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◆黒き歴史の傍観者(4)


初夏に起きた戦いも落ち着きを見せた秋。
ディンガルを担う三人は秋休みを利用して北方にあるセイーラの森へ来ていた。
秋は襲撃が起きない。収穫に忙しく、それどころではないのだ。
どの国も飢える危険を冒してまで侵略してはこないので、軍は秋に長期休暇を取るのが定例となっている。

セイーラの森は密林と言っていいほど緑豊かな北の森だ。
北方随一と言っていい広さを誇り、地理的には北の都ゼラーネの北に扇状に広がる森である。アステアの滝という美しさで有名な隠れた名所も持つ。

穏やかな親友と賑やかな後輩の後ろを愛馬と共に歩きつつ、エルザークは緑の香りが濃い森の風景を楽しんでいた。
戦火の後が全くない森を見ていると十年前を思い出す。

(なんの跡も残っちゃいねーな。ま、10年も経てばそんなモンか)

結局、あのとき双子の将軍を見つけることは出来なかった。
双子は行方不明のまま、時は過ぎ、現在は異母弟が後継者となっている。
エルザークはいつも腰に下げている丸い球を手のひらの上で転がした。
十年前、この森で手に入れた球をエルザークは誰かの遺品かと思い、持ち帰った。
しかし結局持ち主は判らぬまま、十年が過ぎた。
エルザークは処分することも出来ずに持ち歩いていた。いつの日かこの球を見て、名乗りをあげてくる遺族がいるかもしれないと思うと捨てきれなかったのである。
何も考えていないようで抜群に勘の良い後輩は何も言わない。
穏やかな親友は恐らく察しているのだろう。

『センパイたち、もーすぐ三十路ですねー』

なんて笑い飛ばしてくれた後輩はディンガル騎士団で最年少の副将軍で、昇進のたびに最年少記録を更新していた。
短い黒髪と大きな黒目を持つ後輩は180cmを越す長身だ。恐ろしいほどの勘の良さとずば抜けた剣技を持つ後輩は、見た目だけなら立派な騎士にもかかわらず、中身は十代後半のくったくのない性格のまま成長した。
共に死線をくぐり抜けてきた仲だ。目にしてきた凄惨な戦場と惨さは同じ量だけあるだろう。しかし彼は変わりがない。それは彼がそれだけの強さを持っている証だ。
アーノルドがいわゆる天才と呼ばれる部類の人間であることをエルザークは誰よりも知っていた。
そして己にそういう才能がないことも彼は誰よりもよく解っていた。
誰よりも手のひらのマメを潰し、誰よりも武具を変えてきた。
皮肉屋の将軍はそんな一面を持つ将軍であった。

「オルス、こっちこっちー、ほら、射ましたよ兎!」
「そうか……え?もう射ったのか?」
「射ましたよって言ったじゃないですかー!」
「それを言ったら射ましたも煎ましたも一緒の意味になるじゃないか」
「オルス先輩、何を言っているのかわかんないッス!ねえ、エルザーク先輩」
「俺をアホな会話に巻き込むな」

相変わらず気の抜ける会話をしている二人に呼ばれ、エルザークは苦笑しながら答えた。
あの二人はこの森で起こった悲劇を目の当たりにしていない。
この森で起こった悲劇を知ってはいても目にはしていないのだ。そのため思い出すこともない。

「獲れたてホヤホヤの兎ッス!あったかー。毛皮ふわふわ。いい手袋になりそう!」
「エルザーク、アーノルドの兎で昼食にしよう」
「あー、判った。今行く」

セイーラの森は幾つかの道があるが、一歩はずれると密林のように深い。
そのため、馬に怪我をさせてしまわないよう気をつけながら、エルザークは愛馬を呼んだ。

「ペル、こっちだ。気をつけろ」

そのまま進んだエルザークは何かを踏んだ気がしたが、気にしなかった。何しろ森だ。足下は小枝や木の実がたくさん落ちている。
そのため、ピッという小さな音も気にせず、そのまま歩みを進めた。

(…なんだ?)

不意に周囲が揺れるような軽い眩暈を感じる。
エルザークは自分の周囲が急に暗くなったことを感じた。
セイーラの森は深い。一度道を外れると昼間でも薄暗く、頭上は厚い木々が覆っていて陽光は微かに降ってくる程度だ。
頭上を見上げようとしたエルザークは焦げ臭い匂いを感じて前方を見据えた。

「ペル!」

戦場に身を置く者としての勘が異常事態を知らせる。名を呼ばれて駆け寄ってきた愛馬に飛び乗り、先を急いだ。
ほどなくしてエルザークの視界に飛び込んできた光景は、なぎ倒された巨木と重傷を負いながらも未だ動こうとする巨大な竜の姿であった。

(!!!なんだ、これは……!!これはまるで十年前の……!!!)

ハッと我に返ったエルザークはいるはずの友と後輩の名を呼んだ。

「オルス!!アーノルド、どこだ!!??返事をしろっ!!」

二人とも歴戦の戦士だ。オルスは防御、アーノルドは攻撃に長けている。急な襲撃があってもわずか1、2分の時間差であっさり敗北するとは到底思えない。伊達に完全実力主義のディンガルを担ってるわけではないのだ。

「オルス、アーノルドッ!!!」

近くにいた筈の親友達を呼ぶが返答はない。
代わりに赤く瞳を輝かせる竜が大きく動き、何かが弾き飛ばされる。
それが人であると気づいた次の瞬間にはエルザークはその弾き飛ばされた人物を受け止めていた。