蝶~夢境の鳥かご~


 広すぎるほど広い王宮の奥深く。
 第一王子バルドイーンの視界の先で『ああああ……』と声を上げて泣く若い女がいる。まだ十代後半だろうか。その腕にはピクリとも動かぬ幼い子供がいる。恐らくは殺されたのだろう。
 国王バロジスクは完全実力主義で、我が子にもその方針を貫いている。つまりは子供であっても死んでしまえば『生き残るだけの力がなかった』と見なされるのだ。

(あの子供で三人目だ……)

 子を失った女を同情気味に見ていた別の女がこちらに気づく。すると少し怯えたように深く頭を下げて逃げるように去って行った。

(あの女は俺たちの不興を買ったら殺される可能性があると知っている……)

 だからバルドイーンに怯えたような表情を見せたのだ。例え国王の妾であってもその地位が盤石じゃないと知っているのだ。

(そもそもあの女は何番目の妾だっけ……)

 国王バロジスクには三名の正妻がいる。第一妃と第二妃がそれぞれバルドイーンとベルンストの母たちだ。そして不仲な第三妃と無数の妾たち。あの女はその妾の一人なのだろう。
 正妻たちの仲はよくないがバルドイーンとベルンストの仲はいい。その理由に歳の近い第三王子や第四王子、そして第一王女、第三王女の存在がある。彼らは虎視眈々と王位を狙っているのだ。
 完全実力主義の国王バロジスクは自分の子供たちにもその姿勢を貫いた。彼は『出来が悪ければレンディに後を継がせる』と言い切ったのだ。
 もちろん貴族たちの反発の声は大きかったがバロジスクは意に介さなかった。そして我が子を王位につけたい妃や妾たちが暗躍を始めた。何しろ血筋は関係ないのだ。実力さえあれば王位に就けると判ったのだからやる気も出るだろう。当時王宮にいた妾たちは野心が大きい者たちばかりだった。
 その結果、最初にターゲットになったのがもっとも血筋がいいバルドイーンとベルンストであった。他の妃や王子王女にとって、もっとも血筋がいい二人は生きている限り、強力なライバルとなる。二人の母親の実家が上流貴族であるため大きな後ろ盾があるからだ。そのため、何度も命を狙われた。バルドイーンとベルンストが手を組んだのはそういった事情がある。お互いが殺されて一人になるとターゲットも自分のみになる。それよりは二人で手を組んだ方が生き延びる率も高まるし、ターゲットが自分だけに集中することがない。子供ながらにそう考えて手を組んだのだ。
 そして軍事大国ガルバドスは軍人の権力が大きい。つまり政敵は王宮内だけではない。軍の持つ力はバカにできないのだ。そのためにも手を組むのは必然だった。王宮を軍人に乗っ取られないように力を合わせる必要があった。
 幸い、自分たちには才能があったようで今のところ順調に実績を積み、他の兄弟たちに差をつけることに成功しているが……。

(父王はあの赤子が死んでもお気づきになられないだろうな……)

 正妃の三人は完全に政略婚だ。つまり政治的な兼ね合いで婚姻している。
 他の妾は戯れに手をつけた女性たちだ。特に近年の妾たちはそれが顕著で平民なども混ざっている。つまり子が生まれても後継者としては目されないような生まれだ。
 恐らく父王はあの妾と子が死んでもさほど悲しまないだろう。あの父はそういう人だ。人としての情が薄く、実力と結果だけを重んじる人物なのだ。

(そう、結果を出さねば生き延びることはできない。ここはそういう世界だ)

 バルドイーンとベルンストが協力し合っているのはそのためだ。
 結果を出さねば生き延びられない。父がそういう方針である以上、結果を出して価値ある王族だと認めてもらわねばならなかった。
 そのためには力を合わせるのが都合がよかった。やはり一人より二人の方が結果を出しやすいのだ。お互いに協力し合って功績を立てて後継者として認められるように努力してきた。すべてが生き延びるためだ。
 結果、他の王子王女たちは足を引っ張り合って自滅してくれたのも好都合だった。多少はこちらも裏で動きはしたがそれは当然だとバルドイーンは思っている。悔しければ隙を見せなければいいのだ。隙を見せぬよう立ち回るのも実力の一つだと考えている。

(あのような女と赤子を殺すのは簡単だ。だがそうする必要もない。そういう意味ではあの女は幸運だったな)

 政敵になる可能性があったならば躊躇いなく殺していただろう。可能性がないから見逃してやるのだ。

(妃は政務に口を挟まないような者がいい)

 そういう意味ではダンケッドは最適だ。彼は政務に興味がないようだ。あったらとっくに実家を継いでいるだろう。体を動かす方が好きだと言って、大貴族の後継者の地位を蹴って軍に入ったような変わり者だ。彼は地位や権力というものに興味がないと言い切っていた。つまり敵にはなり得ないのだ。

(だから私は彼が好きだ)

 彼は地位や権力に興味がない。つまり政敵になり得ない。
 なのに大変生まれがいいため、自分たちの妃には最適だ。彼を娶ったら彼の実家と彼の母親の実家が後ろ盾になってくれることだろう。つまり後継者としての地位が更に盤石になる。
 そしてダンケッドの性格も好ましい。政務に興味がなく、権力にも興味がない。趣味は骨董品集め。つまり多少はお金がかかるが浪費家というほどではない。彼は人付き合いも好きではないようなので浮気などの心配もいらない。つまり愛人をたくさん集めて宴を開いて騒ぐなんて心配もしなくていい。
 そして何よりも強いのがいい。

『大丈夫か、殿下』

 子供の頃、彼は刺客に狙われたバルドイーンをその優れた武術の腕で助けてくれた。その頃から彼は武術の腕が優れていて刺客を退けてくれた。
 人の命を奪う覚悟は普段から武術を習っていても容易に身につくものではない。だがダンケッドはバルドイーンを救う為に躊躇いなく行動した。大の大人相手に退くことなく剣を抜いて刺客の腹を切り裂いて見せたのだ。血にまみれたその姿は大変美しかった。
 あの時自分は彼に惚れたのだ。命の危機という状況で躊躇いなく行動してくれた彼に、彼ならば信じられる。彼ならばどんな時も自分を救ってくれるだろうと思ったのだ。
 当時王宮で誰を信じたらいいのか判らなかった時、命を助けてくれたダンケッドは彼にとって大きな救いとなったのだ。