文字サイズ

◆オルブレロ地区教会とある建築士の話(9)


家に帰ったタヴィーザは部屋に閉じこもった。自覚した途端の失恋に彼は傷ついていた。
酷く落ち込んで帰ってきたタヴィーザにそれとなく事情を察したのか、周囲も放っておいてくれた。

「タヴィーザ、起きろ!大変だ!」

ベッドに突っ伏しているうちにいつの間にか眠っていたようだ。周囲は暗くなっていた。
タヴィーザは同僚たちに起こされた。

「どうした?」
「教会が燃えてるんだってよ!例の連中が放火しやがったんだ!!」
「なんだって!?」

慌てて部屋へ飛び出すとアスターの母たちが教会の孤児たちを優しく抱きしめたりして慰めていた。恐らく子供たちがここへ逃げてきて教えてくれたのだろう。ここはソキウスの職場であるため、子供たちもよく顔を出していたのだ。
教会の老夫婦とソキウスが心配だ。タヴィーザは他の男たちと共にバケツがわりになりそうな物を手にして教会へと走った。
徒歩数分のところにある教会へ走っていくと、教会はすでに半分以上燃えていた。相当な炎の勢いだ。

「何てことしやがるんだ、てめえら!!」
「ソキウス!!」

たどり着いたとき、ソキウスは数人の男たちと揉めていた。
近所の男たちも加勢しようとしていたが、喧嘩慣れしていないため、完全に劣勢だ。

「てめえら、よくも!!」
「よせ、タヴィーザまで!!」

一緒に飛びかかろうとしたタヴィーザだったが、他の建築士仲間に羽交い締めされて止められた。

「喧嘩している場合じゃねえだろ!!」
「それよりは火を消す方が先だ。このままじゃ周囲の建物にまで燃え移ってしまうぞ」
「いそげ、水を持ってこい!!」
「神父さまはどこだ!?ご無事なのか!?」

この辺りはどこにでも井戸があるわけではない。共同の井戸から水を運ばねばならない。
しかし、炎の勢いは強い。到底、バケツで運んでいては消せる勢いではない。

「くそぉおお!!!」

地面を叩きながらソキウスが泣いている。
犯人と思われる数人の男たちは嘲笑しながら去っていくところであった。
タヴィーザも涙をにじませた。

(ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう!!)

優しかった老夫婦や孤児たちとの思い出が脳裏に蘇る。
ソキウスが育った家。孤児たちを守ってくれた家が完全に燃えようとしている。
貧しい教会だ。燃えてしまったら立て直すのは難しい。それを狙われたのだということが判る。
親しくしていたとはいえ、無償で立て直してやれるほどアスターの家も余裕はないだろう。家を建てるというのはそれだけ金銭がかかるのだ。
悔しさと無力感に苛まれていると、争うような大きな物音が聞こえた。
慌てて音の方を振り返ると、ドン、という音と共にさきほどソキウス等と争っていた男たちが数人まとめて吹き飛ばされてきた。

「な、なんだ!?」
「どうしたんだ!?」

何が起きたのか判らず、思わず身構える。
吹き飛ばされた男たちを追うように入ってきたのは紅いコートの男であった。手には複数のロープを持っている。
男は慣れた様子で吹き飛ばされた男たちを鮮やかな動きで縛っていった。

「放火魔、捕縛完了」
「レナルド!お前が倒してくれたのか!?」
「違う」

レナルドは後方を振り返った。
煙の先に二人の男の姿があった。
その姿を目にして、タヴィーザは驚愕した。
隣にいるソキウスや火を消そうと動いていた周囲の人々も気付いて、驚きに動きを止めている。
噂だけにしか聞いたことがない黒のコートを羽織った男が二人、立っていた。

黒という色は、この国ではまず衣類には見られない。
軍最上位である黒将軍に憚り、身につけないのが普通なのだ。
その黒を当然のように羽織った男二人は向かい合って何やら言い争っているようだった。

(まさか……まさか……!!)

ドクドクと鳴る己の心臓をイヤと言うほど感じながら、タヴィーザは相手を食い入るように見つめた。
その視線に気付いたかのように片方の男がこちらを振り返り、歩いてきた。
人形のように整った顔を縁取る艶やかな黒い髪、鮮やかな蒼い瞳。
元より見目の良い男だ。私服しか見たことがなかったがどの私服よりも今着ている軍将軍位のコートが似合っていると断言できる。
黒いコートの半身に縫い取られているのは銀の馬だ。躍動感溢れる馬の動きが生き生きと描かれている。
その隣に立つ男もまた、黒いコートを羽織っている。癖のある金髪と緑の瞳をした精悍な男だ。容姿はスターリングほどではないが、十分魅力的な顔立ちをしている。
彼は周囲を確認するかのように見回し、バケツを持った男たちに、建物から離れろ、と慣れた様子で命じた。
二人揃うとものすごく迫力があり、見栄えがする。

