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◆黒き歴史の傍観者(10)


エルザークの生家は名ばかりの下級貴族である。
父は早くに亡くなり、エルザークは母に女手一つで育てられた。
軍へ入ったのは力が欲しかったからだ。家を出ること、力を得ることが共に出来る士官学校はエルザークにとって好都合だった。
入学の際、手助けしてくれたのは年上の従兄弟だった。士官学校は学費がかかるがその従兄弟の支援のおかげで何とか通うことができた。
エルザークはそこで初めて同世代の友を得た。それまでのエルザークには友人どころか何のてらいもなく会話できる相手さえいなかった。エルザークにとって母と従兄弟だけが味方であり、それ以外の者はすべてが敵だった。
士官学校で同室となったオルスという男はエルザークもよく知る有名な伯爵家の生まれであった。
穏やかで落ち着いた雰囲気に褐色の髪に同色の瞳。文武両道でおまけに騎士向きな大柄な体格ときたら恵まれすぎていて妬ましいほどだ。しかし彼は恵まれた己をひけらかすことなく、すべてにおいて善良で公平な男であった。
その二年後、オルスを追いかけて入学してきたアーノルドと出会い、良い意味でも悪い意味でもまっすぐなアーノルドに懐かれ、エルザークはそれまでの様々な価値観を壊された。
それは苦痛も伴ったが、エルザークの世界と思考を大きく広げてくれた。
そしてある模擬試験で組んだ結果が異様に良かったため、エルザークたちは組んで様々な戦いに出されるようになり、スピード出世し、今に至るのである。

『センパイって石橋を叩きまくるタイプですよねー。叩きまくって壊さないよーにしてくださいね』
『うるせー。お前のように勘だけで生きてけねーんだよ、こっちは人間だからな』
『どーゆー意味ですか、それっ!』

(こういう時はあの五月蠅いのでもいてくれりゃありがたいんだがな………)

アーノルドがいれば抜群の勘で時間も場所も言い当ててくれたところだろう。彼はそういった面では右に出る者がいない。彼は様々な情報を直勘とも言える早さでまとめて実行できる才能がある上、勘の良さは抜群で賭け事などは外したことがない。もっともオルスとエルザークが賭け事を嫌っているため、やることは殆どないのだが。
そのオルスはエルザークと同じく堅実派だ。オルスとエルザークの違うところは、オルスに意外と大雑把な部分があるというところだろう。彼は良くも悪くも大らかで、細かな点を気にしない人物なのだ。
エルザークは情報や計算を重視する人間だった。アーノルドに言われるようにとことん調べ、情報を整理しなければ気が済まない面がある。官僚向きではないかと言われたこともあるが、エルザーク自身そう思っている。組むと能力を二倍にも三倍にも引き出してくれる友人達に出会わなければ後方支援の官に回っていたところだろう。副将軍となり、デスクワークが増えたがもっともデスクワークを得意にしているのはエルザークだった。

(俺には何もねーからな)

己を卑下するわけでもなく単なる事実としてエルザークはそう思っていた。
オルスのように幼い頃から英才教育を受けてきたわけでもない。アーノルドのように天賦の才能に恵まれているわけでもない。剣にしても力や体格ではオルスに、スピードではアーノルドに劣る。
エルザークは己に何もないことを知っていた。故にエルザークはその差を埋めるために黙々と努力をした。努力する姿を見られるのは好きでなかったので密かに剣を振るい、書物を読んできた。己にアーノルドのようなセンスがないことを知っていたのでマニュアル通りの堅実な道を選びながら。
戦場でもアーノルドやオルスのサポート役が多く、二人の活躍の方に光が集まる。
皮肉屋なエルザークは誤解を受けることも多く、明るいアーノルドや穏やかなオルスの方が人気も高い。
しかしエルザークはそれを単なる事実として受け止めていた。彼はそれだけの器と強さを持っていた。


