ぎの中、新たな客がやってきた。

(三人組か。見ない顔だな、流れの者か)

ディンガルには傭兵が多い。
理由は簡単。仕事が多いからだ。
ディンガル騎士団は国内でもっとも出動率の高い騎士団のため、傭兵も常時雇ってくれる。故に流れの傭兵がやってくることも多い。
しかし今日見た三人組を見て、クルツは珍しいなと思った。

まず、動きが綺麗だ。傭兵にありがちな粗雑さが見られない。言えば騎士のような洗練された動きが三人全員に見られる。よく言えば上品、悪く言えばお高くとまっている感じだ。
そして全員が若い。二十代半ばか後半ぐらいだろう。しかしこの年頃の傭兵にありがちな血気盛んさや過剰な自信が見られない。一人は子供のような無邪気さを見せ、残る二人は落ち着き払った様子でその話を聞いているようだ。初めて来た土地で見せる態度とは到底思えない行動だ。旅慣れた熟練の傭兵のような行動とも言える。

(変な連中だな…)

周囲もそう思っているのだろう。何気ない様子を装いながらも見慣れぬ新人たちを伺っている。

(おまけにすげえもんを持っていやがる)

三人組の中でもっとも大柄な男が椅子に立てかけるように置いたのは大盾だ。しかしその盾が一目で普通の盾じゃないとわかる代物だった。黒く艶があり、地図や文字のような紋様が表面に施されている。明らかに貴族の家宝クラスの品だ。それを隠しもせずに持ち歩いているのだから武具として扱っているのだろう。

(そんなものを見せ歩いていたらよからぬことがおきるぞ)

そう男は案じたが、早速、予想通りのことが発生した。
酔った中年の男が盾を見せろと絡み始めたのである。


++++++++++


「えー、ダメッスよ、この盾は気難しいッス」
「テメエに言ってねえんだよ、ガキ。酒も飲めねえ男が酒場に来てんじゃねえ。ママのところへ帰りやがれ」
「俺は子供じゃないし、酒も飲めるッス」
「だったらガキくせえこと言ってるんじゃねえよ。こんな立派な盾、てめえらにゃもったいねえ。俺が使ってやるからよぉ」

言い争う様子を見つつ、エルザークはしかめ面だった。少し目立つ盾だなと思っていたが、騎士時代に使っていた武具も紋章入りの立派な代物だったのであまり深く考えなかったのだ。しかしこの様子を見ると失敗だったと明らかに判る。周囲の傭兵たちにはそもそも盾を持っている者すら少ない上、武具も革製の小手などをしている者ばかりだからだ。
傭兵は危険職故にそこそこ高収入だが、計画的に貯金している者など少ない。武具だって騎士のように立派な品を使っている者は一握りなのだ。

さてどうしようかと思っていたエルザークだが、その前に事態は動いた。男が盾に手を伸ばしたのである。盾を持ち上げようとした男は盾の思わぬ重さに驚いた。

「なんだこりゃ!?重え!!」
「はっはは、情けねえぞ、グエン」
「酒で足腰立たなくなったか!?」

はやし立てる周囲も男が本気で持ち上げられないと気付くと、動き始めた。

「うぉ、マジで重え!!」
「二人がかりでも持てねえぞ、どういうことだ!?」

そんな様子を見つつ、盾の持ち主はのんびりと酒を飲んでいる。アーノルドも盾を取られる心配がないと判ると安堵したらしい。食事を再開した。

「畜生、なんだこの盾は!!ぶったぎってやる!!」

酔った一人がとうとう剣を取り出した。
しかしその男が剣を盾に剣を振り下ろすことはなかった。突然悲鳴をあげたかと思うと惑乱したかのように騒ぎ出し、床を転がりだしたのである。

『ワシは幻惑を得意としておる』

神経や精神に作用する技を得意とすると語っていた黒竜だ。不埒な行動をする男に何らかの技をかけたのだろう。

「くそぉ!!てめえら……!!グエンに何をしやがった!!」
「よそ者が!!生きてこの店をでれると思うな!!」

オルスらの行為だと思ったのであろう男の友人らしき剣士らが飛びかかってくる。
それに応じたのはもっとも素早いアーノルドであった。
予想済みだったのだろう、無駄のない動きで二人まとめて蹴り飛ばす。
そのついでに蹴った二人の剣さえも空中で受け止めて奪うという余裕さえ見せた。

「なっ!!??」

アーノルドの行動で周囲に緊張が走る。
オルスは様子を眺めているが、酒と食事の手は全く止めていない。エルザークも同様だ。二人にはアーノルドと男たちの実力差が判っている。出番の必要がないと判っているからこその余裕なのだ。

アーノルドの実力が垣間見えたことで周囲が緊張に包まれる。
傭兵たちは短気で血気盛んな者が多い。無駄にプライドが高く、ならず者が多い傭兵だが、彼らは実力ある者に鋭い。傭兵たちはどちらに雇われるかで簡単に敵と味方に分かれる職だ。実力ある者を知らねば戦場で死に至ることを知っている。
アーノルドの動きから彼が只者でないことに気付いたのだろう。注視が向けられる。
一方、注視を向けられたアーノルドは笑みを浮かべ、余裕たっぷりであった。酒場中が張り詰めた糸のようにピンとした緊張がみなぎる中で、武器すら抜かずに笑顔を見せている。
一撃で伸された男の仲間たちが揃って殺気立つ中で、場違いのような態度だ。

(無駄だな…)

揚げたてのポテトを食べつつ、エルザークはそう思った。
何人が束になってかかろうとアーノルドには勝てないだろう。それだけの実力差がある。
アーノルドは複数戦に慣れている。戦場では常にターゲットにされていた彼は狙われることに慣れ、集団で襲いかかられることに慣れている。向けられる殺気も彼にとっては日常的なものだ。このような喧嘩での殺気など戦場に比べれば可愛いものだろう。
戦いの多いディンガル騎士団で戦功においては歴代トップを誇るのがアーノルドだ。戦場で持ち帰った首の数でもトップを誇る。ディンガルの炎虎という異名は伊達ではない。

アーノルドが五名ほどの男に囲まれてもエルザークは食事の手を止めなかった。
埃が立つのがいやで、テーブルの周囲だけ、印を使って軽い障壁を立てて防ぐ。

「…運動にすらならないッス」

結果、呆れ気味のアーノルドの台詞が酒場に響くのに数秒もかからなかった。
武器を持たず、素手で数人の男を伸したアーノルドはつまらなそうに呟くと席へ戻った。
その後、その奇妙な三人組に喧嘩を挑む者はでなかった。
そして食事を終えた三名のうちの一人が『とても重い盾』をひょいと持ち上げて酒場を出て行く様子を、酒場にいた多くの者達が確かに目撃したのである。