蝶~夢境の鳥かご~


 まだ温かな体を寝台に横たえたアスターは、ベルンストの側近たちに棺を用意するようにと伝えた。
 しかし、あのような娼婦にそのような丁寧な扱いは無用と思いますが、と言われて面食らうこととなった。
 平民のアスターにとって娼婦は『近所の歓楽街で暮らしていた姐さんたち』のような感覚だ。そんな彼らに棺がいらないなどとは思えない。しかし王宮で働く人間には娼婦というのはそういうものなのだろう。棺すらいらない、と思われてしまうような立場なのだ。

(ひでえなぁ……)

 しみじみとそう思うし、このままではあの女性がどんな扱いを受けるか判ったものではない。遺体をゴミのように扱われてドブ川に捨てられてしまうなんてことが本当に起きそうだ。
 例えベルンストが世継ぎの王子として扱われていても、彼女のことに関しては周囲は命令に忠実に動いてはくれないだろう。さきほどだって無理矢理連れて行かれそうになっていたのだから。

(四面楚歌だな……誰も王子に共感せず、誰も女性の死を悲しまない。それどころか都合が良いと喜んでいるようだ)

 あの女性の存在はベルンストから玉座を遠ざけていた。側近たちにしてみれば邪魔者が勝手に死んだようなものだろう。だからその死を悼まないのだ。
 だがこのままでは王子があまりに哀れだ。愛する相手が亡くなり、その死を誰も悼んでくれないのはとても辛いだろう。アスターは軍人だ。当然ながら何度も死を見てきた。仲間が死んだ時は生き残った仲間たちとその死を悼み、慰めて励まし合うのだ。そうやって死を乗り越えてきた。だが王子はたった一人だ。その悲しみに共感してくれる者が一人もいない。それどころか喜んだり邪魔をする者ばかりだ。
 
「殿下に落ち着いてもらうためだ。早急に棺を用意しろ」

 ややきつめに命じると不満顔をしつつも動いてくれた。
 
(遺体が痛まぬうちに埋葬しないと……)

 そして早めに着替えさせる必要がある。遺体が死後硬直しないうちが理想だ。
 そのため彼女の世話係をしていた側用人を呼んだ。すでに連絡は入っていたようで、顔を強ばらせた二十代ぐらいの女性が二人やってきた。恐らく呼ばれる可能性を考えていたのだろう。呼んだらあっという間に来てくれた。

「埋葬のために着替えさせたい。彼女がお好きだった服はあるか?」
「青がお好きでしたわ」
「娼館でもいつも青を纏っていたとおっしゃってました」

 その言葉に負の感情は感じられず、悲しみが深い声だったのでアスターは安堵した。どうやら側用人は彼女に好意的だったようだ。恐らくは敵だらけであっただろう王宮内で少人数であっても味方がいてくれたことに安堵する。

「ではそれで。最後の服だ。どうか、精一杯綺麗にしてやってくれ」
「はい!」
「お任せ下さい!」
「殿下、カミィ殿の側用人が参りました。カミィ殿はお召し物が血で汚れております。お着替えをお許しください」
「ああ、判った……」

 女性の側についていたベルンストはアスターの促しによってゆっくりと離れてくれた。
 その隙に二人の女性が遺体に駆け寄っていく。そして『ああ、カミィ様!』と涙混じりの声を上げた。それによって彼女らが本当にカミィと仲が良かったと気づき、アスターは安堵した。悲しんでいる振りをしているのではと密かに案じていたのだ。
 アスターはベルンストと共に寝室を出て、広い居室のソファーに腰掛けた。

「よき側用人がいたようですね」
「ああ、なるべく平民に近い者を選んだんだ。そうするしかなかった」
「いい選択だったと思いますよ。彼女たちは本気でカミィ殿の死を悼んでいるようです。カミィ殿も心許せる人が側にいてくれたのは心強かったことでしょう」
「そうか、そう言ってもらえると少し救われる……。私は彼女に何もしてやれなかった……まさかあれほどレンディを恨んでいたとは……」
「あ~……それですが……いや、何でもありません」
「なんだ?どのような内容であっても叱責はせぬ故、申してみよ」
「あ~、これはあくまでも俺の想像なんですが……あれは自殺ではないかと」
「何だと!?」
「武器が果物ナイフのように小さな短剣で、相手がレンディ。つまり勝てるわけがありません。青竜ディンガの強さは有名ですから娼婦といえども知らなかったとは思えません。その上、襲撃直前に相手に知らせるかのように叫んでおられた。つまりそのことによって襲撃される側は身構える時間ができるわけです。……貴族のお相手をする高級娼婦は幼い頃からマナーや仕草、そして相手の気を引くため、多くの知識を叩き込まれて育ちます。貴族相手に楽しい会話をするため、いろんなことを知っているんです。だからただの平民より遙かに知識があることも珍しくありません。つまり頭がいい。にもかかわらずこの襲撃をしたというのは不自然に感じます」
「それは……」
「弟の仇というのも不自然です。娼婦というのは貧しい親に売られてなるものです。弟と一緒に売られるわけがない。我が国では男は少年兵になる道があり、賃金を貰えば家に金を入れることが可能となります。だから貧しい家であっても娼館に男の子を売るのは不自然なんです。しかも我が国の男ならガルバドス側です。敵国ならともかく自国民が青竜に殺されるなんておかしいじゃありませんか。だから自殺じゃないかと思ったんです。あの方の存在は貴方にとって足を引っ張ることになっていたでしょうから、貴方の為に死ぬことをお選びになったんじゃないかと思うんです」

 アスターがそこまで伝えるとベルンストは泣き崩れた。
 やはり伝えない方がよかったんじゃないかと思いながら、アスターはベルンストの隣に座って背をさすった。無礼になるのではと思いながらも放ってはおけなかったのだ。アスターの気遣いが伝わったのかベルンストは受け入れてくれた。
 そうして宥めているうちにベルンストの側近たちがやってきた。やはり主君が心配だったのだろう。
 そんな彼らにアスターは女性の遺体を埋葬したいがいい場所があるか問うてみた。

「妾向けの墓地ってあるのか?」
「そんなものはありません」

 試しに問うてみたが素っ気なく言われてしまった。やはりベルンストの側近たちはあの女性に良い印象を抱いてないようだ。王位継承のための足手まといとなっていた女性なので無理もない。

「尊き方々のための墓地に婚姻前の愛人でしかない人間を埋葬するわけにはいきません」

 冷ややかにそう言われてしまった。聞こえる範囲にベルンストがいるため『愛人』という言い方をしてはいるが、本音は邪魔なばかりだった娼婦を埋葬したくないのだろう。
 放っておいたら本当にろくな扱いを受けなさそうだと思いつつ、アスターはベルンストに告げた。

「殿下、王都の大聖堂に相談してみます。丁重に葬儀をしてもらいましょう」
「ああ、頼む」

 側近たちは顰め面であったがアスターは黒将軍だ。そして憔悴しているベルンストの心情を気遣ったのか、表立っては反対してこなかった。

「殿下、仕事が残ってますので明日また伺います。……あんたら、カミィ殿のご遺体は丁重に扱え。勝手に破棄などしたら許さねえぞ」

 側近たちをやや強めに脅し、アスターは王宮を退出した。……脅しておかねば本当にろくな扱いを受けないことが察せられた為である。
 そうしてアスターは退出したその足でダンケッドの元へ向かったのである。