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◆フェルダーケン地区の新築工事の話(2)

元の公舎へ戻ったシプリはアスター達と分かれて、己の執務室へ向かった。アスターが新公舎へ移るまではシプリら側近もこの公舎で仕事をするのだ。
今はまだ何とかなっているが、早く新公舎へ移りたいと思っているのはシプリも同じだ。黒と青では抱える人数も権力も段違いとなる。この公舎では手狭だ。
アスターが黒将軍へ昇進したことに伴い、その麾下から青へ昇進したのはシプリとマドックの二人だ。
そしてこの公舎はマドックが受け継ぐことで話がまとまっている。そのためシプリは新たに公舎を見つけないといけない。公舎を必要としているのは黒将軍へ上がったアスターだけではないのだ。
そして、アスターが公舎を決めないとシプリも公舎を決められない。なるべくアスターの公舎に近いところを選びたいと思っているからだ。

(アスターが選んだあの建物、使い物になるのかな。そりゃ使えたらとっても便利だけど)

元はいい建物だったようだが、相当に古かった。
しかし、場所はとてもいい。王都の中心部にあり、使い勝手がいい場所だ。アスターが欲しがる気持ちも判る。あくまでも幽霊屋敷じゃなくなったらの話だが。

そんなことを思いつつ歩いていると、ピリッと肌を刺す気配が飛んできた。殺気だ。
とっさに身構えつつ気配の方向を振り返ったシプリは右に折れた通路の影に潜んだ人間に気付いた。

「そこ、何をしている!!」

このアスター軍公舎内ならば、青将軍であるシプリの上に立つのは友人であるアスターのみだ。
そのため、遠慮無く怒鳴ったシプリは足早に近づき、驚いた。

「バハルド青将軍、イーガム青将軍」

肩の下ぐらいまである緩やかなウェーブの黒髪がぴくりと動く。ちらりとこちらを見た男の風貌は軍人というより官僚のように見える知的な雰囲気がある。しかし、今はいいところを邪魔されたと言わんばかりに苦々しげな表情だ。年齢は30歳前後に見える。それがバハルドだ。
白い髪にやせ形のイーガムはバハルドに体格的に負けている。壁に押さえつけられ、服を乱されていた。
そのことで何が起ころうとしていたのか悟り、シプリはバハルドを睨んだ。

「ヤボですね、シプリアン将軍」
「同意済みなら口だししないんだけどね、そうは見えないよ。ヤるなら自室でやりなよ。露出の趣味があるのは勝手だけど見せつけられる身には大変迷惑だ。ここは俺の執務室の近くなんでね」
「同意なわけないだろ!!」
「だそうだ。せめて口説き落としてからにするんだね」
「口説いているところだったんですよ。二人きりにしてもらえませんか?」
「するわけないだろ。去れ」

しばし睨み合う。
分が悪いと思ったのか、先に引いたのはバハルドの方だった。
ため息を吐いて名残惜しげに去っていく。

バハルドはつい最近、他の軍からアスター軍麾下に移ってきたばかりの青将軍だ。
アスターよりも年齢が上、経験も上、実戦経験も特に問題がないということでアスターもすんなり受け入れた。
しかし、こんな問題が隠されていたとなると少々厄介だ。

「あのさ、とっとと仲直りするなり、振るなりしなよ。面倒くさい」
「とっくに断ってるんだよ!あのストーカーが悪い!!」
「ストーカーなの?だったら抵抗しなよ」
「してたんだよ!!……まぁ助けられたことには礼を言う。お前ワインは好きか?」

お礼をしてくれるというのだろう。ならば遠慮することはない。

「甘いの以外なら何でもいけるよ」

今度持ってくると言い、イーガムは乱れた服を直すと去っていこうとした。

「ちょっと待ちなよ。ついてきて」
「?」

怪訝そうな顔をしつつも大人しくついてくるのを確認し、二回ほど角を曲がる。一分も歩かぬうちにシプリの執務室が見えてきた。その近くに幾人かの騎士がいた。

「レイトン!」

名を呼ばれ、灰色の髪を後ろになでつけた長身で無表情な男が近づいてくる。今度赤将軍に上がることが決定している側近の一人だ。シプリの元へ来る前はリーチ元黒将軍麾下にいたという。

