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◆迷闇の門(11)


元黒将軍であるリーチは計算高い性格だ。
奔放な言動で知られ、考えなしの人物のように思われがちだが、実際はしっかりと情報を集め、裏でかなり計算して行動する狡猾な性格だ。
計算高い彼はギブアンドテイクの関係を好んできた。それが一番判りやすいからだ。そのため、上司や部下ともその関係で付き合ってきた。人の情よりもギブアンドテイクの関係の方が信頼できると考えた為だ。
そしてその方法は大変判りやすくて明確なために概ね成功してきたと言える。実際、引退するまではその方法で大きな問題になったことは一度もなかったのだ。
しかし、引退してから、その方法は大変薄っぺらい人間関係しか築けなかったことを思い知らされる羽目になった。

(こいつとも……ほとんど思い出がない……)

仕事を命じて仕事をこなす。
上司と部下としては当たり前と言えば当たり前のことしかやってこなかったことをリーチは後悔している。
長いこと仕事をしてきたというのに、ウィルフレドと暖かく語り合えるような思い出らしき思い出が全くないのだ。もっと人として情のある付き合い方をするべきだっただろうかと思うのだ。

(本当に金以外、何も残っていないな俺には……)

軍で一体何をしてきたのだろう。
実に今更なことだが、リーチは後悔している。

(何で抱いてくれたんだ……)

一番知りたい理由は当人に問うても教えてくれなかった。
それでもリーチは理由が知りたい。きっと理由があるはずだと思うからだ。
理由がなくては安心できない。また道具で抱かれるのは嫌だからだ。ずっと体で抱いてくれるのならば問題ないが、また道具で抱かれたりしてはたまらない。だから理由が知りたい。
軍で敵ばかりを作り、味方はギブアンドテイクの関係ばかりだったリーチは理由がないと安心できない。
愛するよと言ってくれるのであれば、愛してくれる理由を教えてもらえねば信じることができないのだ。


++++++++++


リーチはほとんど家を出ずに過ごしている。
その日の午後もソファーでゴロゴロしていたが、玄関のドアをノックする音に気付いて立ちあがった。

(誰だ……?)

ウィルフレドは青将軍であるため自分の公舎を持っている。
彼に用がある者はそちらに出向いているのだろう。住まいである官舎で来客があったことは殆どなかった。
扉を開けて相手を出迎えたリーチは軽く眉を上げた。
青いコートを羽織っていることから青将軍であることが判る。
見上げるような長身に白っぽい金髪をした穏やかそうな青年だ。年齢は二十代後半だろうか。

(誰だ?)

上位の軍人であれば大抵の相手は知っているが、相手の名が出てこない。つまりは有名な将ではないのだろう。
青将軍は少し驚いたように目を見張った。

「リーチ様っ!?こんなところでお会いするとは思いませんでした。体調はいかがですか?」
「あ、あぁ……もう問題はない。君は?」
「それは良かった。俺はホルグ黒将軍麾下のアスター青将軍です。坊が……じゃない、レンディがご迷惑をおかけしてすみませんでした」

頭を下げられて困惑する。
いきなり出てきたレンディの名にも驚いた。

「レンディが何だって?」
「あいつがすぐにリーチ様をお助けしなかったって聞きまして」
「あぁ、最終的にはレンディのおかげで解放してもらったからかまわないけどね。君はレンディの何だい?」
「えーっと、そ、育ての親というか友人というか保護者というか……そんな関係であればいいなと思ってますが」
「へえ、あのレンディに保護者がいたとは思わなかった。だけどまぁ、あのレンディを真っ当に躾けることは無理だってことぐらい判るよ」

ククッと笑うリーチにアスターは眉を寄せた。

「いや、諦めちゃいけないと思います」
「ふぅん?」
「俺はレンディとは本音で向き合っていたいと思います。だから、間違ってると思えば間違ってると言いたい。
俺はあいつが間違った道を行くようであれば間違っていると諫めようと思います」
「……それは傲慢だよ。君は青将軍、彼は黒の筆頭だ。その差を判っていて言っているのかい?」

確かに傲慢かもしれません、とアスターは認めた。

「でも言いますよ。言わなきゃ嘘になりますから。俺はあいつに嘘を言いたくないんです。常に本音でいたい。
高位になればなるほど、都合の良いことばっかり言うヤツが増えてきます。お世辞やおべっかばかり使うヤツだらけになる。俺はそんな奴らになりたくないんです。だからレンディに嫌がられても本音で向き合っていたいと思います」
「……ふうん、驚いた。レンディは幸せだね。君のように思ってくれる側近がいるんだから」
「いや、俺は側近じゃなくて………友人です」
「そうか。羨ましいよ。命がけで諫めてくれる人間というのは本当の友だと言えるだろう。俺にもいてくれたらよかったのに……」

