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◆オルブレロ地区教会とある建築士の話(3)


ずっと仕事一筋でやってきたタヴィーザは仕事着以外、ろくに服を持っていなかった。
休日でさえ、楽でいいと仕事着で過ごしていたほとである。
しかし、さすがに見合いの席に仕事着はまずかろうと事情を知ったアランが服を貸してくれた。
アランの服はタヴィーザには若干大きかったものの、何とか補整をしなくてもおかしくない程度に着ることができた。

「頑張れよ!」
「うまくいくように祈ってるわね」
「いい人だといいね」
「兄貴の紹介だから大丈夫だとは思うけどよー……」

そんな風に送り出されたタヴィーザは徒歩数分の場所にある食堂兼酒場に向かった。この世界の酒場は一階が酒場、二階が宿屋となっている店が主流だ。向かっている店もその典型の作りである。
店に入って周囲を見回したがそれらしき人影がなかった。
てっきり酒場の片隅のテーブルで会うのだろうと思っていたタヴィーザは店主へ問うた。何とわざわざ上の個室を借りてあるという。
目を丸くしたタヴィーザに顔見知りである酒場の主は大きくため息を吐き、ひげ面の顎をさすった。

「よりによってお前さんかー。いや話には聞いていたが今回は女性の方がまだマシだったような……いや、男でよかったかもしれんな。女が相手で泣き出されてはかなわん」
「は……?」
「まぁ、ともかくすぐ行ってこい。突き当たりの部屋だ。くれぐれも失礼がないようにな」
「判りました」

どうも相手は結構な難物のようだとタヴィーザは気が重くなった。
そういえばアスターも何やら言葉を濁していた。どうも問題ありの人物のようだ。
早まったかと思いつつ、部屋へ向かうと部屋の前に薬屋のおばちゃんが立っていた。
小柄で丸々とした体格の女性は転がるように駆け寄ってきた。

「ああ、やっときたね!よかったよかった」
「わざわざすみません。中でお待ちいただいてよかったのに」
「いえいえ、とんでもない!あんなお人と長時間一緒にいれるものですか!ともかくアンタが受けてくれて本当に良かったわ〜、困っていたのよ」
「は?あんな人、ですか」
「ともかくお入り。しっかりやるのよ!しっかりね!」

タヴィーザはノックして中へ入った。
そして呆然とした。
思わず魅入ってしまうような美貌の男が何とも不釣り合いな古ぼけた宿の窓際に立ってこちらを見ていたからだ。
艶やかな黒い髪に鮮やかな蒼い瞳。隙のない鋭い眼差しがこちらを見据えている。
着ている服は中流階級向けのスーツのようだが、長身の体に紺色のスーツがしっくりと合っている。

「そなたが我が相手か」
「は、初めまして。タヴィーザ・パトヴァジョンと申します」
「私はスターリング・レイリヴィッドだ。親しみを込めて、スタちゃんと呼んでくれ」
「は……?」

人形のような人物から無表情なまま繰り出された思いもかけない言葉にタヴィーザは再度固まった。
そうしている間に見合いのおばちゃんは二人にお茶と茶菓子を持ってくると、逃げるように部屋を出て行った。後は二人で何とかしろと言わんばかりだ。この男の醸し出す何とも不思議な威圧感に逃げ出したのは間違いないだろう。タヴィーザもここが見合いの場でなかったら一目散に逃げ出したいところだ。

(美人すぎだろう!迫力ありすぎだろう!とにかく綺麗すぎだろう!一体どういう人なんだこの人は!おい、アスター!)

心の中でこの場にいない友に叫んでいると、茶を一口飲んだ向かいの男が眉をひそめた。

「ふむ、さきほども思ったが不思議な茶だな」
「え?」
「時間が経った後のような味がする」

それはマズいと言っているようなものだ。

「出されたものにケチをつけるのは失礼です。それにここは平民の店、上等な茶などなくて当たり前です」

幼い頃から知る近所の店だ。悪く言われるのは不快だったため、タヴィーザは顰め面で答えた。
すでにタヴィーザは相手に不快感を抱いていた。見合いはブチ壊れそうだが、それも仕方がないように思えてくる。相手はもしかしたら高位軍人かもしれないが、アスターの紹介だ。迷惑をかけるかもしれないが彼に言えば何とかなるだろう。

「私は時間が経った茶が好きだが?」
「は?」
「私は猫舌だ。冷めた茶が好きだ。しかしこれは熱いのに冷めた後のような味がする。実に不思議だ」
「だからそれは失礼だと……いや、失礼じゃないのか?アンタ、この茶を褒めているのか?」

言っているうちにタヴィーザまで混乱してきた。
普通、時間が経った茶は不味い。そのため、タヴィーザも出された茶が出がらしのような味がすると、けなされたと思ったのだ。
しかし、彼は時間が経った茶が好きだという。
ならば彼は褒め言葉のつもりで口にしているのだろうか。

「褒めてはいない。熱いことに変わりはなく、飲みづらい」
「そうか」

またもや混乱してタヴィーザは考え込んだ。

(何だか難しい人だな……)

褒めてはいないという。
しかし、冷めた茶が好きだという。
ならば同じ味がするというこの茶を好きだと言っているのではないだろうか。しかし熱いから飲みづらいと言っている。だから褒めてはいない……?

