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◆白〜終わりの見えぬ道を歩むこと〜(8)

青将軍セルジュは己の公舎にある事務室で箱を覗いた。
公舎から入ってすぐの受付に設置されているその箱は単なる忘れ物入れだ。
通常は預かって一年以上が経つ品は処分される。しかしセルジュは特別に頼んでずっと入れてもらっている品があった。

(まだ残っているか…)

それは水筒だ。真鍮製の一般的な水筒であり、底の方に小さく名らしきものが刻まれている。しかしその名は摩耗していて、読み取ることができなかった。
セルジュは己の恩人を見つけることをほぼ諦めていた。しかし、完全に諦めることが出来ず、そのまま水筒を預かってもらい、時々、確認に訪れている。
闇の中で聞いた声。大柄なシルエット。そして水筒とマント。それだけが手がかりだ。
礼をすることすら許してくれなかった潔さを彼は快く思っていた。だからこそ、尚更礼をしたかったが、見つからぬ相手はそれすらもセルジュに許してくれないのだ。
そして…。

(……デーウス……)

あの日以来、喧嘩別れした親友とは未だ会話を交わせぬままだ。
しかし、昨日、思わぬ噂を聞いた。

(婚約だと……本気か?)

胸の内に沸き上がったのは安堵ではなく、怒りだった。
あのようなことをしておいて、彼はのうのうと別の相手と婚姻するというのだ。
しかしあれからもう幾年も経っている。冷静に考え、その歳月を思えば無理もないかもしれない。セルジュも別の黒将軍の元へ移っているのだ。このまま終わらせようというのであれば妥当な判断なのかもしれないとも思う。
デーウスは一本気で真面目な性格だ。女遊びがそれなりに激しいセルジュとは正反対な性格で、それ故に気が合った。
戦いも正統派でそれだけに崩れることもなく、どんな局面にも対応できる強さを持つ。

(あいつが…惚れた相手ならきっと幸せになれる)

真面目なデーウスだ。惚れた相手は大切に愛し守るだろう。遊ぶようなことができない男なのだ。きっと幸せな家庭を築く。
これを機会に許すべきだろう。理性はそう語りかける。そしてセルジュが許しさえすれば仲違いは終わるだろう。元々セルジュが被害者であり、一方的に怒って出ていったのだ。

(……どうすればいい?)

許すべきだ、理性はそう語りかける。
しかし胸に沸き上がる怒りは止めようがなく、セルジュは顔をしかめた。


++++++


黒将軍の一人デーウスは30歳前後。正統派の戦いを得意とする男であり、騎士としてエリートコースを突き進んできた人物だ。
家は将軍を排出したこともある典型的な騎士家系であり、デーウスはその家の次男として生まれた。
兄も弟もいるが、兄は負傷して退役し、弟は戦場で亡くなった。そのため、デーウスが一番の出世頭だ。
そのデーウスは非常に容姿が良い。ストレートの黒髪に強い褐色の瞳と真っ直ぐな鼻梁、きつく結ばれた唇を持つ。全体的に整った顔立ちは真面目で強い意志を持った将であることを感じさせる。実際、見た目通り、意志が強くて生真面目な人物だ。
恵まれた長身と正統派故に隙の少ない戦い方を得意とする彼は、見事にエリートコースを突き進んだ。運にも恵まれていたと言えるだろう。彼は問題なく順当に出世したのだ。
そしてそれをサポートしたのが士官学校からの親友セルジュであった。
デーウスと同じく容姿がいいが、性格は正反対で遊び人のセルジュはプライベートでは正反対の素行の主だ。しかし不思議に気は合い、共に力を合わせて出世してきた。セルジュは素行は悪いが腕がいいため、能力的な問題はなかったのである。

『裏切り者!!!』

問題の夜、デーウスはそう罵声を浴びさせられた。
しかしデーウスとしては裏切ったつもりはない。何故なら出会ったときから好きだったからだ。ハッキリ言ってしまえば一目惚れだったのだ。
艶のある柔らかな茶色の髪、鮮やかな緑の瞳を持つ容姿のいい親友に最初から惚れていた。
他人の色恋沙汰には呆れるぐらい鋭い親友が今の今まで気付かなかった方がおかしいとさえデーウスは思う。しかし実際、気付いてもらえなかった。告白しなかったのは確かだが、意を決して告白したかと思えば笑って流されたのだ。それでキレた。

好きだった。ずっと好きだった。十年以上の歳月、想い続けてきたのだ。
その募り募った想いを打ち明けたというのに笑って流されたのだ。何を言っていると言わんばかりの態度でバカにしたかのような態度だった。
力づくの行為。最低なことをした自覚はある。それでも止めることができなかった。

『そろそろ身を固める気はないか?』

そう実家の親が問うてきた見合いに乗る気になったのは、いいかげんどうしようもないこの状況に決着をつけたくなったからだ。そして自分の元を離れていった親友へいつまでも未練を持ち続ける自分に嫌気が差したのだ。
ろくに会いもせずに婚約を決めた己を親はいぶかしんでいたが当然だろう。しかし決意したにもかかわらず、婚約相手へ誠意を尽くせるかと言われると自信がないデーウスだった。

(また……最低なことをしようとしているな、俺は……)

愛すことはできないだろう。
けれど不自由のない生活をさせることだけはできるだろうと思う。黒将軍は高位故に高収入なのだ。

『セルジュ、また女の元か?』
『あぁ。固いことを言うなデーウス。女性はいい。柔らかな体、甘い声。すべてが癒やしてくれるのさ』
『そんな不実なことをしていたらいつか刺されるぞ』
『説教か?勘弁しろ、デーウス。お前もよき女性を見つけるといい。女性はいいぞ』

軽いようでプライドが高いセルジュは矛盾をはらんだ男だ。いつも説教をしかめ面で聞き流し、女性はいいと繰り返していた。基本的に女性のみを愛する男なのだろう。彼の相手に男がいたという話は聞いたことがない。
無理矢理組み敷いた一夜。セルジュにとっては悪夢の一夜だっただろうが、デーウスにも悪しき一夜だった。憎悪の眼差し、悲鳴のような嬌声が耳に残る。愛する相手の苦しげな表情はデーウスにとってもよき想い出にはなりえなかった。

いつの日か、妻となる女性はデーウスの子を産んでくれるだろう。
そうしてデーウスも新たな家族を守り、暮らしていくことになる。
その家族がデーウスの空虚な心を埋めてくれることだろう。デーウスはそう願っている。そして彼なりにその努力をするつもりだ。
そこにセルジュはいない。しかしそれもまたデーウス自身の罪なのだ。

「デーウス将軍。出陣の連絡が来ております」
「判った」

新たな仕事が入った。
デーウスは頭を切り換えつつ、副官が持ってきた書類を受け取った。