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◆黒き歴史の傍観者(9)


ディンガルの近郊に有名な岩塩の採れる山はある。
あいにく土地は枯れていて、農作物は何も採れないその地は岩塩によって栄えている。
その地で岩塩は金鉱石と同じ意味合いを持つ。
抗夫たちの汗と家族への想いから採掘されたその岩塩はウェリスタ全土に流通し、人々の食卓に上がる。
ガラディア山の岩塩はウェリスタ国の味でもあった。
 
塩漬けした大きな葉でくるまれた塩漬け肉は旅に欠かせない食料の一つだ。
日持ちがよく、薫製ほど硬くならない為、旅人の主要な食糧の一つとなっている。当然、軍でも遠征時に良く食べるなじみの味である。
塩漬け肉を薄く切って焼き、パンにのせて、簡単な食事を済ませたエルザークはうっすらと明るくなってきた空を見上げた。
相変わらず顔色は悪いがアーウィンはよく眠っている。

(ここはどこ、私は誰?って感じだな。いや、ここはいつ?って感じか)

しゃれにならねーと呟いたエルザークの耳に寝起きらしき声が響いた。
 
「そなた、何処かで会ったか?」
「さぁ…」

(十年前に俺が一方的に見ただけでしょう)

「ニガイな……この茶」
「薬湯ですから。あいにく糖蜜はありませんので」

(アーノルドなら持ってたかもしれねえがな)

「………ローウィン………」
「まぁ信じていたらどうですか?今の貴方にできることは生き延びることだけだ」

(大体過去じゃ見つからないんだし)

アーウィンは軽く瞬きをしてエルザークを見つめ、苦笑した。

「冷静だなそなた………傭兵らしいといえば傭兵らしいが………」

エルザークはアーウィンの言葉を聞きながら、現状を打破するために頭を巡らせていた。
エルザークが告げた傭兵という言葉を受け入れたアーウィンだが鵜呑みにはしていないだろう。傭兵と言うにはエルザークには傭兵らしさが欠如している。それも当然である。エルザークは士官学校出の生粋の騎士であるからだ。
身なりは私服だったので素性までは判らないだろう。しかし傭兵にしては軽装過ぎる。
エルザークは日帰りの狩りの予定だったので重装備ではなかった。
エルザークの思考が途切れる。研ぎ澄まされた神経は近づいてくる騎馬の音を拾っていた。
遠目に敵国の紋章が目に入る。

「敵だな、30騎前後ってとこか」

(残兵がいてもおかしくはないか。ここは十年前だ)

「30人!?無茶だ!一騎では!」
「大丈夫です。地の利がありますから。この狭い密林じゃ一度に相手するのはせいぜい3騎ですよ」

(数が沢山いても一度に掛かってくる数が限られていりゃ勝機は十分にあるってモンだ)

「しかし!!私も共に戦う!元はと言えばこれは私の責任であってそなたには関係ないことのはずだ!」

思いの外、頑固なアーウィンにエルザークの記憶にあるアーウィンのイメージがどんどん崩されていくことを感じつつ、エルザークはため息をついた。

「あんたな…その重傷でどう戦うって?俺一人で戦った方がよほどマシだって気づいたらどうだ。俺が一人でいいっつってんだから後ろに隠れてろ」

まだ文句を言うアーウィンを後方へ押し込み、強弓を取り出した。


++++++


紺色の髪は珍しい。蒼という色の髪は劣性遺伝だと聞いたことがあるのでそのためだろう。
闇夜では殆ど黒に見えるその髪は、炎の中でほんのりと本来の色を垣間見せていた。
アーウィンの目に相手は二十代後半に見えた。皮肉屋で、アーウィンの問いをするりするりとかわしてくれる。
話術に長けたアーウィンであるが、正体を聞き出そうとした相手は一枚も二枚も上手であった。
会話で滅多に敗北したことのないアーウィンは悔しさと感嘆を交えて相手を見つめた。
稀な髪を惜しげもなくばっさりと切った髪型の男は何よりも動きやすさを重視する傭兵らしかった。
隙のない鋭い眼差し、戦場や世慣れた様子も傭兵という職業に信憑性を持たせる。
しかしアーウィンの確かな観察眼は相手が傭兵ではないと見抜いていた。

(あの腰に下げている小剣の紋章はディンガルのものだ…)

羽の生えた獣の紋章はディンガル騎士団独自の物。その紋章が刻まれた剣の帯剣はディンガル騎士団の将軍位にある三人にしか許されない。騎士団長一名、副団長二名の三名のみだ。
ならば目の前の男はその三人の中の一人のはずだ。しかし現在の将軍たちはアーウィンも幾度か会ったことがあるが熟練の将軍たちが束ねていた。目の前の相手とは明らかに年代が違う。

(ただのまねごとか?)

小剣なので確信は持てない。
そんなことを思いながら相手の動きから目を反らせぬアーウィンの耳にヒュンと空気を切り裂く音が聞こえた。
男はとうに気づいていたらしく、余裕ある動きで矢を打ち落とす。
さきほどからアーウィンの元まで届く矢は一つもない。すべて男が剣で打ち落としているのだ。

『いいですか?そこら辺に隠れていてください。あんたの力は不要なんで』

そう淡々と告げた男は確かな腕を持っていた。
男はアーウィンの目の前で30騎の敵兵を十数分で全滅させ、ほぼ無傷で戻ってきた。
返り血を避ける余裕すらあったのか、さほど血も浴びていない。

「…………スゴイな………」

(いくら地の利があったとはいえ、30騎を全滅させるなど並大抵の腕では無理だ)

「は?」
「そなたの………腕だ………」

(自覚がないのか?)

「全く凄くありませんよ」
「謙虚だな」

(あきれるほど欲のない男だ。もっと誇ればよいものを)

「いいえ。もっとスゴイ連中を知っているだけです」

男は淡々と告げた。単なる事実を述べているだけといった様子だったがそんな態度もアーウィンには好感を持てた。