「スターリング!」
「判っている」

タヴィーザが『スタちゃん』と呼んでいた美貌の男は剣を抜くと建物の方に突きだした。
その剣先から急激な冷気が周囲に広がり始めた。
生み出されたのは見上げるばかりの氷の竜だ。竜はそのまま燃えさかる建物に飛び込んでいき、一気に冷やされた建物は派手な水蒸気をたてながら鎮火した。
チマチマとバケツで水を運んでいた周囲を唖然とさせる圧倒的な力であった。


+++++++++++++


黒いコートはあまりにも目立つ。
タヴィーザは二人と共にいつも利用している宿の一室へ移動した。
助け出された教会の老夫婦と子供たちはアスターの家族が請け負ってくれた。
幸い、軽い火傷の者ばかりで重傷者は出なかった。
放火犯たちはレナルドが他の部下と共に連れて行ったようだ。ソキウスも放火の被害届を出すために一緒に向かったらしい。

「誤解を解きに来たんだ」

ギルフォードと名乗った金髪の男は自分には婚約者がいるのだと言った。しかもその相手はレナルドであるという。

「軍内部ではよく知られているから、今更そんな誤解を受けるとは思ってもいなかった」
「そ、そうだったんですか。でも……彼は貴方のことを一番大切だと……」
「だ、だからそれは友情だ!!俺はコイツにそんな気は一切ないし、お前もそうだろ、スターリング!!」
「ああ。共に死ねてもベッドは無理だ」

それは、ある意味、もの凄いことではないのだろうかとタヴィーザは思った。
共に死ねるなどということは並大抵のことでは口に出来ることではない。
タヴィーザの微妙そうな表情に気付いたのだろう。ギルフォードは必死な様子で誤解しないでくれと繰り返した。

「共に出撃することが多いため、同時に死ぬ可能性が高くなるんだが、それは軍人として当然のことだ。何ら珍しいことではない。そしてこいつとの間にあるものは完全なる友情だ!!頼むから誤解はしないでくれ。今まで何度も、何度も、その手の誤解をされてきて、とても迷惑しているんだ」
「ひどいぞ、ギルフォード。俺との関係を迷惑だとは」
「そういう言い方が誤解を受けるんだ!そもそもお前の恋人だなんて誤解、迷惑以外のなにものでもないわ!!」
「俺だって誤解には迷惑している。俺はお前を抱きたくない」
「恐ろしいことを言うな!大体お前は過去の行いを振り返ってみろ!!いつだってお前の方に大いなる原因があるだろうが」
「喧嘩というものは必ず双方に原因があるのだそうだ」
「日頃からこれだけ迷惑をかけていながら、俺にも原因があるという気かお前は!ずうずうしい!」
「心当たりがある」
「バカ言うな!あるわけがない、そもそもお前はいつだって……」

賑やかなやりとりを見つつ、なるほど友情だとタヴィーザは納得した。
あれこれと言葉を重ねられるよりも二人のやりとりを目の当たりにした方がよほど説得力があった。
それと同時にスターリングは気を使ってくれていたのだと気付いた。
ギルフォードを相手に喋っている様子は心なし言葉が荒く、『俺』と言っている。タヴィーザの前では淡々とした様子で静かに喋り、『私』と言っていた。

「スタちゃん」
「何だ?」
「アンタは彼が一番大切なのだろう?」
「そうだ」

驚くギルフォードが何か言おうとしているのを手で制し、タヴィーザは重ねて問うた。

「今は彼が一番なんだろう?」
「そうだ。今はギルフォードが一番大切だ」

タヴィーザは苦笑した。
素直な男だ。隠すことなく正直に答えてくれた。
少し寂しく思いつつもその正直さを不快には思わなかった。
まだ数回しか会っていない見合い相手と運命の相手では無理もない。
口では少々悪しきように言っているが、彼は心の中では相方にとても感謝しているのだろう。だからこそ『一番大切』だと正直に口にしているのだ。
世話になっている相手に感謝するのは当然のことだ。自分だってアスターの家族に心から感謝している。その家族と目の前の男とどちらが大切かと問われても即答できない。以前から世話になっているアスターの家族だってとても大切だ。恋人と秤にかけることはできない。
そこでタヴィーザは気付いた。

(ああ、俺は馬鹿なことを聞いてしまったな。こんなこと比べるようなことじゃないだろうに)

だが、だからこそ『一番じゃない』と言われても大丈夫だと思った。
感謝すべき大切な人たちと恋人は比べるようなものではないのだ。

「スタちゃん、俺は一番になれるよう努力してもいいか?」

タヴィーザが問うとスターリングは笑みを見せて頷いてくれた。
相変わらず綺麗な、そして今までで一番嬉しそうな笑みだ。

「ああ」

ちゃんと通じた。
そう信じることができた。