(あー、何なんだ、こいつは!)

わけがわからん!と思いつつ相手を見ると、相手はジッとこちらを見つめていた。
人形のように整った顔で注視されると実に居心地が悪い。
ふいと顔を背けたが、やはり視線は感じる。しかも無言で見つめられたままだ。
すぐに耐えきれなくなった。

「あ、アンタ……」
「私のことは親しみを込めてスタちゃんと呼んでくれと頼んだはずだが、聞き入れてもらえなかったのだろうか」
「アンタ、スタちゃんと呼ばれているのか?」

どう見ても同世代かやや上にしか見えない男だ。つまり二十代後半だ。しかも軍人という職に就いている。ちゃん付けは厳しいだろう。
そんなはずはないだろうと思いつつ問うと相手は顰め面になった。

「呼ばせようとしたが、ギルフォードに邪魔された」
「それが正解だろう。俺たちの年齢でちゃん付けはおかしい」
「いや、軍規に違反すると言って却下されたのだ。言葉遣いの乱れは風紀の乱れだというのだ。あの男は本当に頭が固いと思わないか?いつも私の主張を却下するのだ」
「俺はおかしいと思わないが……」
「だがそなたは軍人ではない。ちゃん付けでも軍規に違反することはないから安心して呼ぶがいい」
「いや、そういう問題じゃ……」

反論しかけたタヴィーザは相手の名前を忘れたことに気付いた。
スタちゃん、のインパクトが強すぎて本名を忘れてしまったのだ。
今更、名前は何ですかと問うのも失礼だろう。後で薬屋のおばちゃんにこっそり聞こうと思いつつ、口を開いた。

「そ、その、スタちゃん、アンタだって俺を愛称で呼んではいないだろうが」
「ふむ。やはり愛称というものは良いものだな。お互いに特別だと思える」

好印象を与えたようだ。相手はニコリと笑んだ。
まるで人形のようにほとんど表情を変えなかった美貌の男の笑顔はものすごい迫力でタヴィーザは再度固まった。

(す、すごい美人……!!)

だがその驚愕と硬直も当人の台詞で元に戻った。

「それにしてもこの菓子、非常に堅く、コゲっぽく、歯ごたえがあるクッキーだな。甘味も足りぬ」
「下町の菓子なんてこんなものだ……上質の甘味なんて贅沢に使えはしないし……」
「ふむ。そなたはよき菓子を知らぬのか。今度持ってこよう」
「いや、俺は別に菓子はどうでも……」
「そなた、菓子は不要なのか。ではもらおう。そなたはこの不思議な茶を代わりに飲むがいい」
「いや、別に要らないと言っているわけじゃ……いや、待て、いらないのはアンタが持ってくると言い出したよき菓子の方であって、ここにある菓子の事じゃなくてだな!」
「私が食した後に、ここの菓子じゃないと言われても腹から取り出せるわけではないのだぞ。食す前に言ってもらわねば困る」
「いや、だから、俺はあんたの言い出したよき菓子のことを最初から言っていたわけで……あー、もう、アンタと話していると混乱する!」
「酷いぞ、タヴィーザ。私はスタちゃんと親しみを込めて呼んで欲しいと何度も頼んでいるというのに」
「アンタだって俺を愛称で呼んでないだろうが!」
「それは申し訳ないことをした。さぁ、呼んでほしい愛称を申すがいい」

真顔で言われてタヴィーザは言葉に詰まった。
この美貌の男と愛称で呼び合う。
子供の頃はターちゃんと呼ばれていたから愛称といえばそれだろう。
そうなるとこの歳でスタちゃん、ターちゃんなどと呼び合うことになってしまう。
恐らくこの空気が読めなさそうな男は、どこでどんな状況であろうと遠慮無く愛称で呼んでくれるに違いない。
そう、アスターの家族達の前だろうと、職場の後輩達の前だろうと人通りの多い町中だろうと!

(絶対教えられねえ!!)

初対面の相手にそう決意するタヴィーザであった。

「お、俺は母につけてもらった本名を大変気に入っててな……!俺のことは本名で呼んでもらっていいだろうか!」
「そうか。そなたの希望であれば仕方がない。タヴィーザと呼ぶことにしよう」
「ありがとう、ありがとう!!」
「そこまで喜ばれると私も嬉しいぞ」

いや、この場を切り抜けられたことが嬉しいんだ!と心の中で叫ぶタヴィーザであった。