蝶~夢境の鳥かご~


 王宮の中庭はいつも庭師によって綺麗に手入れされている。
 花が咲き乱れる花壇に囲まれた場でダンケッドはお茶を飲んでいた。バルドイーンに先日の件を報告がてらやってきたのだ。一応詳細は信頼できる官によって聞いているだろうが自分の口でも伝えておこうと思ったのである。
 バルドイーンは表向き、『母と弟の死』によって喪に服しているということになっているので退屈していたようだ。ダンケッドの訪問を歓迎してくれた。

 少し力を入れると折れそうなほど細く繊細なティーカップの持ち手も、上流階級の生まれであるダンケッドには慣れ親しんだものだ。曇りのない銀のスプーンが添えられたデザートも王宮らしく繊細な飾り付けが施されている。
 ダンケッドは向かいに座る第一王子バルドイーンの話を聞くともなしに聞いていた。ダンケッドが無口なのは幼い頃からなので口を開かずとも不快に思われることはない。幼なじみなのでダンケッドのこういう性格はよく知られているのだ。
 そんな二人の視界の先を見覚えある男が女性を通りかかった。ベルンスト第二王子と青いドレスを身に纏った美しい金髪の女性だ。ベルンストは少し癖のある黒髪と青い目をした体格がいい精悍な男性だ。こちらに気づくと片手を上げて挨拶してきた。女性の方はドレスの裾を持ち、丁寧に一礼した。下層階級の生まれだと聞いているが慣れた仕草で一礼してきたところを見るとそういった教育を受けているらしい。ダンケッドは頭の良さそうな女性だという印象を抱いた。

「あれが噂の人物か?」
「おや、ダンケッドは会うのは初めてだったか?あれがベルンストのお気に入りだ」
「あまり血はよくないと噂で聞いたが」
「そうなんだ。実は娼婦でな。上流貴族向けの娼館に戯れに遊びに行った時に知り、引き取ってきたらしい。美しいと言ってベルンストが殊の外、気に入っていて側から離さないんだ」

 よりによって娼婦か、とダンケッドは思った。
 これが末端であっても貴族であったら娶ることが可能だ。妃は無理でも妾には出来る。
 だが過去幾人もの人間を相手にしたであろう娼婦を王族、それも王位継承者が娶るのは醜聞となる。一時的な愛人ならともかく娶るのは厳しい。

「一夜の遊びで済ませればよかったものを……」
「私もそう思う。むしろ皆そう思っている。さんざん説得したが聞く耳持たないんだ」
「そうか……」

 それはかなりの入れ込みようだ。そしてベルンストがそういう風に恋に溺れるとは思わなかった。彼は思慮深い性格で恋愛に現を抜かすタイプには見えなかったのだ。

(だが、よほどあの人間に惚れ込んだと見える……)

 あのような人間を側に置いて寵愛してしまえば玉座から遠ざかる。だが判っていて実行しているのだろう。ベルンストは頭がいいからだ。バルドイーンと共に他の王子王女を蹴散らして、一時は彼がもっとも王位に近いと言われていたことからも判るように玉座を継ぐのに相応しい実力を持つ人物なのだ。
 だがそれを判っていながら娼婦を側に置いている。よほど惚れているのだろう。
 そこまで考え、ダンケッドは気が重くなった。半ば覚悟しているとはいえ、王妃の座はますます揺るがぬものになったようだ。ベルンストがダンケッド以上に生まれ育ちのいい者を正妃として娶ってくれればダンケッドは王妃とならずに済むのに、現状では厳しいようだ。
 それでも試しに言ってみた。

「あれは遠ざけた方がよくないか?」
「他の者が言わなかったと思うのか?誰もが散々説得を試みた。無駄に終わったが」

 そう言ってバルドイーンは肩をすくめた。やはり周りも説得を試みていたようだ。

「殺せないのか?」
「執着が凄すぎてな……殺してしまえばベルンストの精神の方が持たぬだろうよ」
「それほどか……」
 
 ダンケッドは溜息を吐いた。やはり王妃という座からは逃れられぬようだ。

「バルドイーン。俺は堅苦しいのが嫌いだ。最低限の仕事はしよう。だがなるべく避けられるものは避けてくれるとありがたい」
「いきなり何の話だ」
「俺はそなたの妃にはなりたいが王妃にはなりたくなかった。だが逃れられぬようだと思ってな」
「嬉しいぞダンケッド!私の妃になりたいと思ってくれるとは!そなたは滅多にそういったことを口にしてくれないから話してくれてとても嬉しい!むろん私もそなたと結婚したいと願っているぞ!」
「そうか……」

 テンションが上がっているバルドイーンとは反対にダンケッドのテンションはだだ下がりだ。王妃という将来を考えてウンザリしているのである。

「心配せずともよい。どうせ後継者は適当な女性と適当に作るのだ。私が玉座を継ごうとも弟が継ごうとも何らこの国が揺るぐことはない!どうせ私とベルンストは協力し合ってこの国を守っていくのだから。父王が武力でこの国を治めるのであれば我々は兄弟で力を合わせて国を守る。そう決めている!」

