蝶~夢境の鳥かご~
少し時は遡る。
アスターは南東のバルック地方に作る砦の件で王宮に来ていた。砦作りは国王の承認を得る必要があるため、面会申し入れをして無事承認を得たところである。
その際、国王バロジスクには『この砦を作る視察のためにあの地方を訪れていたようだな』と言われた。第一王妃と第十二王子を救出するという名目で関わった一件のことだろう。隠された真実を知るアスターは内心冷や汗をかきつつ、『はい、第一王妃様と第十二王子殿下をお救いできず申し訳ありませんでした』と深く頭を下げた。特に叱責はされなかったが、実に心臓に悪い出来事だった。
その後帰る途中にレンディに会った。王宮の広すぎるぐらい広い通路で作る予定の砦について話をしていたら美しい女性を連れたベルンスト第二王子が通りかかり、話しかけられたのだ。
ベルンストは次の王となる可能性が高い人物であり、すでに国政にも関わっているという。丁重に扱わねばならない相手だ。そのため、どのような砦を作るのだ?と問われ、地図を広げて場所から詳しく説明をしようとしていたところ、突如、ベルンストが連れていた女性がレンディに襲いかかったのだ。
「坊!!」
アスターは声を張り上げて庇おうとしたがそれよりも早く動いたのが青竜だった。
使い手の危機には人が把握できぬほどのスピードで動く青竜は体に絡みついた鎖状態から一瞬で大蛇に変化し、襲ってきた女性に食らい付いた。
「カミィ!!」
悲鳴のような声を上げてベルンストが女性を助けようと動く。アスターは慌ててその体を羽交い締めにするように止めた。
青竜は毒と酸を操る竜だ。人が叶う相手ではないし、臨戦状態の時に近づくべきではない。体が毒や酸で被害を受ける危険性があるからだ。
そして青竜は使い手以外に興味関心がない。つまり王族だからといって特別な配慮をしてくれるわけではないのだ。今ベルンストが女性を助けるために青竜に襲いかかったら間違いなくやり返される。
「離せアスター将軍!カミィをカミィを助けてくれ!!」
「駄目です、危険です!レンディ!女性を離すようディンガに頼んでくれ!!」
「……彼女は俺に襲いかかったんだけど。だからディンガはやり返したんだよ?」
「判ってる!だがもういいだろ!?彼女はもうお前に何も出来ないだろ!?」
大蛇となったディンガに頭から半分を噛みつかれた女性は血を流しており、ピクリとも動かない。大蛇の口からだらりとぶら下がった体からは生気が失われている。
アスターは戦場慣れしており、人の生と死は一瞬で見分けられる。それだけの経験をしているのだ。女性は明らかに死んでいる。恐らく噛みつかれたからというよりもディンガの毒で死んでいる。
暗に『死んでいるからもういいだろ』と言っているのだと気づいたレンディはディンガに命じて女性を解放した。ディンガは口を開いてぼとりと女性を床へ落とした。幸いにして食いちぎられるということにはならず、女性の体は存在している。ただ腕や胸に大蛇の牙の痕があり、ポカリと開いた傷口からは血が流れている。
「カミィ!!カミィ、しっかりしろ、カミィ!」
騒ぎを聞きつけて王宮の官や護衛たちが続々と集まってきた。ベルンストを羽交い締めにしていたアスターはやってきたベルンストの側近にその身を委ねたが、その側近もベルンストが女性に近づくことを許さなかった。何しろディンガの毒によって亡くなった女性だ。次の王とも目されるベルンストの身を案じるのは当然であり、触れぬよう諭されるのは当然と言えた。
「駄目ですベルンスト様、お亡くなりです」
「恐らくは青竜ディンガの毒によるものではないかと……」
「お触れならぬよう。あの女性の遺骸はディンガの毒で穢されております故……」
「カミィ!!己……よくも……よくもカミィをッ!!」
「なりません、ベルンスト様!!」
「どうか落ち着かれてください、ベルンスト様!!」
あまりに酷い騒ぎにアスターは顔をしかめつつレンディに問うた。
「坊、あの女性に触れたら毒に触れることになるか?埋葬すら無理か?」
「そんなことないよ。そうだろう?ディンガ」
「ああ。噛みついて少量の毒を入れただけだ。その毒も数時間で消えるような弱いものだ。遺骸に触れたところで何か起きることもないし、埋葬してもその土に毒が広まることもない」
「毒が数時間で消えてしまうのか。けど彼女が生き返るってことはないよな?」
「それはないよアスター。毒が消えたから死人が生き返るなんてそんな都合のいいことはないよ」
「だよなぁ……ハァ……。あ、悪い、レンディ。お前は被害者だ。襲われたらやり返すのは当然だし、今回の件を責める気はない」
「当然だよ。けどさ……全く殺気が無かったんだよね」
「……ああ、言っている意味は判る。あまりに不自然だな。あー、ちょっと王子を宥めてみるからお前はちょっと席を外してくれ。このままじゃ王子が落ち着いてくださりそうにない」
「そうだね、そうするよ」
愛する相手を目の前で殺されたベルンスト王子は半狂乱状態だ。周囲が必死に宥めようとしているが落ち着く様子は見られない。そんな中、視界に殺した張本人であるレンディとディンガがいては落ち着くものも落ち着かない。
そして駆けつけてきたベルンストの側近が女性の遺骸を持ち去ろうとした。直接手で触れぬよう大きな布でくるまれようとしている。
「待て、カミィをどこへ連れて行く気だ!!」
「彼女はディンガの毒で穢されております。早めに焼いてしかるべき場所に処分せねばなりません」
「何を申す!!カミィを勝手に連れ去るな!!私が許さぬ!!」
ベルンストは必死だが側近たちはその命令を無視して動いている。
女性の名を呼んで泣き叫ぶベルンストが気の毒になり、アスターは割り入った。
「待て。ディンガの毒は数時間で消えるものであり、今遺骸に触れても問題がないとレンディとディンガに確認した。よって連れ去る必要はない」
「アスター黒将軍、ですが……」
「別れの場ぐらい設けてもいいだろ。殿下にお時間を与えてやれ」
この国において、軍人は地位が高い。黒将軍は国王にのみ跪けばいいと言われており、王族と同等かそれ以上の権力を誇るのだ。それぐらい地位が高く、丁重に扱われる。
アスターは自ら女性の体を抱き上げた。アスターは長身だ。細い女性の体を抱き上げることぐらい容易に出来る。
「殿下、部屋へ参りましょう」
ベルンストは涙を流しながら頷いてくれた。