それは本音だった。
高位になればなるほど、持つ権力が大きくなればなるほど、本音で語り合える者はいなくなる。
軍人として働きながら親しく心分かち合える相手を見つけることができなかった過去の己への悔恨でもあった。
本気で諫めてくれる者がいるレンディが羨ましい。
するとその呟きを聞いた相手は眉を寄せた。

「えーっと……いらっしゃると思いますが」
「そんなことはないよ」
「ウィルフレドは貴方を助けるためにアニータ様や俺に助けを求めてきたんですよ。俺はウィルフレドに貴方を助けたいと相談され、レンディに頼んだんです」
「そうだったのか!」
「貴方は療養中で面会を拒否されていると言われていました。それでお会いしにいけなかったんです。きっと貴方がここにいらっしゃると知れれば、元部下の方々も会いにいらっしゃると思いますよ。貴方は慕われています」
「世辞はいい。俺は部下に好かれてはいなかったからね。嫌われてもいなかったとは思いたいが……」
「うーん、そうですか?ですが俺、貴方がいた頃は良かったって話を聞きますが」
「何だって?」
「公共工事の仕事を受ける公務科で貴方の元部下の方々によくお会いするので、話を聞くんですよ」

リーチの軍はアニータが継いだが、女性中心の軍を作りたいというアニータの希望に添えない男性の将たちは、他軍に移ったりしている。
しかし、ウィルフレドのようにフリーで動いている将もいると聞いているので、必ずしも現状に満足してはいないだろう。
フリーで動く青将軍は気楽なようでいて、逆に気を使う。軍の運営のために金を稼がねばならないし、どの将の元で働くか毎回考えなければならない。しかし黒将軍たちは側近たちに仕事を回そうとするので、よき仕事にありつくためには情報収集や根回し、気配りが必要となるのだ。
報酬の良い仕事にありつけるとは限らないので、公共事業のような仕事もコツコツと受ける必要がでてくる。フリーの青将軍は気苦労が絶えないのだ。
その点、リーチは完全にギブアンドテイクで軍を運営していた。
リーチが仕事を部下へ回す、部下はその仕事をきっちりこなして報酬を得る。
甘さのないサバサバとした関係。そんな関係を好んでいた部下たちもいたのだ。

「リーチ様がいらっしゃった頃はよかった、あの方は世辞を言わずともちゃんと仕事を評価してくれた。今はやりづらいってぼやいてましたよ」
「……そうか……」

元々、軍は実力主義だ。
その傾向が顕著だったのがリーチの軍だ。
人間関係は希薄で、横の繋がりがほとんどない。仕事上のみの関係。
しかし、逆を言えば、結果を出せばしっかり反映されるのだ。
甘さがなく、下手な世辞も不要で、結果さえ出せば報酬と出世が約束されるリーチの軍は仕事の面では非常にやりやすかったのだ。
ベタベタとした関係を好まず、効率と報酬のみを欲する将たちにとってリーチの軍はとても居心地がよかったのだ。

(俺の存在を認めてくれる奴らがいたんだな……)

リーチがいてくれてよかった。
そう思ってくれる人々がいてくれたというだけでもリーチにとっては嬉しい。
今までやってきたことが無駄ではなかったと感じられるからだ。

「俺は今、ホルグ黒将軍の軍にいますが、貴方の軍に似てますよ。あの方は皆に平等に仕事を振ってくださり、誰かを贔屓したりなさいません。やりやすいですよ。麾下の将たちも皆、ホルグ様のやり方を好んでいるからホルグ様のところにいるようです。だから貴方の元にいた将たちも同じじゃないかと思いますよ。貴方の元から移ってきた将もいますからね」

貴方の元部下の人たちに、貴方が今ここにいると言ってもいいですか?と問われ、リーチは苦笑した。

「ここの家主はウィルフレドだ。あいつがいいと言ったらな」

ところでお前何しにきたんだ?とリーチに問われ、相手は困り顔で眉を寄せた。

「人探しなんですけど、フリッツ青将軍を見かけませんでしたか?」

ここに来ているかも知れないと思ったんですけど、という相手にリーチは首を横に振った。

「いや、見てない」
「まいったなー、心当たりは全部探し尽くしたんだけど……しょうがない、部下を動かすか。もし見かけたらアスター軍公舎へご連絡いただけますか?」
「判った」

長身の相手を見送ったリーチは入り口ドアを締めながら呟いた。

「アスター……か。あのレンディにああいうヤツがいてくれるのならばこの国もまだ捨てたもんじゃないな」

そう呟くリーチであった。