翌日、アスターは部下兼友人のレナルドの訪問を受けた。
相変わらず窓などから出入りする友人はシプリと同じくアスターがいない間に部屋に入り込んでいた。
土産だとポケットから10個ばかりの木の実を出してくる友人に呆れつつ、アスターはレナルドを好きにさせていた。
レナルドは奇妙な性格だが、戦場ではこの上なく頼りになる友なのだ。今まで幾度も生死の境を乗り越えてきた絆がある。
「うちの医者のところにじーさんがいた」
レナルドは木の実を囓りつつ、唐突に話し出した。
アスターはそんなレナルドに慣れている。
レナルドが言う「うちの医者」が兵士時代から世話になっている軍医のウルガ老であることを知るアスターは書類を見つつ答えた。
「あぁ、ホーシャムさん、また腰を痛めたのか?」
やっぱり今後は戦場は厳しいだろうかと思いつつ問うと、レナルドは首を横に振った。
「そのじーさんじゃない。昨日来たじーさん」
「新入りのじーさんなんていたか?」
「アスターが連れてきた人」
アスターは書類を捲っていた手を止めた。
自分が連れてきたという人物は今のところ一人しかいない。しかし高齢ではない。
「それって黒髪の痩せた男か?ザクセンって名なんだが…銀牢から俺が連れてきたんだ」
「…うん、黒髪。痩せてる。男」
アスターは首をひねった。
黒髪で痩せている男ならば間違いないだろう。しかし若干、年上程度にしか見えなかった。中年にすら見えない若い男が『じーさん』とはおかしい。やはり別人だろう。
「俺が連れてきたヤツは若かったぞ。別のヤツじゃないか?」
「違う。彼はじーさん。ホーシャムより年上だからじーさん」
「へ?ホーシャムさんより年上?」
「彼、光の印の持ち主。不老長寿」
「マジかよ!すげえな!」
なるほど。印が理由というのであれば納得がいく。
しかしホーシャムより年上とは思わなかったとアスターは思った。
「それじゃホーシャムさんたちと話が合うかもな。ホーシャムに相手をお願いするか」
いずれにせよ、隊に馴染んでもらうために世話係をつける予定だった。
ホーシャムなら古くから軍にいるし、新旧の事情を知っている。新人教育にも慣れているし、世話係としては適任だろう。
「レナルド。彼はうちの将軍になる予定なんだ。お前もよろしくしてやってくれ」
アスターの言葉にレナルドはあっさりと頷いた。そしてしかめ面になる。
「明日から休む」
「は?何だって?」
「結婚するらしい」
「誰が?」
「デーウスとセルジュ。俺、結婚式に出る」
「あぁ招待されてんのか。ん?お前、デーウス軍最悪とか言ってなかったか?」
「デーウス軍、最悪!」
「だから何でだよ…」
最悪と言い切りながら、結婚式には出るという。
「嫌なら出なきゃいいだろ。出なきゃいけねえ理由でもあるのかよ」
「理由。俺じゃない」
「はぁ?」
友のよくわからぬ言動に謎を覚えつつも、レナルドの謎の行動には慣れているアスターである。まぁいいかと片付けた。幸い、今は多忙ではない。レナルドがデーウスとセルジュの結婚式に出ても、さしあたりアスターには何の支障もないのだ。
しかしデーウスとセルジュの結婚式は思わぬ再会をアスターにもたらした。アスターの師であるロドリクが結婚式にでるついでに訪ねてきたのである。
「師匠、黒将軍だったそうですね。何で教えてくださらなかったんですか?」
再会の挨拶をした後、恨めしげに問うと師ロドリクはあきれ顔になった。
小柄だがよく鍛えられた体躯を持つ壮年の師は日に焼けた顔を片手でさすりつつ答えた。
「んなことをしたら、有名になって子供以外も来るじゃねえか。俺の道場はガキ専門なんだよ」
すでにガキ以外も出入りしている道場なのだが、子供を中心に武術を教えたいという意向のあるロドリクは面倒なことになるのがいやだったらしい。彼らしいと言えば彼らしい理由である。
「それよりお前、側近が兵の成り上がり中心だと噂で聞いたが、赤将軍は揃ってんのか?ん?これから先ぁ、体術ばかりで何とかなるってもんじゃねえぞ」
元黒将軍である師の言葉は実感と重みがある。アスターはしかめ面になった。
「集めている最中ですがなかなか…こちらが候補なんですが」
書類を見せると師は興味深そうな顔になった。
「ほぉ、札付き揃いか……ん?お前んとこにザクセンがいるのか?」
「ご存じなんですか?」
「ヤツは元黒将軍だ」
