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◆人形なる獣(8)


若いノースより更に若いレンディは、黒将軍一の権力を持つと言われる人物である。
国王の寵愛を受ける彼は王都に広い屋敷を持っている。
その広い屋敷の一角でソファーに寝転がっていた彼はあまり興味なさそうな顔でノースの話を聞いていたが、途中から眉を寄せ、最終的にはしかめ面となった。
元々あまり感情を見せぬレンディである。ノースはその変化に内心驚いた。

「そうか。『二人』いたのか。気付かなかった。これは私の落ち度かもしれないな」
「どういう意味だい?」
「ノース、君は君の軍の前任者をどのくらい知ってる?」
「ゼロのことかい?あいにく殆ど知らない。唯一、ダンケッドだけがゼロの元部下だが彼はゼロのことを話してくれないしね」

無口なダンケッドは前任者のことを全く話そうとしなかった。
ノースも己の前任者には全く興味がなかったので知ろうとしなかったのだ。

「そうか。私も殆ど知らない。だが知っていることもある。ゼロは印の巧みな使い手で、複数印の持ち主だった。彼は緑の上級印も持っていた」

緑の上級印ならば自分の部下も持っているな、とノースは思った。
カークもまた複数印の持ち主で緑も持っている。
しかし、複数印、それも上級印となると軍にも殆どいない。本当にほんの一握りなのだ。

「ゼロは側近を育てていた。その一人がアグレスだ。彼は感情がないまま育てられた」
「感情がない…?」
「そうだ。その方が殺人鬼に相応しいと思われたんだろう。疑問を持たずにゼロの思うがままに行動する人形。そのように彼は育てられていた。……死したゼロの屋敷には輪廻に戻れぬまま彷徨いし影が多くいた。彼等にそう聞いた」

だがもう一人いたとは知らなかったとレンディは呟いた。

「ダンケッドが他人のような気配になったと言っていたが、その育てられ方と関係があるのかもしれないね」

ノースがそう呟くとレンディが目を見張った。

「レンディ?」
「戦場で暴走して大量に殺したと言っていたな?印は?」
「あぁ。水でね。酷い惨状だったよ」
「水か。それはゼロも持っていた印だ」

レンディは身を起こし、ソファーを降りた。

「ディルクに会う。どうやらディルクにはディルクじゃない者が居るようだ」


++++++


軍の総本部の一室に連れてこられたディルクに対し、レンディはうっすらと笑んだ。

「やはりそうか。…久しぶりだね、ゼロ」

驚くノースの目の前で、ディルクの表情が変化する。
殺気に溢れ、隙のない姿でディルクは片手を前方に突き出した。その手に氷が巻き付いていく。切っ先が尖った氷の刃が針のように手を覆っていく。

「さすがレンディ……君の竜の力かい?」

よく見抜いたと言いたげなゼロは油断なくレンディを見据えつつ、冷ややかに笑んだ。

「ここで戦えば…君はともかく、ノースはどうかな?」

ノースには殆ど戦闘能力はない。
ゾッと身を震わせるノースに対し、レンディは冷静だった。

「その体から出ていけと言いたいところだけれど出ていってくれそうにないな」
「あぁ……ディルクは私のものだからね。いつでも命を賭けてくれるよき部下だ」
「間違っている!!部下はそんな風に使うものじゃない!!」

思わず反論したノースに対し、ゼロは冷ややかに笑んだままだった。ノースの中に怒りがこみ上げる。

「部下には部下の考え、人生がある!!離れろ!!その体はディルクの体だ!!」
「私はディルクですよ?ええ、今は」

笑んだゼロは氷の刃に纏われた手を振りかざした。
腕を覆った無数の氷の刃が飛んでくるかとノースは身構えた。
しかしそれよりも早く飛んできたのは風の刃であった。
ディルクの体が切り裂かれ、血にまみれて倒れていく。
ハッとして振り返ったノースの目に入ったのは、部屋の入り口に立つカークの姿であった。

