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◆双〜共に歩み行く道〜(9)


「年末年始の飲み会をやるからな、来いよ」

酒場でカウントダウンもするんだぜ〜などと上司兼友人のアスターに誘われていたレナルドは、行こうかどうか迷いつつ、家でゴロゴロしていた。
もちろんギルフォードの家である。すっかり自宅には帰っていないレナルドだ。
いいかげん腹が減った。今日はギルフォードが食事を作ると言っていたはずなのに。そろそろ自力で飯を作るべきだろうか。急な仕事が発生したのかもしれないし。
そう思いつつ、食料庫を覗くと、酒がなかった。そういえば飲み干したのだったか。
仕方がない、酒なしではつまらないから買いに行こうと財布片手に家を出ようとした時、家の主が帰ってきた。

「おかえり」
「………」
「おかえり」
「………」
「ただいまは?」

挨拶を忘れるなんて彼らしくない。軽く抗議しようかと思ったレナルドは相手の様子がおかしいことに気づいた。うつむき、体を震わせている。手をきつく握りしめ、歯を食いしばっている。一体何があったのか。

「レナルド、俺は劣っているか?」
「?」
「俺のどこがスターリングに劣っている!?俺はいつだってあいつを助けてきた!功績はあいつと同じだ!!俺のどこがあいつに負けているというんだ!!」

かなり興奮しているようだ。
ギルフォードは普段、自分のことを『私』という。あまり『俺』という言い方をしないのだ。彼自身、そう気がけているらしい。しかし、今はそういったことを気遣う余裕がないのだろう。

「教えてくれ、レナルド!俺はあいつに負けているか!?正直に言ってくれ!」

普段冷静で、プライドが高く、弱い部分を見せようとしない恋人の姿にレナルドは驚いた。
絶対に弱い部分を見せようとしない男だ。プライベートでも命令口調であることが多く、人の上に立つことに慣れている。
仕事では隙を見せては掬われることも多いらしく、いつも気を張り詰めているようだ。そしてそれが日常になっているようだった。
なのに、この姿だ。レナルドに気を許している証でもあるが、よほどのことがあったのだろう。

「負ける?意味、判らない」

本音だ。意味がよく判らない。何故比べなくてはならないのか。
そもそもスターリングは彼の同僚だ。しかも運命の相手だ。競い合ってどうするのか。
レナルドは、ギルフォードにとってのスターリングは、自分にとってのアスターやシプリのようなものだろうと考えていた。職場での同僚、友人、戦場で共に戦って生きる仲間だろうと。
だから、競い合うという考えがなかったのだ。
怪訝そうなレナルドに、ギルフォードは、スターリングがデーウスによって黒将軍に指名されたのだと伝えた。

「あぁ………」

納得したような反応にギルフォードはカッと顔を紅潮させた。

「お前までスターリングが優れていると言うのか!?」
「違う。デーウス最悪!」
「な、なんだと!?」
「あの男、人を見る目ない」
「なっ……」
「俺とセルジュ、そのせいでとても苦労した」
「は……?」

突拍子もない話にギルフォードは目を丸くした。

「ベランジュール国で苦労した。あの男、最初、セクハラ医師連れてきた。次、ヤブ医者だった。その次、男好きの女医だった。俺とセルジュ、とても迷惑した!」

思いがけぬ話にギルフォードは目を丸くした。
デーウスが選んだ医師がことごとく駄目な医者ばかりだったらしい。
なるほど、プライドの高いセルジュは激怒するだろう。修羅場になったに違いない。

「あの男、人を見る目ない。気にするな」

そうあっさりと片付けられる問題ではないのだが、さらりと言われてしまえばそんな気がして、胸の内にあった大きな憤りはいつの間にか静まっていた。
自分にとってのデーウスは尊敬する相手であり、大切な上官だ。ある意味完璧な人物とも思っていた。レナルドが言うような見方は一度もしたことがなかった。
しかし、レナルドの目から見ればそんなことはないらしい。

(人を見る目がない、か。そんなことはないと思うのだが……)

ギルフォードにとって、デーウスは尊敬できる素晴らしい上官なのだ。
ここまでギルフォードが出世できたのも、デーウスが引き立ててくれたからであり、感謝もしている。
しかし、レナルドのことも信頼している。彼は嘘をつくような人物ではないのだ。
ギルフォードは困惑した。すっかり怒りは収まっていた。

「地位、どうでもいい」
「いや、それは…」

反論しかけて、ギルフォードは以前、彼と交わした会話を思い出した。

『私は青将軍、君は赤将軍。そのことについてどう思う?』
『どうでもいい』

地位の差を問うたことがあったが、あっさり即答されたことがあったのだ。
そうだった。彼は赤将軍という高位にありながら、地位を全く気にしない人物だった。

「あんた、いい男」
「…レナルド」
「保証する。あんたが黒将軍でも青でも赤でも、色なくてもいい男」
「ハハ……」
「大丈夫、黒将軍なれる。彼、死ねばなれる」
「いや、死なれるのは困る!」