勝手に赤将軍だと思いこんでいたアスターはコーヒーを吹き出しそうになって咳き込んだ。それでは部下に出来ないではないか。
「ゲホッ……あ、赤じゃなかったんですか?」
「そりゃ何十年前の話だ。ヤツは黒だ。もっともその地位は剥奪されたようだがな。光の印の持ち主でな…あぁ光の印については聞いたか?こいつぁ、ちょっとばかり厄介だぞ、アスター。お前、どうやって牢から出した?」
「ええと…どうやってというか無理矢理連れてきただけなんで…これから対策を考えるところです」
「なんて無茶しやがる。国王直轄の銀牢。それも光の印の持ち主じゃ厄介だぞ、アスター」
「何故です?師匠」
「光の印は不老長寿だ。死に作用する闇の対極にある光の印は生に作用する。成人後は老化せぬ上、強靱な肉体で死ににくい体となるため、権力者がこぞって欲しがった。それが光の印だ」
「……」
「だが光の印は闇の印と同じく希少印だ。数自体は闇よりも希少で見つかりにくい。ザクセンは先々代の王に気に入られ、保護を受けた。やつは『王族の保護』のおかげで他の権力者に目をつけられずに済んだんだ。だがそれも過去の話。下手に目立てば権力者の実験台にされかねないぜ」
アスターは困った。そういった事情は全く知らなかったのだ。
しかしまた彼を牢へ戻す気はない。彼を助けたいのだ。
「罪状が判らなくて。不敬罪としか書かれてないんです」
「よくある罪だな、そりゃ。あいつはプライド高いヤツでな。懐かないヤツだから当時から敵だらけだった。貴族か王族の機嫌を損ねたんだろうよ」
「…何とかなりませんか?師匠」
アスターが問うとロドリクは面倒くさそうにため息を吐いた。
「…ったく、厄介事を抱え込みやがって。権力には権力。他の黒将軍を味方につけるのが早道だ。当てはあるか?」
「…いえ、あまり。でも頑張ってみようと思います」
「しょうがねえな。ザクセンは知らぬ仲じゃねえし、手伝ってやろう。黒将軍のうち二人、デーウスとバッカスには話をつけておいてやる。あと最低一人は自力で見つけろ」
「あ、ありがとうございます。でも大丈夫なんですか?」
「あいつらは元部下だ。何とかしてやる」
頼もしい師匠にアスターは再度頭を下げた。
「ありがとうございます」
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師匠を見送ったアスターは入れ違いにシプリの訪問を受けた。
彼は麾下の赤将軍でありながら、アスターの副官に近いような仕事をしている。
本来、将軍位には副官がつきものなので副官を持っていないアスターの方が異例なのだ。
誰か任命しないのかと言われつつも、特に必要性を感じないため、のらりくらりと副官を持たぬまま過ごしているアスターは、麾下の赤将軍や友人たちすべてから情報や伝達事項を受けている。常に誰かが側にいる上、部下たち全員が副官を肩代わりしてくれているようなものなのであまり不都合を感じないのである。
「あのさ、下のロビーに居候がいるんだけど」
「居候?浮浪者でも集まってんのか?」
「それに近いかもね。赤将軍さ。ロビーに堂々と寝転がって昼寝してるよ。目撃者の話によるともう三日目だって。うちの公舎に居着いてるそうだよ」
「はあ?何でまた。俺に用事じゃないのかよ?」
「そうだとは言い切れないね。聞いた話によると彼は『盗人ロー』という異名持ちの将軍でね。功績を横取りするのが得意だという悪評判高い男さ。そのせいで皆に嫌われ、あちこちの職場を転々としているそうだよ。当然、兵力も殆ど持たせてもらえず、形ばかりの将軍職なんだそうだ」
「あー…そういや…そんな名がもらった紹介状の中にあったような…」
「どうする?」
「んー、俺としちゃあ功績なんてどうでもいいから横取りされても問題ねえんだが…ホーシャムさんの補佐をしてもらうか」
「ホーシャムの?」
「経験は何にも勝るって言うからな。経歴長いじーさんの目まで誤魔化せるかどうかお手並み拝見だ」
ホーシャムの隊は兵士時代からのたたき上げの歴戦の兵たちが揃っている。老将の隊はアスター麾下の中でも1,2を争う強さを誇る部隊なのだ。
「そろそろじーさんの後任が欲しいと思っていたところだし、ちょうどよかったな」
「君の部下には変なやつばかり集まるね。先が思いやられるよ」
「どういう意味だよ、シプリ!」