 そうだったのかと思いつつもやはり玉座はバルドイーンが継ぐのだろうなとダンケッドは冷静に考えた。何故ならそうしないと周囲が許さないだろうからだ。そしてバルドイーンが継ぐ方がもめ事が起きずに済む。それぐらいダンケッドが持つ力が大きい。バルドイーンが継げばダンケッドの実家とダンケッド母の実家が全力でバックアップしてくれるだろう。そしてダンケッド自身の軍とノース軍、アスター軍が確実に味方となる。軍事大国であるガルバドスは軍の力が強いからこれは無視できぬだけの力となる。当然周囲もそう考えるだろうからバルドイーンが継ぐ方が争いがおきず、スムーズに代替わりが可能となるのだ。
 そこまで考えて溜息を吐き、ティーカップを静かに置いた。そして右手を動かす。その右手は近くの茂みから飛び出してきた男をしっかりと捕らえた。

「なっ……!!」
「殺気で居場所が丸わかりだ。刺客としては素人すぎる」 

 ダンケッドは男を気絶させると、邪魔せぬよう離れた位置にいた護衛を呼んだ。

「殿下の命を狙った輩だ。連れて行け。必ず背後にいる人間を吐かせろ」
「御意!」

 ダンケッドは槍使いだが王宮内では帯剣している。建物内部や王宮では槍が使いづらいからだ。そのため先ほどの刺客は切り捨てることも可能だったが場が汚れるのを嫌って使わなかった。

「さすがはダンケッドだ、強いな!惚れ直したぞ!」
「あの程度で強いと言われても褒められた気がせぬ。あれは素人だ」
「そうなのか?私には違いがわからなくてな」
「命を狙うのにあのような素人しか使えぬ敵がいるのか?」
「……心当たりはあるがありすぎて断言できぬ。むろん調べさせておく」

 ずいぶんと敵が多いものだと思いつつ、王位継承問題に関しては、ほぼ結果が出ているのにまだ足掻く輩がいるのかとダンケッドは呆れた。何しろ王妃になりたくないダンケッドの目から見ても結果は出ている。バルドイーンよりも王に相応しい候補者がいたら応援したいぐらいなのにいないから困っているのだ。
 しかしさすがのダンケッドもレンディに王になってもらいたいとは思わない。そうなると国内の貴族たちが黙ってはいないと思うからだ。ダンケッドの父や母方の実家を初めとした貴族たちが確実に反発する。例え軍人の力が強い国であっても、国内各地を治めるのは貴族である領主たちだ。彼らが次々に反乱を起こせば大変面倒なことになる。やはり王の血を引くバルドイーンやベルンストが王になる方が丸く収まるのだ。

「バルドイーン、大掃除をするなら今のうちだ。俺が引退した後、俺の軍を継ぐのはノース軍や俺の配下からじゃない可能性が高い。恐らくは他の軍からだと思う」
「そうなのか!」
「今ならば俺の軍とノース軍、アスター軍が動かせる。だが俺が引退した後はそうもいかない。むろん要請したら動いてくれるだろうが今のようにスムーズにはいかないだろう。いろいろなしがらみが出てくる可能性も高い。だから今がチャンスだ。政敵を排除するなら今動いておけ」
「判った。ベルンストに話をしておこう」
「……何もかも弟君に相談せねばならないのか?」

 ダンケッドがそう問うとバルドイーンは苦笑した。

「側近たちからもよく言われる。だがアレとは幼少時から幾度も命の危機をくぐり抜けてきた。信頼できる側近や護衛がいない時期から助け合ってきたのだ。長い間、心から信頼できる相手はベルンストしかいなかった。母ですら王妃としての責務で俺を産んだということが丸わかりだったからな。それはあの亡くなった弟が生まれた後によくわかった。ああいう愛情溢れる眼差しを向けられたことは一度もない。今、ベルンストに裏切られても恨む気にはなれぬ。それだけの経験をしてきた。互いに助け合って生きている。ベルンストがいなければ俺はここにいないし、俺がいなければベルンストもいない。お互いに罪と血に手を汚しながら生きてきたんだ」
「そうか……俺とカークみたいなものか。いや、それ以上だな。俺はカークとそこまで信頼し合っているとは言えん」

 よき友人であり、戦場ではこの上なく心強い仲間ではあるが、カークに裏切られて恨む気になれないかと言われるとそこまでではない。そもそも最初からそこまでカークを信じてはいない。カークは趣味に走ると何処までも突っ走るような男だからだ。ノースに言わせれば最初から信じることが間違っていると言われるだろう。ダンケッドとしても同感だ。カークを信じられるのは戦場での強さのみだ。

(いや、ノースのことも託せるか……)

