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◆フェルダーケン地区の新築工事の話(3)

マドックは40代後半、黒髪、黒髭にタルのようなガッシリした体を持つ一兵卒上がりの青将軍だ。
アスターたちと同じく最下位の一兵からコツコツと昇進してきた彼は、経歴は長いが派手な戦功がないため、昇進には不利だった。
しかし、アスターの麾下に入ってからはアスターの信頼厚く、マドックもアスターの期待を裏切らぬ働きをして、戦場での勝利に貢献してきた。
戦場経験が長い分、いつも堅実な動きで軍を崩さず、味方を守り、預かった部下を育ててきた。
周囲もそんなマドックの働きをちゃんと知っていた。そのため、アスターが黒将軍に昇進し、後任にマドックとシプリを指名したとき、大きな反対意見は出なかったのだ。

そんなマドックは青将軍昇進時にアスターから工事途中の箇所を半分ほど引き継いだ。残りはシプリが引き継いでくれた。
自室で青将軍の重要な仕事である公共工事に関する書類に目を通していたマドックは、部下からの報告を受けて困っていた。

「貴族がらみの仕事か」

ある領地での公共工事。その土地を所有する貴族と少々モメているらしい。
無理に推し進めてもいいのだが、できれば穏便に片付けたい。
しかし、こういう時にどうすれば穏便に片付くのかが判らない。平民であるマドックは貴族のことがさっぱり判らないのだ。

「ううむ」

赤将軍時代まではこういった悩みを抱えたことがなかった。貴族がらみの仕事もあったはずなのだが、もめ事がおきていた記憶はない。もしかするとアスターが片付けていたのかもしれないが。
できればアスターの力を借りたいところだが、黒将軍に昇進したばかりで目の回るような忙しさのようだ。やむを得ない場合を除いて、力を借りるのはどうにも気が退ける。

(まいった……どうするかな)

マドックは書類を前に大きくため息をついた。

アスターの部下である新米青将軍たちは、就任早々、それぞれに問題を抱えることとなったのであった。

++++++++++

その日の夕刻。
アスターは己の執務室にレナルドと客人を迎えた。
向かいのソファーに座るのは一匹の黒猫だ。

「新公舎の付近が担当である死人使いのフェオン殿」

レナルドの紹介に応じるように黒猫はニャーンと愛らしく鳴いた。
やや肉付きの良いその猫は紅いリボンを首に巻いている。
アスターは唖然として、向かいに座るその猫とレナルドを見比べるように視線を彷徨わせた。

「ええと………に、人間じゃなかったのか、レナルド?」
「人間。雌猫に取り憑いているだけ。中身は男」
「ええーっ!?」

アスターが驚きに声を上げると、猫はフーッと唸った。

「……今は心も体もレディだと主張してる。生前は男」

驚いた部分はそこではなかったのだが、猫は男と言われたことで怒っているらしい。毛を逆立ててレナルドに唸っている。

「……生前から美しき女性だったと訂正しろと主張している。でも男」
「いや、そんなのどうでもいいし。そんなことよりあの建物の除霊とやらは解決しそうなの?」

冷静にツッコミを入れたのは呆れ顔で見ていたシプリだ。
人嫌いのザクセンはレナルドが猫を連れてきた時点で奥の仮眠室に引っ込んでしまった。恐らく昼寝でもするつもりなのだろう。

「現時点ではかなり厳しい。強い風使いが必要」
「強い風使いかー………麾下の将ではイーガムぐらいか……?カーク様も風をお持ちだったよな、確か」
「カーク様にお願いするのは出来るだけ避けてよ」
「そう言われてもなー……うーん……。レナルド、将軍位以外の風使いでも大丈夫か?」
「経験豊富で腕が良ければ。上級印持ちじゃないと駄目」
「うーん……上級印持ちって条件であれば、俺とシプリも駄目か」

アスターとシプリも風の印保持者だが、通常印なのだ。

そこへノックの音が響き、一人の男性が入ってきた。
年齢はアスターと同世代。黒い髪に茶色の瞳を持つ真面目そうな青年だ。
真面目すぎて、将来は頑固オヤジになりそうな風貌の青年を見て、アスターは顔を綻ばせた。