反射的に反論して、ギルフォードはハッと我に返った。
そうだ、死なれるのは困る。むしろ死なれたくない。スターリングには生きていてもらわねばならない。
しかし、何故そう思うのか。彼には迷惑ばかりかけられているというのに。
だが、悔しいとは思っても恨む気持ちは胸のどこを探してもでてこないのだ。いつも振り回されているのに、嫌いだと思ったことは一度もない。本当に困ったことばかりおこすのに。
それは何故なのか。だがいなくなればきっと酷く寂しいと思うのだ。

「友達?」

考えるよりも先に、その答えは目の前の相手が出してくれた。

そうだ、スターリングは友人だ。だからいなくなれば寂しいのだ。いなくなられては困るのだ。
どんなに困った相手でも。
どんなに無理難題を持ち込むような相手でも。
スターリングは友人だ。だからこそ、見捨てることができなかった。

「じゃあ祝おう」
「そうだな……」

祝わねばならない。友が黒将軍になったのだから。

やっとそう思うことができた。吹っ切れたのだろう。
自然にそう思えるようになった。
目の前の彼のおかげで。

『おめでとう、スターリング』

さきほど言えなかった言葉が今は言える気がした。

「酒買ってくる。ないから」
「あぁ、そういえばそうだったな。じゃあその間につまみでも作っておこう」
「うん」

入り口の扉を開けつつ、レナルドは振り返った。

「いってきます」
「いってらっしゃい」

きっと明日はスターリングに祝いの言葉をかけられるだろう。
胸に満ちていた怒りも悲しみもレナルドが消してくれた。

(ありがとう、レナルド)

変わったしゃべり方をする不思議な雰囲気の男だ。しかし、感情に素直なその言動がギルフォードには好ましい。いつだって彼は自然体で接してくれ、彼の前では気を張り詰める必要が無く、体の力を抜くことが出来る。地位や立場を意識しない彼はギルフォードにとってとても楽な存在だ。

黒将軍にはなれるかもしれない、なれないかもしれない。
けれど、スターリングを補佐していく道もレナルドがいてくれるなら、きっと歩める気がする。彼はきっとギルフォードがどんな道を歩んでも平然とついてきてくれるだろう。
だから自分もレナルドが歩む道を共に歩こう。おかしな道を歩いていく時は連れ戻すつもりだが、彼とならきっと歩んでいける。
もっとも、黒将軍への道を諦めたつもりはない。自分はスターリングと同じ場にいたいのだ。今まで共に歩んできた。同格でなければ見えないことも多いということを知っている。だからスターリングが上がったからには自分も上がるつもりだ。軍のトップに立つことを諦める気はない。

「ただいま」
「早かったな。まだ何も出来てないぞ」
「大丈夫、料理も少し持ってきた」
「どこから!?」
「飲み会から」
「は!?」

近くの酒場でアスター軍の飲み会が行われていたということを知らないギルフォードはレナルドが持ち込んだ酒と料理に驚いた。

「お友達、昇進おめでとう。あと、新年おめでとう」
「はは、そういえばそうだったな。バタバタしていて忘れていた。新年おめでとう、今年もよろしく」
「よろしく」

酒を飲んだあとに口づけられたその口づけは少し長かった。

「食べてからじゃないとさせないからな」

赤らんだ顔を自覚しつつ、釘を刺すとレナルドはぺろりと唇を舐めた。

「残念」
「そろそろ特別な指輪を買わないか?」
「指輪……。邪魔にならない?」
「邪魔にならない物を頼む」

レナルドは思案顔で頷いた。軍人に指輪は邪魔にしかならないため、悩んでいるのだろう。
さてどんな指輪がくるのやら。そう思いつつもワクワクする自分がいる。

何となくいいかもしれないと思い、つきあい始めた相手。出会った時はこれほど好きになるとは思わなかった。いつの間にか彼との未来が自然と想像できる自分に驚く。
要領の良い相手はちゃんと美味しいワインを取ってきてくれた。そのワインを相手のグラスに注ぐ。

「あぁ、結婚だけはあいつより先に出来そうだな」
「?」

いつも振り回されて、昇進もとうとう負けてしまったが、一つぐらい勝てることがあるのは嬉しい。勝ち負けではないけれど、これぐらい勝利してもいいではないか。くだらないことかもしれないけれど、幸せな勝利なのだから問題はない。スターリングも祝ってくれるだろう。

「結婚しような」
「うん」

さらっと帰ってきた返答が嬉しい。彼もしたいと思ってくれているのだ。

「でも、順番守る」
「そうか、それは大切だな」

何の順番かなどとギルフォードは突っ込んで問わなかった。恐らく結婚の手順だろうと予想がついたからだ。
そういえばまだ親にも挨拶に行っていなかったな。
そう思いつつ、帰省について考えるギルフォードであった。