「カーク!!」

カークは珍しくも険しい表情で、技を放った腕を下ろした。

「申し訳ありません。タイミングがぎりぎりで手加減する余裕はありませんでした」

そしてちらりとレンディを見た。

「レンディに呼ばれましてまいりました」

カークは倒れるディルクの側に膝を突くと、ディルクの体を調べ、首を横に振った。
レンディは立ったままディルクを見下ろし、呟いた。

「ゼロは消えたようだね。やはり霊には風の印が一番いい」

これで万事解決を言わんばかりのレンディの口調にノースは怒りが爆発するのを感じた。

「…っ、他に、他に方法はなかったのか!?ディルクまで殺すことはなかっただろう!?」

ゼロが取り憑いていたディルク。
ノースはゼロの後任として黒将軍についた。つまりノースの黒将軍経歴分、取り憑かれていたことになる。
その間、ずっとゼロに捕らわれていて、ゼロのために殺されたのであれば彼の人生は一体なんだったのか。こんな終わり方をするために生きていたわけではないはずだ。

「答えろ、レンディ!彼を殺すつもりだったのか!?」

部下を殺すためにレンディを頼ったわけではないのだ。
ディルクを助けて欲しくて助力を乞うたのだ。

「ディルクはゼロのために生きていた。ゼロの窮地を救うために戦場に一人残されることなどよくあったらしいよ。愛するゼロと逝けたのなら満足だろう」

良いことをしたと言わんばかりのレンディの口調につかみかかろうとしたノースを止めたのはカークであった。

「ノース様!」
「頭を冷やすんだね、ノース。君らしくないよ。我々、軍人にとって死は必然。そうだろう?君が戦場で生み出す死とディルクの死、どう違うというんだい?」
「……っ!!」
「君にも私にもいつか死はやってくる。早いか遅いかの違いだ。死んでも彷徨うだけ。肉体は器にすぎない。そしていつか魂も消え去って世界へ戻っていく。それが死だよ」

死さえも恐れていないと言わんばかりのレンディにノースはゾッとして背を振るわせた。
怒りと恐怖が混ざり合った感情はノースの体を小刻みに震わせた。
ノースは滅多に怒りを感じることがない。それだけにコントロールできないほどの感情の高ぶりを感じることは彼の人生においても滅多にないことであった。
その怒りにカークも気付いたのだろう。レンディが部屋を出て行くまでノースへの拘束を解かなかった。

「ノース様……申し訳ありません」
「…………あぁ」

ディルクのことだろう。
しかしノースはカークへの怒りは感じなかった。それ以上にレンディに怒りを感じているからだろう。
レンディが視界から消えたことで徐々に頭が冷えていく。
カークは謝罪したが、今回、カークはすべてノースのために動いている。
ディルクを容赦なく攻撃したのはディルクの攻撃よりも先にディルクを倒すためだ。そうしなければノースを守ることができなかった。間に合わなかった可能性が高いのだ。
そしてレンディにつかみかかろうとしたノースを拘束したのもノースのためだ。レンディには青竜がいる。使い手を守ることを最優先する竜の前でレンディを襲おうとしたら間違いなく青竜が動く。そうすればノースもただでは済まなかっただろう。

「…ディルク……」

結局、彼自身とは喋ることすらできなかった。
わずかな間だったが、ディルクがノースの部下であったことに変わりはない。その部下を助けることができなかったのだ。
そこへダンケッドがやってきた。彼も事情を聞いて駆けつけてきたのだろう。しかし少し遅かったようだ。
室内の状態を見て眉を寄せるダンケッドへカークが耳打ちしている。事情を説明しているのだろう。

「ノース様、公舎へ戻りましょう。彼も埋葬してやらねばなりません」
「……あぁ」
「せめて手厚く弔ってやりましょう」
「……あぁ……」

カークがダンケッドへ頷き、ダンケッドが心得たようにディルクの体を抱き上げる。
カークに背を抱かれつつ、ノースは部屋を出た。