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◆人形なる獣


いつだって裏切られてきた。
甘い顔を見せた方が愚かだと、優しさなど不要だという世界だった。
だからヘマをする方が馬鹿で、誰かの助力を期待することなどあり得なかった。
そんな世界で生きていたから、善良な人間は愚かとしか思えなかった。
それでも死の恐怖は常にやってくる。
そのとき幼いディルクは大きな傷を負っていた。
死の予感をひしひしと感じつつ、歯を食いしばりながら必死で痛みに耐えていたとき、現れるはずのない救いの手は現れた。

「おいで、助けてあげるよ」

甘い話は罠と決まっているのだ。
それでもその手を取らねば死ぬしかないことは幼いディルクの目にも明らかだった。

「取らないのか、頭のいい子だね。ではこうしよう。交換条件だ。僕は君を助ける。君は僕のために働く。どうだい?」

無償の好意じゃないと言われた方がディルクには納得ができた。
ディルクは頷き、ゆっくりと意識を手放した。


その手はけして優しい手ではなかった。
暖かなように見えて、冷ややかな刃を握る手だった。
まるで毒のように自然と体に染みこんで、いつしか死を与えるようなそんな手だった。
けれども、あの日あの時、死を目前としていたディルクにさしのべられたのはその手だったのだ。
そしてディルクを救ってくれたのもその手だけだった。
だからその手はその日からディルクにとっての唯一となった。


憧れでもない。
無償の愛でもない。
拾われた命。
ただ自分は彼のものなのだ。
それだけが唯一の真実。