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◆フェルダーケン地区の新築工事の話(13)


一方、建物に入ったザクセンはカークたちの数歩後を歩いていた。
薄暗い建物の内部はかなり荒廃しており、不気味さを醸し出していたが、ザクセンは全く動揺することはなく、周囲の動きにだけ注意していた。
建物の内部に漂っていた黒い霧のようなものはカークが鳴らす杖の音で動きを鈍らせ、カークの相方が持つ宝石に吸収されるように吸い込まれていった。
ときどき遭遇する霧に対し、それを繰り返しつつ、建物の奥を目指して歩いているところだ。
ザクセンには霊が見えない。しかし、そんなザクセンにも杖から放たれる澄んだ音が霊を追い払っているということが判る。
あの杖から放たれる音は、破邪の音だ。

「その杖、この国に伝わる秘宝の一つ『サンレーチェの杖』か」
「ええ」

(力が強い分、制御が難しく、ほとんど使われることがない杖を使いこなすとは。見事だ。さすがはこの国の神官や祭司の頂点に立つスリーザー家の長兄ってわけか)

いかに聖なる杖とはいえども、ただ鳴らすだけでは意味がない。
杖は道具だ。使いこなす必要がある。杖に込められた力を出すことが出来なければ意味がないのだ。
一定のリズム、一定の動きで鳴らされる音、そして時折紡がれる祈りの言葉。それらが邪を祓い、場を清めているのだ。
死人使いとは全く違う方法ながら、死人を天へ還す。それが神官だ。
カークは軍に入って長いというが、慣れた様子でこなしているところを見ると、幼い頃から技を叩き込まれて育ったのだろう。

そうして結構な距離を歩いたなとザクセンが思い始めた頃、目的の人間を発見することができた。
赤将軍の制服を着て、通路に立っているのはザクセンもよく見慣れた青年だ。
しかし、明らかに様子がおかしい。酔っぱらいか、もしくは精神的な病でも負っているのかと思えるかのようにふらふらと蛇行して歩いている。

「取り憑かれていますね」
「祓えるか?」
「もちろんです。……本来、闇の印の使い手が邪霊に取り憑かれることはありません。恐らく彼はわざと取り憑かせて、邪霊の動きを封じたのでしょう」

カークは杖の先端をレナルドの方へと向けた。

「まずは彼の体から邪霊を追い出します。隙を見て彼を助け出して下さい。貴方ならできるでしょう?」
「当然だ」

カークは破邪の力が宿った杖でレナルドの体を叩こうとした。
しかし、邪霊はそれを読んでいたかのように跳び避けた。
元はレナルドの体だ。かなりの身体能力があるのだろう。動きはさきほどまでフラフラしていたとは思えないほど敏捷だった。
そこへカークの相方が水を撒いた。清めの力が込められた聖水だ。レナルドに取り憑いた邪霊はそれも見事に避けた。
なかなかやる邪霊だなと内心感心しつつ、割り入る隙を伺っていたザクセンは、一度は避けられた水が再び動き上がり、細いロープのようにレナルドの体に巻き付いたのを見た。
慌てた邪霊が暴れようとするところにカークによって杖が叩き込まれる。
レナルドの体から黒い霧が一斉に飛び出してきて、目前にいたカークに襲いかかった。
それを防いだのはカークの相方だ。彼自身の杖と宝石がふんだんについたブレスレッドのような品で邪霊の一部を吸収した。
相当に動きが良い。カークの相方はかなり体を鍛えているのだろう。
その間にザクセンはレナルドの体を回収した。腹部に杖を叩き込まれた為に気を失っていたが、ザッと見たところ、大きな怪我はなさそうである。
ザクセンにとってレナルドはどうでもいいが、彼が怪我をするとアスターが落ち込む。アスターのためにもレナルドが無事であったことは幸いであった。
カークの相方が次々に小瓶に入った聖水を周囲に巻いていく。
その聖水を水球へと変化させ、浮かび上がらせたのは水の印を持つカークだ。

「ご苦労。下がっていなさい、シイリー」
「お守り致します」
「私の命令が聞けないのですか?」
「お守り致します」

ハァとため息を吐いたカークは冷ややかに告げた。

「命令を聞けない道具など不要なのですがね」
「お守り致します」

カークは水球を敵に叩き込むと同時に手に宝石を握った。極上の輝きを持つ宝石は一粒で家を建てられるであろう質とサイズだ。
それらを複数、遠慮無く握ると、聖水を浴びて苦しむ敵へ放る。
浄化の力が封じられた宝石は大きな黒い霧のような体を吸収して、半減させた。

「消えなさい!!」

叩き込まれた風の技で敵ごと部屋の一部が吹き飛ぶ。
外の清い空気が入ってくると共に、澱んだ空気が一掃されるのが感じられた。

「終わったか?」
「ええ、大元は消えました。もしかすると多少、ザコが残っているかもしれませんが、それらは通常の神官でも浄化可能でしょう」
「判るのか?」
「あの手の邪霊は仲間を呼びます。あれほど力の強い邪霊ですからこの建物内の邪霊はすべて吸収された後でしょう。しかし、この土地と建物には対策を施す必要があるでしょうね。同じ事が起きないように。まぁ彼が使うのであれば大丈夫でしょうけれど」
「土地や建物も使い手次第ということか」
「ええ、そういうことです。住まう人間が恨み妬みを募らせると負の気が溜まっていく。まぁここまで極端なのはかなり珍しい例ですが。この屋敷の貴族は数代続けて不幸が起きたそうです。数代分の恨み辛みがここまで邪霊を育ててしまったのですよ」

悪しき気が溜まり続けないように、改装時に対策を施す必要があるが、さほど難しいことでもないとカーク。
部分的に木々を増やすだけでもそれなりに浄化されるのだそうだ。

「アスターが使うのなら当分は大丈夫でしょう。彼の軍は前向きな人間が多いですから」

心身共に健康な人間が放つ明るい気は邪霊が嫌うものだ。
確かにアスターならば大丈夫だろうと思いつつ、ザクセンはカークの後ろに立つ無表情の男を見遣った。
シイリーと呼ばれている彼は人形のように無表情で、決まった受け答えしかしていない。その様は精神の歪みを感じさせる。

「その悪習はまだ続いていたのか。相変わらずだな、お前の実家は」

完全な能力主義。
手段を選ばぬが故に、常に一定の成果を出し続ける。その結果、この国の神官と祭司の頂点に立ち続けている家。
それがスリーザー家だ。
スリーザー家では、神官としての術の精度を高めるために、相印の相手に意志を奪う術をかける。
かけられた相手は自分自身では全うに物事を考えられなくなってしまう。完全なる操り人形と化してしまい、どんなことを命じられても疑問を抱かなくなってしまうのだ。
そうして当主の都合のいい生きた人形をつくる。

ザクセンの言葉にカークは皮肉気に笑った。

「ええ、本当に相変わらずですよ。反吐が出るほどに」

他者に興味を持たぬザクセンだが、カークの反応はザクセンにとっても意外であり、少し興味深く思った。

(若くして家を出たというが、実家のやり方を嫌っているということか)

「そいつは家から引き離さなくていいのか?」
「手遅れですよ。彼は実家の道具に過ぎません」
「そうか」

カークの冷ややかな言葉に表情一つ変えることなく、ただ淡々とカークの後を追っていく青年を見つつ、ザクセンはレナルドを肩に抱え直した。
長く生きるザクセンはスリーザー家が持つ闇を知っている。
しかし、他者に大した興味を抱かない彼はそれ以上深入りする気も起きなかったのである。