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◆黒き歴史の傍観者(5)


時は十年前に遡る。

北の冬は早い。
二期作が可能な南方では考えられないほど早く初雪が降り、東方領が収穫に忙しい頃、湖が氷に閉ざされるのだ。
北方の宿敵ともいえる北の大国ホールドスが襲ってくるのも氷に閉ざされる直前が多かった。収穫を終え、大地が完全に雪で埋まるまでのわずかな期間を狙って襲ってくるのだ。ホールドスも北の国だが、気候は北東からの季節風にさらされる北方領よりも比較的温暖で、冬もそう厳しくないのである。
しかし、今年は戦いが長引き、冬を迎えた。
何とか撃退したものの、まだ残党が残っているとの情報を受け、アーウィンたちは国境沿いの砦へ一軍を率いてきていた。

アーウィンはサンダルス公爵家の生まれである。
サンダルス公爵家は大国ウェリスタの北方に広い領土を持ち、南東のミスティア、西のディガルドと共に三大公爵家の一つと歌われる大貴族の一つである。
サンダルス家は地理的に北の大国ホールドスを迎え撃つ場所に領土を持っているため、北の大国との小競り合いはしょっちゅう起こっていた。
特に近年、ホールドスの行動が活発であり、アーウィン自ら兵を率いて戦場へ出向くことは珍しくなくなっていた。

アーウィンは足下の積雪を見た。まだ踝ほどまでしか積もってないから戻るのにそう負担にはならないだろう。自分たちには馬もいる。が、時間が限界だ。そろそろ戻らないと日が落ちる前までに砦へ戻るのは困難になる。
「アーウィン様、そろそろ…」
副官の言葉にアーウィンは判っていると頷いた。しかしまだ先方の一隊が戻ってこないのだ。
アーウィンの血を分けた半身。同じ日に同じ母から生まれた双子の弟、ローウィンが率いる一隊が。
 
アーウィンはため息を付いて母譲りの銀色の髪を掻き上げ、水色の眼差しを先方へ向けた。
決断をしなければならない。ローウィンを救うか、見捨てるか。
サンダルス公爵を父に、ディガルド領主の妹を母に持つ二人は、血筋としては文句なしの生まれである。次代の北を担う身として共倒れするわけにはいかないのである。
そして二人は「北の双将軍」として幾度も戦場に立ち、死線を乗り越えてきた歴戦の将軍でもあった。
幾度もホールドスを撃退してきた二人は国民からの人気も抜群の一対として支持されている。

「アーウィン様……」

同行していた領主軍の騎士団長ゼンバが自慢の黒馬を進めてやってきたとき、アーウィンは彼が何を言うために近づいてきたのか悟った。
アーウィンとローウィンは北の後継者である。片方だけならともかく二人揃って失うわけにはいかないのだ。
あいにく今回は領主軍の中隊しか同行させていない為、戦力も十分とは言えない状態である。副官やゼンバたちにしてみれば状況がよくわからない以上、アーウィンだけでも守って撤退し、装備を整えて出直したい意向なのだろう。
しかしアーウィンの意思は既に固まっていた。というより彼にはそれ以外の選択肢はなかった。

「ローウィンを救いに行く」
「アーウィン様!!」
「大丈夫だ。俺たちに何かあっても……レインがいる。あの子は聡い。よき領主となるだろう」

アーウィンは幼い異母弟の名を出して副官たちに向かって悪戯っぽく笑んだ。

「知ってるだろう?俺たちは悪運が強いんだ。だが二人揃ってないとどうも効果が薄れる。生まれたときからセットだったからな。運もセットになってるんだろ。…失うわけにはいかないんだ…」


++++++


「おかしいな。こっちじゃなかったのか?敵兵を見たってのは?」

次期公爵候補とは思えぬほど気さくな口調でローウィンは農家の娘に問うた。

「こちらです、間違いありません。ここは地元ですし、よく通りますから。道は間違えません…」

ローウィンは首を傾げた。兵を見たという女性は断固として間違いないという。

「引き返したのか…偵察兵だったのかもな…」

女性が見たという隊は結構な人数だったというので偵察と考えるには難しかったが、こっちからも結構な数の兵を偵察に出している。それで見つからないのであれば、もう領内にはいないと考えるより他になかった。

「んー……」

ローウィンは考え込んだ。
ホールドス国との戦いのため、幾度も戦いを重ねてきたために、双方とも地理に長けている。何処に盆地があり、何処に森があって、どのくらいの兵が待機できるかなど、知り尽くしているのだ。
そして女性が見たという兵の数はこの一隊では簡単に隠せない数であった。偵察にだした兵が見逃すはずがないほどに。

「……念のため、兵を置いて、巡回を増やすか……」

ローウィンは暢気で大ざっぱな性格だったが、愚鈍ではなかった。
女性が嘘を言っているとは思わなかったが、いない存在のために時間を割くほど暇でもお人好しでもなかった。
ホールドス兵が本当に近隣に残っているので有ればすぐに出動できるよう警戒を整え、当面は様子をみることに決め、ローウィンは指示をだした。
 