 むしろ今まではそのことで一致団結していた。お互いにノースを守ることを最優先してきて、ノースを守るためなら貴族としての権力を振るうことに躊躇いはなかったし、武力で抑え込むことだってやってきた。恐らくはノース自身が知らぬ件も多くあるだろう。自分とカークはそれぐらいノースの身を徹底して守ってきた。最初はレンディに頼まれたからだったが、ノースとの初陣からノースを気に入ったため、その後は自主的に動いてきた。カークも同じだ。彼もまたノースを気に入ったから守るよう動いてきたのだ。
 今はノースの実績も周囲に認められており、ノースの身を狙う輩も減ったから初期よりかなり落ち着いているが、初期は本当に刺客が多かった。カークが自分の屋敷にノースを連れ込もうかと画策するぐらいには多かったのだ。

「そろそろ部屋へ行こう」

 日が落ちてきたため、バルドイーンにそう促された。
 今日は一夜を共に過ごすと約束しているので相手も期待しているのだろう。
 人付き合いがさほど好きではないダンケッドだが性欲がないわけではないし、バルドイーンに愛されるのも嫌いではない。面倒だと思いながらも結婚したいと思うほどには気に入っているのだ。今更他の相手を見つけたいとは思わない。……王妃だけはやはり面倒だと思ってしまうのだが。

(一度実家にも顔を見せておくか。母が落ち込んでいるだろう)

 亡くなった第一王妃は母の長年の友人だったのだ。そして母も王妃を助けにダンケッドの軍が向かったことを知っているはずだ。むろん真実は伝わっていないだろうが『母の友人を助けられなかった謝罪』ぐらいはしておかないと母との間に禍根を残してしまう可能性がある。面倒くさがりのダンケッドであるがこういったことを欠かさないよう叩き込まれて育っている。幼い頃から大貴族の当主、もしくは王族の伴侶となるべく、一流の教育を受けて育った為、こういった場合の振る舞いについては体に染みついているのだ。
 もっともその気配りも基本的には貴族や王族相手にしか使われないのだが……。

「私はそなたでよかった。誰からも反対されぬからな」

 バルドイーンが機嫌良くそう言った。
 バルドイーンとダンケッドの婚姻は誰からも反対はされない。それは事実だ。嫌がっているのは他の王子を推す政敵ぐらいだろう。
 そんな話をしつつ寝室へ行ったら見知らぬ女がいた。
 十代中頃であろうその女は白いフリルがふんだんについたネグリジェを着ていたが、バルドイーンに気づくと『バルドイーンさまぁ!』と甘えた声を出しながら駆け寄ってきて飛びついた。

「あ、アデーレ、そなた帰ったのではなかったのか?」
「殿下が恋しくてお待ち申しておりました」
「いや、それは……」

 バルドイーンはオロオロしつつこちらをチラチラと見てきた。なるほど浮気をしていたのか、とダンケッドは冷静に思った。
 否、浮気ではなく子を作る為の妾というべきだろうか。自分とバルドイーンの婚姻は子が生まれぬ為、絶対に妾は必要となる。つまり後継者を作るためにしかるべき血筋の女性が必要となるのだ。それは最初から判っていた事実であるため、ダンケッドは冷静にその女性を見つめた。
 女性はバルドイーンに抱きつきながらチラリとダンケッドを見てきた。最初は挑発的に見てきたものの、すぐに顔を強ばらせた。ダンケッドはお世辞にも優しげな風貌ではない。軍人らしく体格がよく、長身でがっしりした体付きなのだ。

「バルドイーン、さっさと追い出せ。これ以上待たせるなら俺は帰る」
「ま、待ってくれ、ダンケッド!アデーレ、こういうのはよくないことだ。私が呼んだら来い。勝手に来てはならないのだぞ」
「そんなぁ、バルドイーン様ぁ。アデーレはお会いしたくて恋しくてまいりましたの。もうずっとバルドイーン様のことでいっぱいで……」
「それは嬉しいな。だが呼んでいないのに来てはならないのだぞ」

 女性は涙目になりつつ、バルドイーンに抱きついて離れない。
 バルドイーンは必死に宥めているがどうにも甘い。キツく突き放せはしないようだ。
 数分ほど待ってみたが一向に終わらない。帰れとキツく命じるだけでいいだろうに甘すぎる。ダンケッドは呆れて踵を返した。このような茶番に付き合ってはいられない。

「ま、待ってくれダンケッド!!」
「時間切れだ。俺は帰る」

 後継者を作らねばならないのは判る。
 だからといって放置されて嬉しいわけがない。
 そもそもバルドイーンが呼んでもいないのに寝室に忍び込むという行為自体があり得ない。ガルバドスでは王族に呼ばれぬ限り、寝室へはいかないのがマナーなのだ。それすら守れていない女性にああも甘くする理由が判らない。ちゃんと躾けるべきだろう。

(優しいと言うべきか甘いというべきか……だがこういうのは不愉快だな)

 少し期待してただけに残念だ。深く溜息を吐くダンケッドであった。