「タヴィーザ、よく来てくれたな!話は聞いたか?仕事を頼みたいんだ。長期になりそうなんで、ヘタしたら徴兵期間を超えるかもしれない」

タヴィーザと呼ばれた青年は居合わせたレナルドとシプリに挨拶をした後、ホッとしたように笑んだ。

「長期の方が助かる。スタちゃんと仕事をするのはもうウンザリだからな」
「あー……あの人、変わり者だからなぁ……。お前うまくやってるのか?」
「いや、全く」

真顔で否定され、アスターは困った。
幼なじみの恋愛事情に首を突っ込む気は全くないが、ここまでキッパリ言われるとどうしたものかと思ってしまう。

「ところで現場はどこだ?お前の新公舎だと聞いたが」

生真面目な友に早速問われたアスターは頭を掻いた。

「あー、そこなんだが……どうも問題有りのようでな。聞いてくれ、タヴィーザ!そこ、幽霊がでるんだと!」

タヴィーザは眉をひそめた。

「は?自殺者でも出た場所なのか?」
「いや、よくわかんねえんだが、持ち主がコロコロ変わった曰く付きの建物らしいんだ。それでレナルドに頼んで除霊?とやらをしてから工事してもらう予定だ」
「お清めならうちの近所の教会に頼んだらどうだ?おじさんたちなら喜んでやってくださると思うが……」
「いや、どうもヤバそうなんでおじさんたちに頼むのは気が退ける……すごく厳重に封印されてた建物でなぁ……風の印の上級印持ちを選抜しようと思っているところだ」
「そんなに厄介なのか?一目、建物を見てみたかったんだが無理そうか?」
「うーん……」

悩むアスターに正面に座る一人と一匹から返答が来た。

「止めた方がいい」
「にゃー!」
「……だそうだ。参ったなー」
「ふむ。さすがに除霊とやらは専門外だ。軍の建物というのはその手のことでやばくなることが多いのか?」

腕を組み、困惑した様子のタヴィーザに問われ、アスターも困り顔で首をかしげた。

「うーん……死んだはずのヤツが通路を歩いてたとか、使われていない部屋から話し声がするとかいう類の怪談ならよく聞くが、建物に封印が施されているほどマジな話は今回が初めてだな」
「やはり教会のおじさんたちに頼んだらどうだ?ほら、御利益がありそうな銀の祭具もレンディ様から頂いたことだし、何とかなるかもしれないぞ」

タヴィーザの意見はごく真っ当で一般的な意見だ。
確かに通常ならばそこらにある小さな教会の神官に頼めばそれですむだろう。
しかし、今回はそうはいかない、そんな予感をひしひしと感じる。実家近くの老神官夫婦の手に負えるようなレベルではない、という気がするのだ。
そしてそれを後押しするのがレナルドの反応だ。
けして嘘を吐かないこの友人は危機に関する勘がずば抜けている。この友が危険だというのだから相当なレベルなのだろうと思うのだ。

「うーん、本当にやばそうだからおじさんたちに頼むのは気が退けるんだよ。おじさんたちもご高齢だし……だからといってソキウスじゃ更に不安だし……」

教会に住み込んでいるもう一人の幼なじみは普段、建築士として働いている。神官としては頼りない。

「と、とりあえず俺とレナルドとザクセンと……そこの猫さんで何とかしてくるからタヴィーザは待っててくれ!」
「いや、俺も行くぞ。仕事現場を見てみたい」
「待て待て、危険だって言ってるだろー!」
「何だと!そこの猫を連れて行くぐらいなら俺を連れて行け!」
「いや、こちらの猫さんは男性で地区担当らしいんだ。だから連れていっても大丈夫なんだ。たぶん」
「…………お前疲れてるのか?頭大丈夫か?」
「いや、俺も何を言ってるのかよく判らなくなってきたんだけどよー。ええと、担当なんだよな?」
「猫が担当ってなんだ。なわばりのことか?スタちゃんじゃあるまいし、アホなことを言ってないで頭を冷やせ、アスター」

そこで呆れ顔のシプリが口を挟んだ。

「もー、何をモメてるのさ。……ねえ、レナルド、風の上級印持ちなら役立つんだろ?」
「上級なら戦える」
「だってよ、アスター。連れて行くなら風の上級印持ちだけにしたら?」
「うーん、イーガムか……あいつ幽霊大丈夫なのかな。苦手だったら気の毒だ」
「そのイーガムだけどさ……」