「さて、アーウィンのトコへ戻るか」

愛する双子の兄。アーウィンを思い浮かべ、ローウィンは自然と笑みを浮かべた。
自分をブラコンとは思わないが、共に生まれ、共に育ち、共に幾多の死線を切り抜けてきた兄のことは世界で一番大切だと言い切れる存在であった。
幼い異母弟レインも大切で愛する存在であったが、「守るべき存在」と「背中を任せられる存在」の違いがある。
己にとって大切で必要なのはどちらなのか、ローウィンはよく理解していた。
自分たちは共に助け合って生きるだろう。
共に生まれてきたように、死ぬときまで一緒だろう……。

「ローウィン様?」
「ああ、今行く………!!??」

その時、ローウィンは異様な殺気を感じて振り返った。副官や兵たちの悲鳴のような声が静かな森の中に響き渡った。

 「ドラゴン!?」

背が10メートルもあろうかという巨大な体格。両足で立ったは虫類のような姿。長い湾曲に曲がった爪、鋭い牙。そして鱗。
伝説で歌われる、しかし目撃例は皆無と言われる幻の種族。
 
「こいつぁ、また……。ホールドス兵の方がまだマシだったかも、な」

竜が返り血やところどころ傷を負っているところを見ると、ホールドス兵と竜が戦った 可能性も高いと感じられた。
 
「テ……スト……コードナンバー……シンニュウシャ、ハッケン…」

「喋るのか!?なんて言ってるんだ!?」

「セントウモード」

聞き慣れぬ声と共にドラゴンの瞳が紅く悲しく輝いた。


++++++

「ローウィン!!」

アーウィンは残った力を振り絞って意識のない弟を抱きしめた。

よほどの激戦を繰り広げたのだろう、アーウィンの隊がかけつけたとき、辺りの木々はすべてなぎ倒され、あちこちで煙が燻っていた。
竜はアーウィンの軍が合流し、辛うじて倒したが、生存者はほぼいないという有様だった。
それは勝利ではなくほぼ相打ちであった。

「帰るぞ、ローウィン……」

そう、帰るのだ。愛する家族の元へ。

父は亡くなった母をずっと愛し続けていた。
ずっと独り身を続けていた父がやっと後妻をもらった。
三年前に新たな弟が生まれ、戦乱続きで代々人数が少ない北の領主一族の血が増えて喜んでいたところだった。
戦乱が続いていて、幼い頃から出征の繰り返し、殆ど家族の団らんを経験していない。
何を話したらいいのか判らなかった。
それでも……幼い弟のおかげでようやく家族の会話を出来るようになっていたところだった。

「誰か……誰でもいい、助けてくれ。我が命をやってもいい、何を代償としてもいい……」

物心ついたころには戦いのことを学んでいた。
戦場しか知らない人生を生きてきた。
行軍の天幕や握った剣の感触や、血臭、汗の臭い。
剣劇の音、哮る声、甲冑の鳴らす音。肉を切り、骨を断つ音…。
それらが身に馴染んだすべてで。
 
「俺じゃなくてもいい、弟だけでも…我が半身、ローウィンだけでも助けてくれ…」

明るく陽気な皆に好かれる性格。生まれたときから常に一緒で共に生き抜いてきた弟。
ハッキリとした垣根を作らぬ性格で一般兵にも莫大な人気を誇っている「北の双将軍」の片割れ。
弟はきっと激怒するだろう。自分だけ助かって喜ぶ性格ではない。
それでも…生きて欲しいのだ。
自分たちの生があったことを……なんでもない平和な生活を……戦場以外の幸福を知りたいのだ……。
大きく地が揺らぐ。
アーウィンはぎょっとして顔を上げ、そこにしとめた竜の姿を見つけた。

「ばかな…まだ生きて…」

絶望を感じながら、アーウィンは脇に転がっていた剣を握った。

「せめて弟だけでも…!」

希望を捨てたくない。諦めた時点で敗北は決定する。幼い頃からそう叩き込まれてきた。
どんなときも希望を捨てないのだ。
どんな道でも必ず突破口はある。

「諦めない…」

諦めた時点で道は完全に閉ざされてしまうのだから。

宵闇に包まれたセイーラの森はなぎ倒された木々と倒れた兵、そして血臭に包まれている。
アーウィンは挫けそうな自らの心を奮い立たせながら剣を握った。
弟と自らの血で塗れた手は剣の柄を滑らせた。
アーウィンはなれた手つきでマントの端を切り裂き、柄ごと手に巻きつけた。
 
「キンキュウモード キンキュウ………ハソン レベル………87パーセン……ト」

竜がアーウィンには理解できぬ言葉を紡ぐ。 
手は失血で力が入らない。アーウィン自身重傷であった。
アーウィンはかすむ目を凝らしながらカウンターを狙って腰を低く構えた。
自ら打って出る体力は残っていなかった。

「テッタイ………ターンオーバー………ジュンビ」

そのとき、アーウィンが失血していなかったならば気づき得ただろう。
しかしこのときのアーウィンには周囲を気にする余裕はなかった。
竜の周囲が微妙にゆがみはじめる。
霧が周囲を覆い尽くすごとく、景色が陽炎のごとく歪み始める。
少しずつ、しかしハッキリと周囲の風景の一部一部が水面に波紋を落としたごとく、ぽつりぽつりと歪み始めていたのである。
ゆがみは風景を、そして次元を捻じ曲げていく。

そして人の運命をも捻じ曲げていく。