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◆ガラスの鏡(2)


隊長のアスターが戦場は経験してみないと判らないと言っていた。
その時はそりゃそうだろうと思っただけだった。
今になって思う。全く判っていなかったのだ。その時の自分は。
対ニーイル戦は混戦模様となった。

(怖い!!)

殺されるかもしれないという恐怖が精神を支配し、体が硬直する。
頭がパニックになり、体が思うように動かない。
士官学校時代に実戦形式の練習も行ってきた。乱戦練習だって経験済みだ。しかし、所詮は『訓練』だったのだと今になって思い知る。隊長の言うとおりだ。戦場は違う。溢れる殺気が、緊張が、まるで段違いだ。

動けぬ新人騎士は狙われやすい。
周囲がパニック状態に陥り、殺されようとしているとき、ピンチを救ったのは土の防御陣だった。
驚くレオニードの目の前で、逃げ腰だった同期の騎士が平手打ちされる。
叩いた人間にレオニードは驚いた。あのエドワールだったのだ。いつも気弱におどおどとしていたエドワールが動いて叩いたのだ。

「頑張ってください!!僕だってこうやって頑張ってるんですよ!!貴方、騎士でしょ!?」

そう啖呵を切った。
その隣でトマが頷く。

「そうですっ!!坊ちゃまがこれほど頑張っておられるのに、ちゃんとした騎士の貴方が何をやってらっしゃるんですかっ!!」

二人は戦場に満ちあふれる殺気に怯えもせず、硬直もしていなかった。
慣れた様子で周囲を確認し、タイミングよく、防御陣を張ったり、地神の手で攪乱したりして動いている。

「西、来ますっ!!」
「了解!!左翼、もうちょっと広がれ!!大技のターゲットになるぞ!!印持ちは敵への攪乱を忘れるな!右翼は現状維持!」

エドからの報告にアスターが即答で指示を出している。混戦でも己の隊の状況を見失うことなく把握している。的確な状況判断は戦場に慣れていないと出来ない技だ。

「あぁ、もうサイアクっ!!なんでこんなことに巻き込まれなきゃいけないのさ!あの新兵だらけの隊の隊長は誰さ!?」

怒ったシプリの強さは驚くほどのものだった。文字通り、鬼神の状態で敵を切り捨てていく。その強さは戦場慣れしているが故の強さだ。人を切ることに慣れているのだろう。吹き出す返り血を気にすることなく、無駄と躊躇いのない動きで切っていく。

(この二人、強い……)

ようやく体が動くようになったレオニードにもアスターとシプリの強さはよく判った。
寒気がするような強さとでも言うのだろうか。けれど手の届かぬ強さではない。だからこそ二人の強さが判る。
二人はただ、武術のみで強くなったのだ。上級印というわけでもなく、人並み外れた技があるわけではない。
二人にあるのは経験と腕と頭だ。状況を正しく見極めながら、どう動くのが一番効率がよく、生き延びられるのか。そのことを身に染みて知っているのだろう。そして二人の強さは躊躇いの無さからも伺える。躊躇っていたら死ぬ。そのことをよく知っているのだろう。
戦場慣れした二人は体が自然に動いているようだ。豊富な戦場経験で腕を磨いたのだろう。

「エド、もうちょっと持ちこたえて!!アスターが敵将に会った!!彼のフォローをするから!!」
「了解しました!!」

そしてそれはエドとトマも同じだ。
馬鹿にしていた二人だったが、防御技に長けた二人はシプリやアスターよりも新人たちの力になっていた。二人の防御と攪乱のおかげで動きのぎこちない新人たちも何とか生き延びている。二人のフォローがなかったら新人達は格好の標的にされて全滅していただろう。

『殺すことを躊躇うなよ』

アスターは戦い前に新人に対してそう言っていた。
その時は何を当たり前のことをと思っていたが、なるほどその台詞の意味がよく判った。
実際に戦場に出たら、切ることに一瞬の迷いが出る。目の当たりにする死に、躊躇いが出るのだ。そのことをアスターは知っていたのだろう。

(弱い。俺は戦場で死んでも当然だ…)

そう唇を噛みしめたとき、隙を突かれた。横から槍が飛んでくる。
死を覚悟した瞬間、発動した防御陣がレオニードを守った。ちゃんとエドワールが気付いていたのだ。

「動いて!!狙われてますよ!!」

一喝される。
ハッとした瞬間、頬を叩かれた。

「動く!!ちゃんと剣を持って下さい!!戦えないなら自衛ぐらいしてください!!」
「わ、かった…!」

情けなさに涙がでそうだ。そう思いながら剣を構えた。
迷いは消えていた。