シプリが昼間の一件を話すと、アスターは苦笑した。

「さっそく揉めたか」
「何?事情あるって知ってたの?なんでバハルドの移動、受け入れたのさ!」
「いや、知らなかったぜ?受け入れた後にイーガムから猛烈な抗議を受けて知ったんだ。バハルドのヤツ、イーガムのストーカーをやってるらしいな」
「とっととうちの軍から叩き出しなよ!」
「そうしたいところだがゼスタ黒将軍から取引をして受け入れたヤツなんでな。そう簡単に移動させるわけにはいかねえんだ。もうちょっと様子を見てみる。イーガムは……そうだな、ちょっと王都から出すか。郊外の仕事を頼もう。バハルドの方を出すわけにはいかねえし……移動してきたばかりのやつを遠ざけたら、いらぬ噂の元になる」

アスターなりにいろいろと気を配っているらしいと悟り、シプリは小さくため息を吐いた。
昇進すればするほど、いろいろと気を使わねばならないことが増えてくるものなのだ。

「じゃあさ、幽霊屋敷の方は兄貴を誘ってみたら?戦闘に長けた風の上級印持ちって意味なら文句なしだと思うからさ。あと、タヴィーザだっけ、君は留守番していた方がいいよ。戦闘がらみで俺の兄貴がくるなら 高確率で運命の相手であるスターリング黒将軍もついてくるからね」
「うっ、そうなのか?」
「さすがは運命の相手というべきか、彼らはお互いに危険やトラブルがあった時、高確率で一緒らしいのさ」

もちろんトラブルを起こすのはスターリングの方が多く、シプリの兄が場を収めるというパターンが多かったらしいのだが、二人一緒にいたおかげで命拾いしたことも多かったらしい。
最近は黒将軍という高位にあり、お互いに側近がいるために共に戦う機会は減っているらしいが、二人揃えば文句なしに強い。助力を頼むには贅沢すぎるほどの人選だろう。

「ありがたいけどお二人とも黒将軍だからなー。公舎のお払いごときに助けを頼むのは申し訳なさすぎるなー」

相手は黒将軍だ。さすがにアスターは躊躇いを感じるらしく、心進まぬ様子だ。

「うーん、やはりノース様に部下をお借りするか。ノース様の軍は人材が豊富だから風の上級印持ちの一人や二人ぐらいすぐに貸してくださるだろう」
「ちょっと!カーク様がいらっしゃったらどーするのさ!」
「いや、カーク様は幽霊にご興味ないからいらっしゃらないさ、大丈夫だって」

カークが生身の人間。それも『よき男』にしか興味がないと知るアスターはあっさり否定した。
ついでに言えば、カークが来てもそれはそれで問題はないとアスターは思っている。戦力としては文句なしで頭の回転が早いカークは判断力もある。何が起きるか判らないような場所に行くには大変心強い存在だ。もっとも今回は来てくれないだろうが。

(さすがのカーク様も生きた人間がいないって判ってるような廃墟じゃご興味ないだろうしなぁ……)

アスターがそんなことを考えていると、若い騎士がやってきた。
スターリング黒将軍からの使者でタヴィーザの迎えにやってきたという。

「えーっ、タヴィーザが来てからまだ30分も経ってないぞ!?なのに迎えって何か急用なのか?」
「いや、単なる彼の我が儘だと思う。すまん。無視してくれていいから」

紅い顔でタヴィーザが否定する。

「無視と言っても黒将軍の方からの要請を無視するのはちょっとなぁ。現場の浄化が終わったら正式に仕事を依頼するから一旦今日は帰ってもらえるか?せっかく来てもらったのに悪いな」
「判った。ヤバかったら無理するなよ、アスター」
「おう、ありがとな!あと、レナルド、悪いがタヴィーザを送ってやってくれ。ついでに風の上級印持ちで腕の良い騎士を借りられないか問うて来てくれ」
「判った」

タヴィーザとレナルドを見送ったアスターはソファーから立ち上がり、書類仕事へ戻ろうとしてシプリに呼び止められた。

「あのさ、この猫どーするのさ?」
「え?」

行儀良くソファーに座ったままの猫と目を合わせたアスターは、猫のことをすっかり忘れていた己に気付いた。
レナルドは猫を置き去りにして出ていったらしい。

「あー、しまった!」