「イーガム将軍を執務室まで送ってさしあげろ。必ず彼の麾下に預けてこい」

レイトンは頭がいい。勘も悪くないのでこう言えば何か事情があるのだと察することだろう。無用なことをベラベラと喋るタイプでもない。

「おい……」

イーガムは反論しかけたものの、シプリの視線に合って黙り込んだ。そして踵を返す。
レイトンがその後をついていくのを確認し、シプリは自室へ入った。その後を追うように通路にいた騎士の幾人か執務室へ入る。
さきほどのやりとりを見ていたからだろう。興味津々という視線を浴びつつ、シプリは机の上にある書類にさっと目を通す。そして締め切りが早い順に並び替えた。
戦後処理と昇進による各種手続きが山のようにあるため、仕事は先が見えないほど溜まっている。処理しても処理してもきりがないという状態だ。

「シプリ様〜」

いつまでも黙り込んでいるからだろう。しびれを切らしたように名を呼ばれる。
ぼさぼさの赤に近い茶髪にしっかり筋肉がついたシプリと変わらぬ年頃の男はダヴィと言い、シプリとはそこそこ付き合いが長い側近の一人だ。
残る二人の側近も興味津々という顔をしている。シプリの周りには野次馬根性が高い男が多いのだ。

「気になるなら自力で調べてきなよ。ついでにバハルド将軍の弱みでも握ってくれたら文句なしなんだけどね」
「弱み?あの方とやり合ったことありましたっけ?あの方、ゼスタ黒将軍麾下から移ってこられたばかりでしょ?うちとは殆ど縁がなかったと思うんスけど」
「確かに縁がなかったね。あいつが移ってきたことで縁が出来ちゃったけどさ。アスターのやつ!何であんな男をうちの軍に入れたのさ!!」
「喧嘩でもしたんスか?」
「あぁ、したよ!喧嘩売ってきた!判ったらさっさと行ってこい。絶対にアスター軍から叩き出してやる!」
「ウーッス、行ってきます」

(何やってんだ、うちの将軍)
(来たばっかりの方と喧嘩したらしいぜ)
(さっきの様子を見る限りじゃ三角関係じゃね?)

小声ではあるがバッチリ聞こえる範囲で交わされる会話にシプリはキレた。元々、短気だ。お世辞にも穏やかな性格ではないのだ。

「お前等、トイレ掃除と風呂掃除一週間やるか?もちろん大浴場で」
「失礼しましたーっ!」
「すみませんでした、すぐ調査してきます!」
「調べに行ってきますーっ」

学生のような返答をしつつ、部下たちは執務室を飛び出していった。
シプリは軽くため息を吐き、インク壺にペン先を突っ込んだ。

(イーガムは風の上級印持ち。アスターと変わらぬペースで青まで上がった経歴といい、腕の悪い将じゃない。というか、腕が悪けりゃ青まで上がれるわけがないし)

そんな男がろくな抵抗も出来ずに押さえつけられていた。
男を一人、それも将軍位にある人間を押さえつけるというのは不可能に近い。そんな状況に陥る前にはね除けられるからだ。多少不意打ちを受けたところで、深手を負っていなければやはり逃れることはできる。本気で暴れれば尚更だ。
イーガムは将軍位で上級印持ちだ。本気を出せば周囲の壁ぐらい吹き飛ばす勢いで逃れる事が可能だろう。しかしそうしなかった。むしろ出来なかったと見るべきだろう。イーガムがバハルドに本気で抵抗できなかった理由が存在していると見た方がいい。

(恋愛沙汰と見るのが普通なのかもしれないけど……)

バハルドの方はイーガムに好意を持っているようだ。それはシプリの目からもそう見えた。
だがイーガムの方は本気で嫌がっているように感じられた。だからこそ面倒くさいと思いつつも助けたのだ。
青将軍としての経歴は相手の方が上でもシプリには親友アスターと兄ギルフォードがついている。新米青将軍だが無視できない後ろ盾がある、それがシプリなのだ。
案の定、バハルドは去っていった。

(今度アスターに話をしておくか)

バハルドを叩き出してくれればいいが、と思いつつもそう簡単にはいかないだろうなと思うシプリであった。