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◆赤〜温かき生の紅〜(3)

翌日、アスターは異動命令書を貰った。
ノース軍から直々に引き抜きがあり、セルジュがそれに応じたらしい。
結果的にアスターは異動希望を出さないままの異動となったが、強く拒否するほどの理由がなかったため、そのままノース軍へ異動することとなった。


++++++


一方、アスターを引き抜いた知将ノースは、軍の地下牢へ来ていた。騎士以上の階位で罪を犯した者が入れられる牢である。
牢の中には黒い髪と赤い瞳の青年が座り込み、こちらを睨み付けている。
たてがみのようにぼさぼさの髪といい、肉食獣のような目つきといい、まるで獣のようだと思いつつ、ノースは傍らに立つ男をちらりと見た。

「彼を引き抜くと?」
「あぁ…」
「上官殺しなのだろう?」
「あぁ。役にも立たぬ貴族の優男を殺した良き部下さ」

何らかの事情があるとは聞いていた。
それでも上官殺しに違いはない。牢の中にいる騎士は法において裁かれるべきであり、そうでなければ秩序が成り立たないとノースは思う。
しかし目の前の男…レンディにはそれが通用しない。あらゆる常識を覆してしまうのが許される。それが『七竜の使い手』だ。こんなことは許されてはならないと思うがゆえにノースはレンディに意見する。
するとレンディは決まってノースを面白そうに見つめるのだ。

(本当に何を考えているのやら…相変わらず判らない男だ)

レンディの立場は揺るぎない。
それは彼が七竜の使い手であるかぎり、動かないだろう。それぐらい青竜ディンガの持つ力は絶大であり、この軍事大国においては必要とされているものだ。
しかしそんなレンディを皆が好いているかと言えばそうではない。特に同じ黒将軍の地位にある同僚たちの中にはやりたい放題のレンディを憎々しげに思っている者もいる。いつ足下をすくわれるか判らないのだ。レンディはもっと慎重に行動し、考えて動くべきだとノースは思う。

(サンデやパッソ辺りは虎視眈々とレンディの命を狙っているというのに)

それぞれ一万人の頂点に立った男たちだ。それなりの矜持と野心を持った男ばかりであり、唯々諾々とレンディの言いなりになる男たちではない。レンディはそんな男達に目の上のたんこぶとして見られていておかしくないのだ。

「レンディ……自重したらどうだい?」

無駄だと思いつつ、重ねて告げるとレンディは嬉しそうに笑んだ。
注意されて喜ぶなんて本当に変わった男だとノースは思う。

「やはり…………に似てるな」
「何だって?」
「いや……俺のことより部下はどうだい?今度の人事移動でいくらか入れ替えたんだろう?」
「特に問題はない。予定通りだよ。いつまでもダンケッドとカークに負担をかけるわけにもいかない。他の側近を育てていくつもりだ」
「……そうか。それはいいことだね」
「君も考えるんだね」
「だから今から彼を育てるのさ。側近として」

よりによって罪人を側近にするのかと思い、ノースはため息を吐いた。

「君は私のことより自分のことを考え直すべきだと思うがね…。彼は、はぐれもどきになりそうだと私は思うよ」


++++++


『はぐれ』とは一部の青将軍を指す呼び名だ。
特定の黒将軍を持たず、けして誰にも忠誠を誓わぬ将のことを言う。ようするにはぐれ者を指す呼び名だ。
それでも仕事を忠実にこなすのであれば『はぐれ』にはなりえない。『はぐれ』と呼ばれるのは問題ある青将軍を指す呼び名なのだ。

(自我のあるはぐれなら何の問題もないけれどね。いや問題はあるか……はぐれは作るべきではない。彼等はあまりにも悲しい)

ノースは軍を継いだときのことを思い出した。
知将ノースの前の黒将軍はゼロという名の男だった。
ゼロの死で主を失った青将軍たちはバラバラになった。彼等は突然、軍を引き継いだ子供のような主を受け入れなかったのだ。
ノースの元に残ったのは人間に興味がないダンケッドのみであり、カークはレンディが連れてきた男だった。
そうしてはぐれになった中にディルクという名の青将軍がいた。
色素の薄い容貌を持った長身の男はゼロにもっとも寵愛を受けていた将であったという。
彼がはぐれになったとき、誰もが無理もないと言った。ゼロの寵愛が強かった分、他の将の命令を聞きたくないのだろうと。
将として成り立てだったノースは周囲の噂をそのまま事実として受け入れた。
それが間違いだったと知ったのは最近のことだ。

(もう二度とあんな悲しい人を見たくないし、作りたくはないんだよ、私は)

はぐれは忠誠心が強い青将軍ほどなりやすいという。
主を失った彼等は二度と新たな主を持とうとはしない。怒り、悲しみ、嘆き、失った主への強い感情ゆえにはぐれになるのだという。

(カークとダンケッドなら大丈夫だろうけれどね)

ノースが己の側近の特殊な気質を好都合に思うのはこういう時だ。
片や、無機物にしか関心がなく骨董品を集めたがる男。
片や、男だけのハーレムを作りたがる男。
変わり者揃いの二人だがそれだけに彼等はノースが死んでもはぐれになったりしないだろう。その時に多少悲しみはしてくれるだろうが、彼等はけしてノースに執着したりはしない。一時の悲しみを越えれば次なる将の元で今のようによき働きをしてくれるに違いない。二人の、一見、薄情なまでの割り切りの良さをノースはよきものと思う。

(だが彼は駄目だ…)

強き忠誠心は諸刃の剣だ。
その点、さきほど牢にいた彼は駄目だとノースは思う。
上官殺しの罪を持つ男。彼は上司のために命を賭けて戦い、裏切られ、その悲しみと衝動から上官だった男を殺したという。
その罪の裏側にあるのは上司への強い愛と信頼、そしてそれを裏切られた衝撃によるものだ。
それほど強い感情を抱く者は側近にするべきではないとノースは思う。
青将軍は高位だ。
戦場では広い視野を持って状況を把握し、常に冷静な判断を下せる非常さを持たねばならない。高位である以上、多くの命に責任を持たねばならない。感情的な者をつけるべきではない地位だとノースは思う。

(彼は駄目だ、レンディ。いつか彼は君を殺すと思う)

レンディが常に従えている蛇のように、眼に見えぬ愛はしがらみとなって体に巻き付き、レンディを縛るだろう。いつの日かその眼に見えぬしがらみが彼の命を奪わないとは限らない。どんなときも味方にこそ最大の敵がいる。高位にいる者ほどそれを忘れてはいけないのだ。