++++++


元々夕方までには街へ戻るつもりだったので食料も乏しい。戦士としての習慣で携帯食料を持っていたのが救いだったがせいぜい三日分。現在は二人だから三日も持たないだろう。
大体の場所が判らないわけではないが、セイーラは迷いやすい森なのだ。しかも夜の闇の中を移動したのだから場所が思ったところと違っていてもおかしくはない。
日持ちする携帯食にはなるべく手をつけないようにすることにしたエルザークはウサギを捕らえて捌いた。
そうして夕食を簡単に済ませると、エルザークはアーウィンの傷を見ることにした。戦場に身を置く者の常として処置用の薬一式を持ち合わせていたことは幸運であった。
ところがエルザークはアーウィンの抵抗にあった。傷が下肢にまで及んでいたので当然ながら下を脱がせようとしたのだがアーウィンは自分ですると言い張ったのである。

「あんた、ガキか」

今更ながらに数歳以上の年齢差を感じてエルザークは呟いた。

「なっ!?」
「そもそも、自分でやるとかやらないとかそんなこと言ってる場合じゃねえってことぐらい将軍位にある人間なら判りそうなものだと思うがな?自分でやるのと人にやってもらうのでは人にやってもらった方がいいってことぐらい判るだろ?」

相手がヘタならともかく、とエルザーク。常に戦場に身を置き、将軍であるエルザークは当然ながら手当も手慣れている。そのことは手当を受けたアーウィンにも十分判っているはずだった。

「第一、あんたの体ぐらいあんたが意識ないとき手当てしたんだからとっくに見てるっつーの。別に隠すほどのモンでもねーだろ」

あっさりとそう告げてアーウィンを絶句させ、エルザークはアーウィンを脱がせると手慣れた様子で手当を終えた。

「ほら、簡単におわっちまうのに恥じらう方が恥ずかしいだろ?どこぞの深窓の令嬢ならばともかく、戦士なら恥じらいなんぞは捨ててしまうんだな。戦場じゃ百害あって一利なしだ」
 
手当を終えるとエルザークはアーウィンと共に馬に乗った。

(しかし…俺が飛ばされて過去に来てるってことはあのとき居合わせたはずのローウィンさまは俺の代わりにどっかへ飛ばされてる可能性があるってことか)
 
もしエルザークと同じ時間と場所に入れ違いで飛ばされたとしたら、すぐ近くにオルスとアーノルドがいる。
ちょうどとらえた兎で昼食を取ろうと話していたところだったから、エルザークが戻ってこないとなると探してくれるだろう。そうすればローウィンを見つけてくれるに違いない。あの二人ならば非常事態にも慣れている。問題なくローウィンを救ってくれるだろう。

(だが…もし未来の時間と場所じゃなかったら…)

戦場では思わぬ事が起きる。
出来る限りの事態を予測し、それに対処する方法を考えておくのは将として当然のことである。
エルザークはあらゆる状況を予測していた。
 
(人がいない時間と場所だったらローウィン様の負傷の度合い次第では助からない)

エルザークがアーウィンと会い、すでに一日近くが経とうとしている。セイーラには肉食獣も多く生息している。血のにおいはそれらの獣の闘争本能をかきたてる。

(だが今はアーウィン様を救う方が先だ)

北方の後継者となるべき人物。ローウィンには申し訳ないが一人でも確実に救い、その血を絶やさぬようにするのが臣下としてのあるべき姿なのだ。
そのまま馬を進めていくと見覚えある風景が見えてきた。

「森の出口…!ローウィンは…っ」

アーウィンが声をあげる。エルザークはアーウィンの声を無視して馬を走らせ始めた。セイーラの森の入り口から数キロほど離れたところに小さな砦がある。そこには常に常駐する兵と騎士がいるからそこまで行けばアーウィンを託すことができるだろう。
エルザークの予想通り、砦には人がいて、消息不明だったアーウィンの姿に歓声があがった。

「頼んだぞ」

エルザークは重傷で消耗の大きなアーウィンを高齢の砦担当者に託すと携帯食料らを補充し、急ぎ森へと戻った。

「むしろいてくれない方が生存率は高いんだが…」

まだ救わねばならない人がいるのだ。

(無事でいてくれ!!)

エルザークの祈りがエルザークの腰に下がる球を輝かせた。