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◆人形なる獣(2)


ディルクを拾ったゼロはガルバドス国の軍人であった。
巧みな印使いであるゼロは頭の良い人物で、順当に出世していった。
ゼロは優しげな容貌でありながら、けして優しくはなかった。人を利用することを躊躇わず、非情な選択も下す人物であった。
ディルクはそんなゼロに軍人となるべく育てられ、期待を裏切らず、戦闘能力の高い将となった。ディルク自身、生き延びるための力が欲しかったのだ。

以後、どんなに過酷な戦場であろうとディルクは生き延びた。
救援など期待はしない。
最初から望まない。自力で生き延びることだけを考える。
治安が劣悪な街で育ったディルクが、生き延びるために身につけた性は、成人後も彼を縛り付けていた。
しかしたった一人であろうと生き延びるというその生来の基本が、彼の並はずれた強さへと繋がっていった。

『期待はしない』

それがディルクの基本だった。
そしてそれは仕事でも私生活でも同じだった。
誰からの好意も期待しない。ただ与えられるものだけを受け入れる。
誰からの愛情であろうと、上司や部下からの信頼であろうと、ディルクはただ受け入れるだけ。
期待しなければ裏切られることはない。
期待しなければ裏切られた時、損害を受けることもない。
育った環境から身につけた、生きるための術。
それは確かなゆがみであったが、ディルクにとっては呼吸と等しく自然なことだった。


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『ディルクは感情が足りないね』

ディルクを一番良く知っているであろうゼロが言った言葉である。
ディルクには感情が足りない。
何も望まないから愛や好意を知らない。
何も期待しないから裏切りも憎しみも知らない。
正の心も負の心もそれぞれ欠けている。
しかし当人はそんな感情を知らないから知っているふりをしている。
幼子のように『感情』を『真似て』いる。

誰にも興味を持たず、誰にも関心を抱くことのないディルクが、ただ一つ大切にしている相手がゼロであった。
上からの命令でさえ、のらりくらりとかわすことがあるディルクが、ゼロの言うことだけは条件反射のように従う。
ゼロの命令で人前ではそんなそぶりを見せないものの、『ゼロの命令だから』そうしているだけなのだ。
一度、やむを得ぬ状況下でディルクはゼロに見捨てられたことがあった。多くの怪我を負った部下を守るため、ゼロはディルクを切り捨てたのだ。それは上官として正しい判断だったがゼロがディルクを見捨てたことに変わりはなかった。
しかしディルクは奇跡的に生き延びて帰ってきた。
そして己を見捨てたゼロに何の恨み言もぶつけることなく、盲目的な服従は変わることがなかった。
生き延びるために他人を見捨てるのは当然だと考えていたし、何よりディルクにとってはゼロの無事だけが大切なことで、ゼロがすることなら不満はなかった。
そしてそのことにより、ディルクはゼロから絶大な信頼を得た。
ディルクにとってはゼロからの信頼すら期待するものではなかった。逆に気味悪く思われて遠ざけられたり、憎まれたりしても服従度は変わらなかっただろう。
しかしただ一人、大切な相手と認識している相手からの信頼はディルクに確かな変化をもたらした。
ディルクは産まれて初めて、普通は誰もが当たり前に知る『愛情』という感情を知ったのである。
それはディルクにとって初めて知る甘い感情であり、瞬く間にディルクを支配した。
ゼロにとってはこの上なく便利な手駒への褒美のようなものだったのかもしれない。
しかしそれはディルクにとって、最高の褒美となった。そういう意味ではゼロのもくろみは正しく成功していた。
今までも従順なディルクだったが、今まで以上に積極的に動いてくれるようになったからである。